「極真空手史上、最高の選手」をあげるとすれば、私は躊躇なく次の武道家を選びたい。
数見肇(東京城南・川崎支部出身、千葉中央支部長、28歳)である。第24回全日本大会のデビュ−以来、第30回全日本大会までの全ての大会において決勝戦に進出し(7年連続)、その間、優勝4,世界大会準優勝という驚くべき成績を残している。選手層の厚い極真の世界で7年間に負けたのが僅か2回というのは奇跡に近い。
緑健児(第5回世界大会優勝)、八巻建志(第6回世界大会優勝)などを育てた東京城南・川崎支部長の廣重毅師範をして、
「数見に勝つのは難しい。解らない。教えてほしい」と言わしめた男である。
けれども私が数見君を「極真空手史上、最高の選手」とみなすのは実績だけの判断ではない。というのはこうである。私は才能が好きだ。自分にない優れた長所を有する人と接する機会に恵まれるとそれだけで幸福感を感じる。だからその機会を何よりも最優先する。なぜならば、それこそが最高の勉強になると信じているからだ。
しかし、無批判にその人物の経歴や業績などを判断基準にはしない。虚像が一人歩きしている「有名人」の存在を知っているからだ。
世の中には特別な努力をしないでも才能を発揮できる人がいる。天才と呼ばれる人々だ。彼らは別格で畏敬の存在だ。だから凡人の私には評価のしようがない。けれども「天才とは、あ〜、そういうものなんだな〜」と感心する程度で感動することはない。
他方、持ち前の天才的才能を輝かせることに余念がなく、たゆまない努力によってそれをさらにパワ−アップさせる人々がいる。さしずめ「努力を忘れない天才」か。私の心を震わせるのはこのタイプだ。
極真空手の世界大会を制する者に才能と絶対的練習量が要求されるのは当然のことだ。私は、歴代世界チャンピオンの松井章圭氏(第4回世界大会優勝)や前述の緑君や八巻君と接する機会に恵まれた。彼らは才能と絶対的練習量によって世界を制したと思われる。
しかし、彼ら3名が「努力を忘れない天才」かといえば、そうではない気がする。彼らの場合、いずれも強気な自信家であり、努力よりも才能が上回っていたような気がする。
ではいかなる人物が「努力を忘れない天才」なのか? それこそが数見肇その人だ。
 しかし、最初からそう思っていたわけではない。私が極真の東京城南支部在籍中、彼はまだ入門していなかった。当然、緑君や八巻君とは異なり、数見君と組手で闘った経験はないし、飲んだこともない。彼は私がテコンド−に転向後、入れ替わるように入門し、短期間の内に頭角をあらわした強者だった。ゆえにまったく未知数だった。極真会館分裂騒動の煽りを受けた東京城南・川崎支部の進退を問う重要な会議にのぞむ打ち合わせで話した程度だった。
 会議当日の打ち合わせで、私は、八巻君、岩崎君、数見君に言った。
「武道家の筋から言って師である廣重師範に従うべきだ。また、最強の外国人選手・フィリョの出ない世界大会に出て優勝したとしても、真の世界チャンピオンだとはいえない」と。
分かり切ったことだったが、当日の会議の雰囲気は反松井派の入来君側が優勢だった。八巻君や岩崎君は相槌をうってくれたが、数見君は「オス」とだけ言った。
(朴訥な青年だな)というのが、私の印象だった。
結局、その会議は私が親松井派を勝利に導き、上記の3名はフィリョが出場する松井派の世界大会に出場することになった。そしてその世界大会では八巻君と数見君とが決勝戦で闘うことになる。

