『小説朝鮮高校物語ー士官大「天長節」新宿決戦』 第1部朝鮮高校青春グラフティー


第イル章 ロード オブ ザ朝鮮高校


<ハナ> 朝鮮人への「変身」



ある日、朝鮮人に「変身」することになった。本名はまだ憶えていない。

(1)


 六郷神社で産湯をつかって以来、
「河田さんのところの末っ子」とか
「あきむね」とか
「あき」と
呼ばれてきたはずだった。

 北六郷幼稚園でも
「かわだ あきむね」で通っていたし、
やさしくて、きれいだった憧れの和田先生や
ガールフレンドのくに子ちゃんからも
「あっくん」と呼ばれてきたはずだった。

 園児一人ひとりが発表する卒園式の定番、
「ゆめ! おおきくなったら、なににな〜りたい?」で
元気良く答えたはずの
「おまわりさん!」
から、
大きくなった10年後、
追い回されることになろうとは
夢にも思わなかったのだ。

 オレはピカピカのランドセルを背負い
くに子ちゃんと仲良く手をつないで、
スキップしながら小学校の校門を一緒にくぐるはずだった。

(いた!)
くに子ちゃんとお母さんの後ろ姿が見えた。
突き当たりのT字路を右へ曲がり、
近くの北六郷小学校へ行こうとしている。
オレは、いつもとは違って声をかけなかった。
(し〜っ)
少し前屈みになり、右手の人差し指を口の前に立てた。
後ろから「忍者赤かげ」のように忍びより、
 −ワッ!
と大声を出して二人を驚かそうと、
自分に言い聞かせるためポーズをとったのだ。
オレは、クスクス笑いながら、
早足でT字路を右へ曲がろうとした。

(ん?!)
ところが、右へは一歩も進めなくなった。
後ろから服の襟を捕まれてしまったのだ。
おかあちゃんだった。
彼女は、不思議そうな顔をしているオレの顔をじっと見つめ、
いつもとは違う微笑みで静かに言った。
「あきむね、ごめんね。そっちじゃないの」
「どうして?」
とは聞かなかった。
いや、より正確に言うと聞けなかった。
いつも元気なおかあちゃんが、
今日は朝から元気がないので、ガキなりに心配だったからだ。

「・・・」
オレは無言でおかあちゃんを見上げた。
おかあちゃんは、腰をおろしてオレと視線をあわせた。
微笑ながら、オレの小さな手を痛いほど強く握りしめながら言った。
「今までだまっていたけど、
 あきむねが行く学校はね、違うのよ。
 いい子だから、良く聞いてね。
 くに子ちゃんとは、同じじゃないのよ、あきむねは。
あきむねが入る小学校は、
 ちょっと遠いところにあるけど、
 毎日バスや電車に乗れて楽しいはずよ。
 新しい立派な先生や、やさしいお兄さんとお姉さん達が、
 きっとあなたをだいじにしてくれるわ。
 新しい同胞のお友達もたくさんできるしね」

「・・・」
オレは、ちっとも嬉しくはなかった。
逆に、ガキなりにかなり大きなショックを受けてしまった。
幼稚園の頃と同様、
毎日、くに子ちゃんと手をつないで同じ小学校へ行き、
一緒に思いっきり遊んで、
楽しく笑いながら手をつないで帰ってくる、
当たり前のように思っていたルンルン生活ができないなんて・・・

「・・・」
「さぁ、行きましょう。バスの時間に遅れちゃうわ」
おかあちゃんは、オレの手を引っ張り、
くに子ちゃん親子とは、まったく逆の左へ曲がり、
バス通りへと向かうのだった。
オレは歩きながら、何度も後ろを振り向いた。
くに子ちゃんの後ろ姿が、だんだん小さくなっていった。
(くに子ちゃん・・・)




(2)


「ぞうしき〜、雑色商店街で〜す。
 お乗りの方はお気をつけてご乗車下さいませ〜。
 お客さんはどちらまで行かれますか? 
 お坊ちゃんは小学生ですか?」
「ええ、今日から小学生です。
 蒲田まで大人1枚、子ども1枚ください」

