第1部 朝鮮高校青春グラフティーのあらすじ

1970年代の東京。
全盛時代を謳歌していた暴走族やツッパリなどの若年アウトローたちから
「日本最強の高校」
と恐れられ、謎のベールにつつまれていた高校があった。
朝鮮高校である。

日本で生まれ育ち、日常生活でもほとんど日本語を使いながら生活し、
顔や形も日本人そっくりだけど(一部例外あり)
「おまえ達は、日本人ではない。誇り高き朝鮮人だ!」
という民族心を
メチャクチャ苦労させられた親の世代から叩き込まれた若者達が通う学校だった。

朝鮮高校には、掟ともいえる朝高魂があった。
「日本人に負けてはいけないものが二つある。
ひとつは、サウム(ケンカ)
もうひとつは、チュック(サッカー)」

朝高のサナイ(大丈夫。立派な男の意)なら
「ケンカとサッカーだけは絶対負けられない」
と肝に銘じていた。
だから、朝鮮高校生は、ケンカとサッカーだけは、異常に強かった。
もし負けたら「ピヨピヨ」と蔑まれ、まったく相手にされなくなる。

朝鮮高校には名物があった。

まず、独特の髪型と学ラン、チョンバック、ゲソなどの「朝高スタイル」だ。
周囲の目は完全無視。
朝鮮高校独自のシブサに陶酔したのだった。

次いで、「この顔で、本当に高校生?」
と疑問をもたれてもしかたがないオッサンは当たり前。

極めつけは、「エンプラ」や「チョーパン・チョルス」などの「かいぶつ」と呼ばれ、
英雄視された猛者達だ。
まさに朝鮮高校は、「かいぶつ」たちが生息する大都会東京の秘境だった。

そして日本の高校では、「つちのこ」と同じくらい珍しかった「赤いエリート」たち。
大部分のノンポリ朝鮮高校生は、密かに「ペルゲンイ(アカ)」と呼んでいた。
『金日成著作全集』をバイブルやコーランのように肌身離さず、
真っ赤っかに染まった共産主義青年達は、
口に泡を立てながら議論が白熱すると、
今にも近くの派出所を襲って
「打倒!日帝(イルチェ)」と叫び、
有楽町近隣の「江戸城」にデモ行進しそうな危ない熱気があった。

最後に絶対忘れてはならないのは、朝鮮高校のバンカラ教員。
朝鮮高校の猛者達をシメル立場の教員も、当然のことながら猛者だった。


極めつけは、「朝鮮高校のKGB」と恐れられていた生活指導部。
警視庁、神奈川県警、埼玉県警、千葉県警などの少年課と緊密な連絡をとりあい、
当事者を自首させることで、ケンカの処理を穏便にすませるのだった。

だが、朝鮮高校の男学生(ナマックセン)が生活指導部に、
「この傲慢な奴!(イ〜、コンバンジュイ、ノム)」
と目をつけられたら運のつき。
「生活指導!(センファルチド)」と称して
「尋問室」に呼びつけて監禁し、殴る蹴るのヤキを入れるのは当たり前。
その日の気分次第で、木刀やバット、たまにハンマーをふりまわす。
隣の帝国大学病院に緊急入院しなかったのが幸いと言われたのだった。
弱点は、女学生(ニョハクセン)には、甘いことだった。

みものは、周期的におこる教員同士のタイマン。
さすがに生徒の前で殴り合うわけにはいかず、
なぜだかわからないが、日本の国技・柔道で決着をつけるのだった。

謎のベールにつつまれた朝鮮高校での青春グラフティーを、
朝鮮高校2年生(当時)の猛者、ハ・ミョンジョンが語り手となり、回想している。