本論に戻そう。私が数見君を「努力を忘れない天才」と思うようになったのは、彼が「百人組手」
に挑戦する半年程前に二人で会い飲んだ時だった。彼は横浜ベイシェラトン・ホテルの最上階のバ−で横浜港の夜景を見ながら印象深い言葉を言った。
「河先輩。自分は、自分が弱いというコンプレックスをもっているんです」
私は驚いた。少し間をおいて「君が弱いというので有れば、極真の世界で誰が強いといえるの?」
「本当なんです」
「・・・」
 私は帰路、彼の発言を分析してしまった。
極真で一番強いといわれている最高の選手が、− 自分は弱い − と言う。
私は格闘技雑誌を読まないので、彼が普段いかなる発言をしているのかまったく知らない。もし彼が同様の発言をしているのであれば、その読者は「ご謙遜」と思うに違いない。
けれどもあの時の彼の表情は真剣だった。前述の会議の打ち合わせの際の表情よりも。
 そういえば廣重師範が、「数見ほど、稽古にまじめな選手はいない」とおっしゃっていたことを思いだした。とすると彼の絶対的練習量は、「自分は弱い」という信念に裏付けられていることになる。
この点、「自分は強い」という確信と自信をもっていた前述の3人の世界チャンピオンとは明らかに異なる。
「数見は日々の地道な稽古を欠かさない。誰よりも早く蒲田道場に行き、一番最後に道場を後にする」と、廣重師範から聞かされている。
が、廣重師範に言わせると、「東京城南川崎支部は特別な稽古をしているわけではない」と言う。
他の支部の選手が −何故、城南は強いのか。おそらく特別な練習をしているに違いない−と考え、
修行と「偵察」を兼ねて出稽古を希望するという。
しかし、そもそも特別な稽古をしているわけではないので、その選手は練習を終えると、がっかりして帰るという。
では、何故、城南支部は強いのか。その答えは数見君と接して知ることができた。それは師の廣重師範を敬愛し、その指導に徹する真摯な姿勢であろう。だからこそ教える側も熱が入るのは当然だ。
正直うらやましかった。私も将来、彼のような弟子を持ちたいものだと思った。
 才能と才能をのばす才能。そしてその証である絶対的練習量。そしてその成果である前人未踏の7年連続の決勝戦進出。これだけの実績があれば、「大家」になってもおかしくない。
しかし、数見君は「大家」にはならなかった。数見君の人格から溢れるような長上を敬う礼儀礼節は、彼と接する人々にさわやかな印象と好感を与える。そしておそらく誰でも「数見の力になりたい」と思うはずだ。少なくとも私はそうだった。
「自分は弱い」と信じる「努力を忘れない天才、数見肇」。私が彼を「極真史上、最高の選手」と賞賛する所以である。

平成11年11月5〜7日、第7回極真世界大会の開催日である。
数見君に勝てる日本選手は現時点では存在しない。それゆえ全日本大会ならば普段通りの練習で充分であろう。しかしながら、世界大会となれば別だ。とりわけK1で活躍するフランシスコ・フィリョや前回大会で苦戦を強いられたグラウベ・フェイト−ザのブラジル勢に勝つためには普段通りの練習だけでは勝ち目はない。
この二人の共通点は、一発で相手を倒す驚異的な上段蹴りの持ち主である点だ。
極真空手の選手の共通的思考には、相手の突きや蹴りを身体で受けるというものがある。つまり重い蹴りや突きを喰らっても倒れない強靱な肉体=打撃に強い肉体を作り上げるという思想だ。
しかし、それはあの二人には通用しない。それだけ彼らの蹴りが強烈なのだ。
そこで完璧な防御が不可欠となる。しかし、日本選手には彼らのような変幻自在でしかも強烈な上段の蹴りをもつ選手がいない。おそらく日本空手界全体を見渡してもいないであろう。ブラジル勢のそれに近い蹴りをもっているのは、城西支部の野地君しか思い当たらない。つまり彼らの強烈な蹴りを想定し、それを受けるための練習相手が少ないということだ。

そういう状況であるにも拘わらず、数見君は、世界大会優勝候補に課せられる「百人組手」に挑戦するという。
私は止めた方が良いと思った。なぜなら4年前に挑戦した八巻君の最悪のコンディションを知っているからだ。世界大会を控えた八巻君に対し4ヶ月ほど指導したのであるが、その際、彼の身体から溢れ出る汗の量がはんぱではなかった。我が東京城南道場(大田区南六郷)の床が、八巻君の汗でずぶぬれになるのだ。八巻君が言うには、百人組手の結果、臓器の機能の麻痺、とりわけ腎臓が麻痺してしまい小便が出ないと言うのだ。その分、汗で流れるという。しかも疲労回復がままならないという。確かに、八巻君は息切れが激しく、すぐ疲れてしまい休憩を度々とらなければならなかった。あの粋の良さがまったく感じられなかったのだ。
私はそれを知っているので、世界大会で優勝するためには「百人組手」はやるべきではない思い、僭越ながら廣重師範に電話でその旨を伝えた。
しかし、廣重師範は「数見の意志が固い」ので、止めることはできないと言う。
 ・・・百人組手は終わった。私はここ10年の間、3人の身内の死に顔に接してきたが、小休憩の際、彼の顔はそれに似ていた。百人組手完遂者の証言が浮かんだ。松井氏は、80人を超えると死を意識し、突きや蹴りを出すのではなく、噛みついたという。八巻君も似たようなことをいっており、二度とやりたくない、と感情を告白していた。そういえば緑君も大山総裁にすすめられたが、絶対やりたくない、といっていた。つまり誰も好き好んで行う荒行ではないということだ。
 数見君は、極真会館の顧問医師が経営する上大岡の病院に入院した。私はさっそくお見舞いに出かけた。病室に入るとベットに腰をかけている彼の姿があった。顔色も良い。
(化け物だな。鍛え方が違うのか?)
若い見舞客が話しかけていたが、どうでも良い内容であり母親が心配そうに見つめていた。
数見「オス!」
 「おめでとう。これ。」 私は、たった一言、祝福し、ご祝儀をおいて病室を立ち去った。