オレは、バスガールのお姉さんから、
 ー小学生?
と言われて、急に恥ずかしくなり、
顔が真っ赤になってしまった。
おかあちゃんはもちろん、
バスガールのお姉さんや入口付近の乗客が、
和やかなやさしいまなざしでオレを見ていた。

これが数年後の同じバス内で、
「敵意の視線」に変わろうとは、
夢にも思わなかったけど。

「運転手さ〜ん! 発車! オーラーイ!!」
「了解! 出発! 進行!!」
はじめて乗ったバスは、やけにトロかった。
道が混んで、ぜんぜん前に進まないのだ。
終点の蒲田に到着する頃、オレはへとへとになった。
満員のバスにすし詰め状態、
そしてあの何とも言いようのないバスの臭い、
しかも交通渋滞となれば6歳のガキには酷すぎたのだ。
くに子ちゃんショックのダメージも尾を引いている。

「だいじょうぶ? 酔っちゃった?」
「あたりまえだろ!」
と言いたかったが、
おかあちゃんに元気が無かったので我慢した。
「・・・」
オレは、口をへの字にまげ、
無言でおかあちゃんを睨んだ。
すると彼女は、ばつが悪いらしく、視線をそらしてしまった。
「さぁ、もうすぐだからがんばりましょう」

オレは、はじめて蒲田駅前に立った。
数年後、
まさか、この駅周辺のいたるところが、
「古戦場」になろうとは
夢にも思わなかった。

大きな階段を登った。
数年後、
まさか、ここが、
タイマンの最中、
脂ぎった私服のデカから警察手帳をつきつけられ、
派出所に強制連行される「運命の13階段」になろうとは
夢にも思わなかった。

国電と私鉄の改札口を結ぶ真っ直ぐな連絡通路を歩いた。
数年後、
まさか、ここが、
ポリ公から走って逃げる時だけ
100mを11秒台で走る
「奇跡の競技場」になろうとは
夢にも思わなかった。

東Q線の改札口で切符を切ってもらった。
数年後、
まさか、ここで、
左手の指が「4本+半分」のヤクザ相手に
「タンカを切る」ことになろうとは
夢にも思わなかった。

オペラでもやれば、
さぞかし良いだろうと思える
天井の高いヨーロッパ風のホームで電車を待った。
数年後、
まさか、ここで、
バラ高校生300人と、
ベトナム戦争のような大乱闘をやり、
怒号と悲鳴を轟かせることになろうとは
夢にも思わなかったのだ。

今思えば、
この夢にも思わなかった運命の序曲は、
おかあちゃんが電車の切符を買おうとした時から、
始まったような気がしてならない。
「万鳥町まで、大人1枚、子供1枚ください」
「・・・」
「あの〜、万鳥町まで切符を下さい。」
「聞こえています。
 マ、ン、ト、リ、チョ、ウですね」
駅員は冷たい眼差しで、
おかあちゃんとオレを射るように見ていた。
バスガールのお姉さんのやさしい眼差しとは、
天と地ほども違うので、
ガキでも察することができたのだろう。

(なんだ、このクソじじい!)
オレは、生まれて初めて、
この不愉快な駅員にガンをつけてやった。

3両しか無い古びた電車にゆられてしばらくすると、
 ー万鳥町
というしなびた小さな駅についた。
駅の周りに本屋とそば屋、質屋等が数件あるだけで、
あとは原っぱが目立つ町だった。
「ここからもうすぐよ」
「・・・」
オレは、あいかわらず不機嫌だったので何も答えなかった。

(?!)
電車が走り去ると、
同じ電車に乗っていた学生服を着た
坊主頭のお兄さん達が、
改札口ではなく、
線路に跳び降りて走って逃げていったのだ。

「あのお兄ちゃん達は、何をしているの?」
「・・・」
今度はおかあちゃんが黙ってしまった。
どうやら答えたくないようだった。

駅員も気付いているようだった。
けれども、追いかけて捕まえるどころか、
「待て!」
という声すらだそうとはしなかった。

おかあちゃんは、
少しうつむき加減になって改札口を通ろうとした。
きっと駅員と目を合わせたくなかったのだろう。

駅員が左右の手で乗客から切符を受け取りながら
鋭い目を光らせて不正がないかを確認している。
おかあちゃんが、切符2枚を手渡し、
改札口をとおり過ぎた矢先、
「チョン」
という吐き捨てるような低い声が確かに聞こえた。

