『朝鮮高校物語ー士官大「天長節」新宿決戦』

              
プロローグ


 学ランの襟に光るサンペンとチマチョゴリが青春のシンボルだった。

 ひらがなやカタカナ、漢字なんてものはまったく無い
 ハングルだけの卒業アルバムを四半世紀ぶりに開いてみると
 青い微笑が溢れている。


 思えば、あの頃のオレ達は、
 けっして輝かしい未来が約束されたわけではなかったが、
 誰もが皆、
 ひかり輝こうと
 精一杯、背伸びしていたのかも知れない。

 異国での青春も、
 日本の若者同様、純情無垢であることに何ら変わりはない。
 オレ達も思春期の若者らしく、
 人生という名の真っ白なキャンバスに、
 思い思いの絵を描こうとしていたのだろう。

 けれども、キャンバスの隣には、
 赤い絵の具だけが
 不自然に盛り上がったパレットが用意されていた。

 真剣な眼差しでオレ達をみつめながら、
 キャンバスを彩るモチーフとして
 強烈な赤を薦め、
 時には微笑みながら強いたのは、
 アカいソンベ(先輩)達だった。


 プモ(父母)の世代同様、
 不幸な時代を色濃く引きずっていたソンベ達は、
 彷徨の季節をさまよいながらも
 良きにしろ悪きにしろ、
 みな、一応に熱かった。

 今思えば、彼らは、
 好むと好まざるとにかかわらず、
 アカかブラックという両極端な生き方を選ぶことで
 傷心の嵐の渦中にあるような異国での青春を
 しのごうとしていたのだろう。

 そして自分が選んだ生き方を
 フベ(後輩)達に強く勧め、
 時には強要することで、
 自分自身を納得させながら
 情緒的安定を保っていたのかも知れない。

 愛国者と民族主義、同族愛と犠牲精神(フィセンチョンシン)。
 それはアカく燃えた先輩達が
 胸をはりながら自己の人生の意義を見いだし、
 矜持(クンジ)と自負心(チャブシム)にひたりながら
 陶酔することを可能とした人生の道標だった。

 彼らは、
 物質的にはかなり貧しかったかも知れないが、
 この甘美な言葉に酔いしれる限り、
 精神的には限りなく豊かであったような、
 そんな気がしてならない。

 たとえて言うのなら、
 キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラのような眼差しで、
 そう、果てしなく無限に広がっている青くて澄んだ空を、
 ただ、じ〜っと、
 懲りずもせず、
 濁りのない澄んだ眼差しで、
 見上げ続けようとしている、
 そんな感じの人々だった。

 けれどもオレ達は、
 熱い先輩たちのアカい誘いにはのろうとはせず、
 かといって毅然と断る勇気もないまま、
 与えられた不自然なパレットに
 水を必要以上に足し
 絵筆を不器用に駆使しながら
 赤をうすめつつ、
 真っ黒な絵の具をふんだんに混ぜることで、
 過激な抵抗を試みようとしていた。

 これから始まる青春の物語は、
 善良なる日本人の読者からすれば、
 限りなく異質で、
 しかも不愉快、
 かつ刺激的で、危険なかおりがするかも知れない。

 けれども、この物語に登場してくる若者達は、
 生まれた時から異質ではなく、
 不愉快かつ刺激的な存在でもなく、
 そして、危険なかおりを醸し出しているわけでもなかった。

 「オギャー!」、
 と生まれたこの日本が、自分の国ではなく、
 「お、い、し、い」
 と初めて覚えた言葉が、自分の国の言葉ではなく、
 物心がつく頃になると、
 近所の子ども達から呼ばれていた名前が、
 「本名ではない」と突然知らされた。

 苦労させられたプモの希望通り、
 ランドセルを背負うと同時に、
 朝鮮人への「変身」を余儀なくされるわけだが、
 その時を境に、
 日本という、オレ達が生まれ育ったはずの国が、
 朝鮮人という異邦人の存在を認めていないことを教えられた。

 東京大学を卒業しても、
 パチンコ、焼き肉、金貸しにしかなれない、
 と諭されれば、
 将来の夢を語れるはずもなく、
 当然のことながら、コンブ(勉強)をする気にはなれなかった。

 けれども、あの頃のオレ達も、
 皆、一応に熱かった。
 オレ達なりに、
 皆、まじめで、
 真剣に、
 そして一生懸命、
 異国で迎えた青い春の彷徨の道程を
 がむしゃらに全速力で走り去ろうと
 もがいていたのかも知れない。

 ただ、アカいソンベ達とは異なり、
 爆発寸前の怒りのマグマの矛先が、
 日本政府にではなく
 同世代のアウトローに向けられたのだった。

 「在日」の英雄・力道山が、
 酒に酔いながら、
 ふと、吐露したと伝わっている言葉、
 「殴ることと、蹴ること以外に、一体何ができるのか?」
 オレ達の過ぎ去りし青春を端的に示す名言だ、と
 オレは思う。 

 物心つく頃から思春期まで、
 次から次へと襲いかかった嵐のような現実。
 この切ない環境に抗おうとした結果として、
 オレ達は、アウトロー達との闘いに明け暮れたのだろう。

 真っ白なキャンバスというものを
 いまだかつて与えられたことのないプモの世代は、
 当然のことながら思い思いの絵を描いたことがない。 
 だから、戸惑いながらも
 子ども達の危うい筆先を
 ただ、じっと
 みつめるだけだった。