2006年6月4日(日)午後2時〜5時迄、下記の内容で講演会が開催されます。


                               記
 
 
講演日時  2006年6月4日(日) 午後2時00分開始(午後4時00分終了予定。講演終了後、30分程度質疑応答)
 
講演題名  「余は如何にして日本国民たりし乎ー朝鮮学校出身・在日韓人二世の創造的日本国籍取得観」
 
講師     河 明生
 
主催者   在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会(ホームページ参照
 
参加費   無料(主催者の協力により)
 
講演場所  脱北帰国者支援機構本部(ホームページ地図参照)・会議室 
        東京都千代田区三崎町3−6−14第2ハンタービル3階  03−5214−3939
        JR総武線・水道橋駅下車 徒歩3分
 
講演内容 

2006年6月4日講演題名

「余は如何にして日本国民たりし乎 ー 朝鮮学校出身・在日韓人二世の創造的日本国籍取得観」

                                                     河  明生
                                                    (かわ  めいせい)
はじめに

@ 講演題名について

  徳川治世の武士教育により武士として育てられた青年・内村鑑三が、
  忌避していたキリスト教に帰依する過程を著した『余は如何にして基督信徒となりし乎』に由来
  本講演およびレジュメにおいても題名通り「余」を使用。
  本文中、肩書きはいずれも当時。

A 本講演は、在日韓人(以下「在日」)の「多様な生き方」の「ひとつ」。
  あくまで河明生の個人的な体験に根ざした「ひとつの見解」。
  「在日」に日本国籍取得を奨励するものではない。
  とりわけ、「後ろめたい帰化」を勧めるものではない。
  ただ、日本国籍取得を真剣に考えている「在日」、当該問題について関心の高い日本人の皆様に、
  余の「創造的な日本国籍取得観」を紹介したい。


一、余の生い立ちと出会い ー 日本に生まれたことへの絶望感から感謝の気持ちへの変遷

1、韓国籍・朝鮮学校(小・中・高・大)生
  1) プロパガンダとピュアな「ペルゲンイ同級生」達
  2) バイオレンスの「洗礼」と「一世」直伝の「チョ〜タんチャぁ〜ないヨ〜!精神」
  3) ケンカ一筋の健全な不良少年時代と脳みその「筋肉化」
  4) 朝鮮大学からの脱北

2、武道家人生
  1) いじめられっ子と格闘技(「一世」力道山のプロレス)
  2) 極真空手(「一世」大山倍達創始者)の修行
  3) テコンドー(「一世」全鎮植さくらグループ社長)との出会いと修行(崔ホンヒ創始者)
  4) 日本におけるテコンドー普及人生

3、学問への誘いと出会い
  1)学問への誘い
    @ ソウル五輪を控えた韓国政府主導によるITFテコンドー世界大会の突然中止
    A絶望感と魂の救いを求めて

2)学問における出会い
  @ 叔父の金両基(静岡県立大学教授)
  A 梶村秀樹先生(神奈川大学教授)と「アジア経済の雄」神奈川大学大学院各国経済研究室
  B 学者一家の妻
  C 日本学術振興会特別研究員採用にともなう初めての恩恵の自覚
  D 学者の中の学者、和田春樹先生(東大社研教授・所長)と網野善彦先生(神奈川大学教授)


二、「在日」の「十字架」と教訓

1、朝小6年時のみじめな暴行体験と自助の精神の萌芽

2、「在日」生業体験

3、「在日」の「内憂外患」体験
  @ 家族内での「内憂」
  A 「在日社会」の「外患」
  B 韓国大使館からの「情報提供」要請
  C 全鎮植社長の死去にともなう日本ITFの混乱

4,余の教訓
  @ 何故、「在日」は、未だに「負の遺産」を背負っているのか?
  ・被差別者の「自己肥大」と「非生産的な言動」
  ・被差別マイノリティのマイナス環境
  ・「在日」は、正常かつ公平な競争社会におかれ、かつ自らそこに身をおくべきではないか
   それなくして「在日」の「自己肥大」および「非生産的な言動」は改善されない。

A 「在日」は、真正な韓国国民(もしくは北朝鮮国民)なのか?
  ・日本人に限りなく近い韓国籍・朝鮮籍の人々

  ・武道家としての「韓国徴兵制度免除特権」に対する後ろめたさ。
   「自分は韓国人だ!」というのなら、
   ー韓国国民の義務である徴兵に自己志願すべきではないのか?
   という矛盾と葛藤。
   少なくとも本国の韓国人、とりわけ徴兵の義務を果たしている男子韓国国民は、
   徴兵の義務を果たしていない「在日」の男子を韓国国民とはみなしていない。
   それは北朝鮮の国民も同じだろう、との現実認識。

  ・戦後の安全地帯・日本にいながら、国民の権利を主張しても無理?
   昔の「一世」の時代に、無理が通れば道理が引っ込んだのは、
   韓国政府や北朝鮮政府に対する愛国的本国投資と称していた「寄付」という
   経済的な見返り(外貨・円の獲得)があったからで、
   現代では、それがないのだから、無理が通ることは現実的には難しい。


三、余の日本国籍取得検討の契機

1、「在日社会」が生んだ二人の傑物からの影響
  @わが青春の新井将敬 ー 地元選挙区における宿敵石原慎太郎との闘いの観戦とその死
  A学問上の研究客体、起業家・孫正義観