(!)
おかあちゃんが、一瞬立ち止まった。
けれども振り向こうとはしなかった。
聞こえなかったふりをして、
無言でオレの左手を握りしめ足を踏み出した。

オレは引っ張られるように、ついていったが、
あの意味不明な謎めいた言葉が、
やけに気にかかったので、
おそるおそる振り返ってみた。
けれども万鳥町の改札口は、何も変わった様子はなかった。




(3)


にぎやかな音楽が聞こえてきた。
「あそこよ。あきむねの学校は」
「・・・」
建物に近づくにつれ、
だんだん、だんだん、ボリュームが大きくなってくる。

   パーパ、パッパ、パパパッ、
   パッパ、パッパ、パパパッア〜
   パーパ、パッパ、パパパッ、
   パッパ、パッパ、パパ〜ン
   ジャァ〜ン!

まったく聞いた憶えがない曲だけど、
何だが、こう、
肘を伸ばした左右の腕を前後に大きく振って
膝を高く上げながら、
大地を踏みしめるように、
力強く前に進もう!
そんな明るい気分にしてくれる曲だった。

小さな鉄格子の裏門が見えた。
正門までは、もう少し歩かなければならなかった。
歩きながら分かったのは、
学校が大きな塀に囲まれている、
ということだった。

「おかあちゃん、あれはなあに?」
好奇心旺盛なガキには、大きな塀も気にはなったが、
それよりも、塀の上に、
ギラ、ギラ、ギラ、ギラッ、
と不気味に光っていた四段構えの有刺鉄線だった。
白黒テレビで見たことのある監獄の塀に似ており、
やけに刺激的だったのだ。

「これはね。悪い人から、あきむね達を守るためのものなのよ」
「ふ〜ん。わるいひとって、だあれ?」 
「・・・」
おかあちゃんは何も答えてはくれなかった。
(うちゅうじんかな?)
この頃のオレは、悪いことは何でも宇宙人の仕業だと思っていた。
「すこし遅れてるわ。さぁ、早く行きましょう」

正門は、真っ赤な看板に囲まれていた。
「?!」
顎を上げて口を少し開きながら目をぐるりと回すと、
見たこともない、へんな記号のようなものが
 ドカ、ドカ、ドカッ
と白いペンキで、ぶっとく、そして力強く書いてあった。

この奇妙な正門をくぐると、
右側に受付のような机がおかれていた。
イスに座っていた若いお兄さんとお姉さんが
すかさず立ち上がって、
さわやかに微笑みながら頭を下げ
「#%&@*カ!」
「#%&@*カ!」
と、ほぼ一斉に意味不明な大声をだした。

オレの耳は、語尾の
「・・・・・カ!」
しか聞き取れなかった。
ところが不思議なことに、
おかあちゃんは、
この意味不明な大声を理解しているようだった。

「?!」
信じられないことがおこった。
おかあちゃんが、頭を下げながら、
「*#%&@&%#&%」
と、二人と同じような意味不明な声をだしたからだ。

すると、お兄さんが、
「#%&@*&#$%!」
と、やはり意味不明な声で答えたようだった。

オレにとっては、
何のことやらさっぱり分からない「暗号」のようなもので、
一人だけ仲間はずれにされたような感じがして、
今風に言えばムカついた。

お姉さんが、近づいてきた。
オレの前に来ると腰を下ろし
 ニコッ
と微笑みながら、胸に名札をつけてくれた。

(ウッ!)
お礼を言わなければいけないことぐらい
ガキでも分かっていたが、
アップで迫ったタラコ唇の隙間から
オレの苦手なニンニクのにおいが
 プ〜ん
としてきたので、前に下げるべき頭が横に向いてしまった。