極真空手の世界大会が6ヶ月後にせまった。私は幸運にも数見君を指導することになった。
 八巻君を指導した先例にならい、二人目の世界チャンピオン誕生に貢献できることが嬉しかった。八巻君から直接聞いたのだが、彼が世界大会に優勝した時、城南支部の練習には殆ど参加していなかったという。つまり週1回のテコンド−特訓以外は自主トレだったというのだ。これは岩崎君や数見君も認めたので、極真選手の指導方法に対する自信につながった。
 だが数見君ほどの超一流選手を指導するためには、それに見合ったアシスタントが不可欠である。河門下の選手層はJITFの中では厚いかも知れないが、極真の城南支部と比べてうすい。しかも彼のライバルは、フランシスコ・フィリョやグラウベフェイト−ザという100Kg台の大型選手であり、体重が違いすぎる。その体重に見合うのは山村だけだった。そこで軽量級や中量級を問わず我が門下の先鋭をアシストとして起用した。武田、山村、小川、田川などの諸氏である。そして各道場の中心メンバ−を補助として見学させた。超一流選手の練習姿勢を見て向上心をもたせるためであった。
まずは、我が門下のテコンド−選手が一方的に攻撃し、それを数見君が防御するという練習。これは八巻君の時も行い、ギャリ−・オニ−ル戦などで成果を発揮している。
 流石に回し蹴りは殆ど当たらない。だが、直線的な蹴り、横蹴りや後ろ横蹴り、そしてネリョチャギは受けにくそうだった。これらの蹴りは、極真選手が不得意とし、試合ではあまり用いないからであろう。一度彼が休んだことがあった。あばら骨の調子が悪いという。おそらく誰かの蹴りを喰らった結果であろう。
次に、フランシスコ・フィリョやグラウベ・フェイト−ザがはなつブラジリアン・キックを防御する練習を行った。私は次なる練習を考案した。畳を3枚から5枚重ねて、その上にテコンド−選手がのり、数見君に蹴りをはなつというものであった。畳の枚数を調整し、いかなる角度の蹴りにも対処できるようにした(写真2)。その際、彼には接近する際、手首をひねって顔の側面をガ−ドすることを教えた。これならば、蹴りの衝撃から顔を守ることができるからである。

 何日かたって廣重師範から電話がきた。
「一体どういう練習をしているんだ。数見の肘から手にかけて黒ずんだ痣ができてるじゃないか」
私は練習の目的を説明し、納得してもらった。ただし、次回からスネのサポ−タ−を手につけることにした。けれども数見君にいわせると、
「あまり、変わりませんが、あざはできないようです オス」

私には防御以外にも策があった。数見君に新しい蹴り技を修得させるというものであった。4年前の八巻君に対する指導の際にも力を注いだ決め技で、テコンド−選手が得意とするトラヨッチャギ(後ろ横蹴り)である。私が教えるトラヨッチャギは、空手やWTFとは異なる個性がある。これを数見君に教えたかった。
 というのはこうだ。おそらくブラジル勢は数見君のビオデを集中的に研究し、その対策を練っていると考えた。とりわけロ−キック対策には余念がなかったに違いない。だとすると蹴りに関する限りロ−キック以外はノ−マ−クの可能性が高い。本戦の3分間、あるいは延長戦の際、ワンチャンスにかける価値はあると考えた。たとえば、極真の選手は良くにらみ合いながら見合う場合が多々ある。そしてどちらかが突進して仕掛ける。その際、突進する側の身体が正面に向くので、カウンタ−のトラヨッチャギをボディ−に決めやすい。K0は無理でも、尻餅を付いてくれれば技有りの可能性は高いし、判定で有利に立つことも可能だ。これを数見君に教えたかった。
 八巻君はこれを身につけて黒沢戦や数見戦でその威力を如何なく発揮している。数見君は前回の世界大会での八巻君との決勝戦でそれをくらっており、その威力を知っているはずであった。おそらくブラジル勢はノ−マ−クだと思った。何でも座禅をくんで精神力を鍛えているというではないか。
私はこの考えを数見君に話した。そして練習した。だが、彼はあまり乗り気ではなかった。
練習後、理由を尋ねると「河先輩、自分は不器用なんです」
彼ほどの超一流選手にそういわれると、もうこれ以上、その練習を続けることはできない。結局、防御のみの練習に集中した。