2、日本人女性との結婚と長男誕生および子孫への希望
  @「外国人配偶者の姓を名乗る届け出」による日本人「河(かわ)」姓の誕生
  A「進歩的知識人」たる妻の懐妊と子供の国籍をめぐる意見対立
    普通とは逆。余は日本籍を希望。
    妻は韓国籍を希望。それがだめなら二重国籍にして20歳で本人が選択すべきと主張。

3、「一世」の父の死と臨終前の予期せぬ「隅田川」の熱唱

4、余の疑問
  安全地帯・日本に生まれ育って永住することで平和を享受し、
  先進国・日本の国家社会制度の枠組みの中で、
  日本語で思考し、日本語を使い、日本食を食べ、日本学校へ通い、
  日本人の友人とつき合い、日本人の恋人を持ち、日本人と結婚し、
  日本の会社に就職したり、日本で起業し、日本人の従業員と顧客に支えられながら
  人生を歩んでいる「在日」が、
  日本人の若い世代が、「在日」に対し寛容かつ友好的な隣人として変化しているのに、
  いったいいつまで「昔の名前で出ています」を歌い「赤穂浪士の討入り」をやろうとするのか?


四、余の「創造的日本国籍取得観」

1、生物としての「在日」
  同化は生物たるものの自然のいとなみであり、同化は罪悪ではない。
  同化をおかしいと非難するのは、非現実的であり、まったく「どうか」してます(笑い)

2、歴史の生き証人としての「在日」

1)不幸な過去があり、それが真実で、重い現実であったとしても、それを許す姿勢のほうが、
  知性的かつ進歩的であり、道徳的かつ倫理的に優れているのではないか。
  たとえば、南アフリカ「真実和解委員会」。

2)日本国民として「歴史問題」を国会や地方議会に陳情し、
  私情を捨てて、公の場で議論しながら正そうとする勢力があっても良いのではないか。
  その際の姿勢は、正しい歴史認識は、韓国や北朝鮮のためではなく、
  アジア外交が端的に示すように、日本の国益にかなう、というものである。
  そのほうが、はるかに、より多くの日本国民の支持を得られるのであって、
  その姿勢の堅持こそが「尊敬される歴史の生き証人の子孫」としての道を開くことになる。

3)1999 年に亡くなったドイツ・ユダヤ人中央評議会のイグナツ・ブービス会長は、余の模範。 
  彼はナチスドイツのホロコーストで父と兄弟姉妹を殺され、本人も急死に一生を得た経歴をもつ。
  彼は、ドイツでネオナチ出現等の右傾化が表面化すると、言論を通じてこれを批判牽制した。
  他方、1996 年に、ワイツマン・イスラエル大統領がドイツ訪問の際、
  「ホロコースト後もユダヤ人がドイツに住んでいることは理解できない」と発言した際、
  「今のドイツは、ナチスのドイツではない」と反論し、定住しているドイツを擁護した。
  ドイツ政府は、彼の言論を守るため、最大限の努力をし、身辺をガードしたという。
  なぜならば、彼の発言を保障することは、「ナチス的なもの」を断罪し、
  現在のドイツの多様性と寛容さを強調し、ドイツの対外的な信用を高め、国益に資する、
  とみなされたからである。

3、創造的な「在日」と韓系日本人

1)「在日」は、韓人と呼ばれるべきであり、移民の末裔という認識が必要であり、
  日本に子々孫々定住するであろう永住民である。
  とするならば、定住する日本のためにも、がんばろうという姿勢が不可欠ではないのか。

  アメリカのパウエル国務長官を見よ。
  彼の出身母体である黒人は、かつて奴隷であったが、現在では、政権の中枢にいるではないか。
  彼はアメリカのためにがんばっているのだが、
  彼の活躍は、黒人の若い世代に希望を与えているのではないか。

  アメリカの黒人達は、人種差別撤廃および人権確立運動の先駆者であった。
  日本では、「在日」が、アメリカにおける黒人と似たような役割を担って来た。
  そういう輝かしい人権確立運動の歴史を「在日」の子孫に教えるべきだ。
  「在日」の努力の結果、日本在留外国人に多大な恩恵をもたらしたはずで、
  それは結果として、日本の国際化を促進し、日本と日本人のためになったのだと。


2)不幸な過去に対する「感情的清算」が済んだ「在日」が、
  制度的には「帰化」であったとしても、
  主観的には「創造的な日本国籍取得」であり、韓系日本人として生きるという道があっても良い

  余は、法務省の面接担当官に言った。
  「勘違いしないでもらいたい。
   余は、民族虚無主義者でもなく、ひどい差別や迫害を受けたわけでもなく、
   朝鮮人・韓国人であることにコンプレックスを持ったからこの場にいるわけでもない。
   日本および日本人を恨んでもいないし、日本で生まれ育ったことを肯定的にとらえている。
   だから、後ろめたい帰化をするのではなく、
   余と子孫達がより一層自己実現をはかるため、創造的な立場で、日本国籍を取得するのです。」


3)最後に、「在日」から韓系日本人に進化したのなら、
  いかなる職業に従事しようとも、
  日本国民として、日本のため、日本人のために、がんばる!
  という姿勢が不可欠だ。
  そういう姿勢が、結果として、祖先の国・韓国のためになる!
  と、余は考えている。