お姉さんは、一瞬、
ムッ!
という顔をしたが、すぐ元の似合わない笑顔に戻った。
思えば、これが彼女との悪縁の始まりだったのかも知れない。

お姉さんの顔はともかく、着ている服はとても綺麗だった。
この綺麗な服には見覚えがあった。
2ヶ月に一度位、おかあちゃんが、
「チょ〜タんチャ〜ないよ〜!」
とか
「コの、パカタれ! いいカケん、シろ!!」
と怪しい日本語を使うおじさんやおばさん達と
花見や旅行に行ったり、
ムジンという不思議な会合に集まるときだけ着ていたからだ。

同時にオレは、
あの怪しい日本語を使う大人達も、
この意味不明な「暗号」を使っていたことを思い出した。

そう言えば、受付のお兄さんとお姉さんにも見覚えがあったし、
この「暗号」を使っていたことも思い出した。
昨年のさくらが咲く頃から、
今年、生まれて初めて作った雪だるまがとける頃まで、
何回も何回もオレの家にやってきては、
おとうちゃんの屑鉄屋の事務所で難しい話をしていたからだ。

オレは、「忍者赤影」の真似をして、
薄い扉に耳をつけ、
バレバレの盗み聞きをしていたが、
何のことだかさっぱり分からなかった。
大人の話す日本語もガキには難しかったが、
それよりも、会話の半分以上が、
「*#%&@&%#&%」
「#%$#&%&%#!」
と、まったく理解できない「暗号」だったので、
ガキなりに困惑してしまったことがあった。

この意味不明な「暗号」について
あれこれと記憶をたどりながら思い出している矢先、
オレは、おかあちゃんに左手を引っ張られ、
正門と校舎の間にある運動場に足を踏み入れた。

この学校の生徒のようなお兄さんやお姉さん達が、
オレ達のような新入生親子が通れるように、
真ん中をあけながら縦2列に並び、
「*#%&@!」
「#%&@*!!」
「%&@*#!!!」
と、またもや意味不明の「暗号」を叫びながら
大きな花束と花吹雪で歓迎してくれた。

歓迎の列をとおりぬける頃、
元気がなかったはずのおかあちゃんも
いつものとおり、明るく元気な顔に戻っていたので、
オレも何となく嬉しくなった。

2ヶ月前に和田先生と下見にいった北六郷小学校の
半分ぐらいしかない運動場には、
小さなイスと大きなイスがおかれていた。
どうやら、ここで入学式をやるようだった。

さっきの受付のお姉さんが、
  ニコッ
と笑いながら、オレの背中に手を当て、
「&%#$&%&」
と、あの「暗号」を喋り、オレ達親子を席に案内してくれた。

イスに座って見上げる3階建ての校舎は、
北六郷小学校と比べると、けっして大きくはなかったが
新築間もないようで、とてもきれいだった。

けれども、ガキなりに不思議だったのが、
校舎のど真ん中に、
大人4人分もありそうなバカでかい肖像画が
  ドシッ
と掲げられていたことだった。
(だれだろう? このオジさんは?)

見たこともないオジさんの肖像画の左右には、
これまた、どでかい旗のようなものが飾られている。
(どこのくにの、はただろう?)
北六郷幼稚園の運動会はもちろん、今まで見たことがない旗だった。
真ん中より左側にマルで囲まれた大きな赤い星のマークがあり、
赤がやたらと目立つ旗だった。

好奇心旺盛なオレは、周囲を見渡した。
ここには体育館らしきものはなく、
楽しみにしていたプールもなかった。

「?!」
運動場の右斜め端に、
今まで見たこともない巨大なブランコのようなものがあった。
(あんなのをのれるのは、きっと、うちゅうじんしかいない!)
と思う程、とてつもなくデカかったのだ。