数見君との練習は4ヶ月の間、私は楽しかったし、達成感があった。ああ、自分がやりたかったことは、これなんだと思った。ダイヤモンドは磨けばさらに輝きを増す、これにつきる。
また練習後、彼とともに二人の好物であるチョコレ−ト・パフェを食べながらミ−テイングをするのが楽しかった。オ−ダ−を取りに来る女の子によく笑われたものだ。
私はいつもの調子で熱く語った。数見君はそれを真剣に聞いてくれた。彼から「目から鱗が落ちました」といわれて悪い気はしない。
私は言った。「極真のためとか、空手母国のためとかじゃなくて、自分のために、自分の親のために世界一になれ」
数見「そういう考え方もあるんですね」
 彼は明らかに純粋な人物であった。
 最後のミ−ティングの際、彼は言った。
 「(東京城南六郷)道場の階段を上る際、一番緊張しました。河先輩のおかげで何の蹴りがきても大丈夫だと自信をもてました。ありがとうございました。オス」。

世界大会が目前に迫り、私は数見君と調整と休養をかねて熱海後楽園ホテルに泊まった。
弟子で柔道整復師の岩下徹君に治療を頼み、同行してもらった。岩下君は数見君の身体をマッサ−ジをしながら、驚いていた。
「これだけ発達した筋肉をさわるのは初めてです。感激です。一流選手の身体とはいかなるものなのかが分かりました。鍛えれば人間の筋肉はここまで発達するんですね」

 熱海後楽園ホテルの自慢は海を一望できる大浴場である。日の出を浴場から見るため、数見君を朝5時頃、起こし、二人で朝風呂に入った。
 日が昇ってきた。美しかった。彼は湯船から上がって窓際に身体をうつし、20分近くも、直立不動の姿勢で日の出をじっと見つめていた。私は湯船からその光景を見ていた。彼のヘラクレスのような体が、日の出によって紅潮した。ギリシャ神話の神々のようだった。美しかった(私はホモではありません。念のため)。
 数見君は明らかに日の出をみながら決意を固めているようだった。それは当然、「世界大会で優勝して世界一の空手家になる」というものであろう。
 私はその姿をみて感動した。
「世界一をねらうサムライか。絵になるな」

風呂から上がり、朝食をとると、彼は、極真城南支部の朝練に遅刻するのでお先に失礼しますと言った。今から蒲田の道場に行くというのである。熱海からは徒歩の時間を考えれば2時間はかかる。もう練習の山は過ぎており調整期間のはずで、彼ほどの選手なら一日休んでも誰も文句はいわないだろう。けれども彼は、朝練に行くという。
 私は数見肇という極真空手史上最高の武道家の美学を知った。ただただ練習有るのみ。誰よりも早く道場へ行き、誰よりも遅く道場を後にするという美学。才能のある人間はそれをのばす才能がある。私は彼から学んだ。

 世界大会の決勝戦。予想通り数見君とフィリョが対戦した。
 だが不安があった。廣重師範が準決勝戦前に、青い顔をして私にこぼした事実。
「数見は足をけがして右のロ−キックが蹴れない」というものであった。
棄権させるかどうか迷っているという。しかし、日本勢はすべて負けており、そういうわけにもいかなかったし、何よりも数見君が納得しない。
 彼は不死身であった。決勝戦まで勝ち残ったのである。
数見君は私が教えたとおり、手首をかえしながらフィリョに突進した。だがフィリョは積極的に勝ちを狙う組手ではなく、負けない組手に徹していた。なぜならば、試し割の枚数で勝っており、延長戦を引き分ければ勝者となるからである。
 後日、TVで数見君が試し割で失敗したことをドラマチックに描いていたが、あれは嘘である。本人から翌日確認したが、最初からあの枚数に挑戦しようと決めていたというのである。つまりフィリョが何枚割ろうが関係なかったのであり、本戦において実力で決着をつけたかったというのである。
 私はフィリョのようにハイレベルな選手が守勢にまわってしまえば勝機はないと感じた。すばらしい試合であったが、本戦でも延長でも再延長でも、体重測定でも決着がつかなかった。結局、試し割の枚数で2枚多いフィリョが勝った。4年前の世界大会の準決勝戦とは逆の立場になったのだ。
 数見君の顔が紅潮した。廣重師範がうつむいた。日本選手団が泣いた。会場がどよめいた。けれども数見君は泣かなかった。
私は表彰式で2位の表彰台にたつ彼を見た。彼は明らかに八巻君よりも練習したし、空手に対する情熱も高かった。けれども勝利の女神は彼に微笑まなかった。私は何か話すのは酷だと思い東京都体育館を後にした。

  その夜、携帯電話がなった。数見君からである。
「先輩のおかげで何の蹴りがきてもだいじょうだと自信をもてました。ありがとうございました。オス」。彼はひどく興奮していた。確かその言葉は前にも聞いたことがある。
「・・・後ろ横蹴りがあればな」と私は余計なことをいってしまった。
「・・・」
「落ち着いたら都内の一流ホテルのチョコレ−トパフェでも食いに行こうか」
「オス」
13階の自宅の窓から見える夜景が、妙にまぶしかった。(完)