しばらくすると、
いきなり大声で司会者のような大人の男の人が
「*#%&@&%$#!」
とあの「暗号」で叫んだ。
すると、大人達が一斉に立ち上がって起立した。

あの笑顔のお姉さんが、
「みなさん! 立ちなさい!」
と怖いお姉さんに豹変し、語気を強めて命令したので、
新入生は皆、しぶしぶ起立しなければならなかった。

校舎の屋上に置かれていた大きなスピーカーから

  パララ、タッタ〜
  タタタ、タッ、タァ〜
  タタタ、ター、ター、ター、ター
  タッ、タッタタン
  ジャ〜ン

という勇まし曲が、うるさいほど大きな音量で流れた。

大人達が皆一斉に歌い始めた。
「???」
いったい何を歌っているのか、
じぇ〜ん、じぇ〜ん、
分からなかった。

口をエネルギッシュに動かしながら、
意味不明の歌を声高々に合唱する大人達は、
まるで火星から攻めてきた宇宙人のようだった。

歌詞の一部分だけが、聞き取れたような気がした。
こんな感じで。

  チャン%$サン*#%&@イヤ#@ラ〜
  ミ*%キンギン*#〜イヤ#@ラ〜
  オ〜%&@*#*#%$ウエ〜
  &@#%&@*%&@*ウッ
  アアア〜
  ク%&#クリ&ウリ〜#チャン%&〜
  アアア〜
  ク$#%$&%キ〜ミ#チャ%&〜

(ちゃん? きんぎん? くり?)
何のことやらさっぱり分からない。
この歌こそが、朝鮮人ならば絶対覚えなくてはならない
朝鮮学校や朝鮮人連盟のイベントでの冒頭定番曲
『金日成将軍の歌(キミルソンチャングネノレ)』
との初めての遭遇だった。

この入学式は、はっきり言って長かった。
見たこともないおじさんやおじいさん達が、
何人も壇上に登っては、
「*#%&@#%&@*%&@*##%&@*
 %&@*#*#%&@#%&@*%&@*#・・・」
とあの「暗号」で演説をする。
ガキでも気付くことが、
演説をする人達は、
カニでもないのに、口に泡をためていることだった。
しかも、ところどころで興奮して、
「*#%&@#%!!」
と力強い声で訴える。
すると、座っていた大人達やお兄さんお姉さん達が、
一斉に起立して、力強い拍手で応えるのだった。

そして最後の方では、かならず、
「*#%キミ&@%#マンセ!」
と絶叫していた。
すると、集まった人々は、一斉に起立して両手を挙げて、
「*#%キミ&@%#マンセ!」
と両手を高々と挙げて前後にふった。

オレには、なんのことやらさっぱり分らなかったが、
「さぁ、みなさんも立ち上がって万歳しましょう!」
と変身した怖いお姉さんが言ったので、
(かっこわるいな〜)
と思いつつも、
(やらないと、おこられるかもしれない)
と感じたので、しぶしぶ従った。
今思えば、この頃からすでに
真っ赤かの金日成主義者が軽蔑する
 ーチュチェなし
だったのかも知れない。

お姉さんは、両手を挙げながら、
「さぁ、みなさん! 見て!
 こういうふうに手を挙げて、
 マンセー! と大きな声をだしなさい!」
と興奮気味に命令する。

「おねえさん! わきから、くろいものが、はみでてる!」
と忠告できるわけもなく、
ご主人様の命令に忠実なロボットのように
動かなければならなかった。

ところが、これがウンザリするほど何回も繰り返される。
座りながらの拍手は、幼稚園でも良くやらされていたので
苦にはならなかった。

だけど、何回も起立するマンセ(万歳)は、正直つかれた。
両手の位置は、
最初は、西部劇で、腰抜けが命乞いをするほどの高さだったが、
だんだん、大クワガタから小クワガタのハサミのようになり、
最後らへんは、
幼稚園の学芸会でやったウサギの耳のようになっていた。

こうして宇宙人のような意味不明の言葉で溢れる入学式は、
オレの限界を超えて、えんえんと続くのだった。
オレは、明らかに不思議の国のアリスだった。




(4)
やっと、ヤット、やっト、ヤッと、
なが〜い、ナガ〜イ、なガぁイ、
入学式が終わった。
校舎をバックにした記念撮影を終えると、
新入生は、母親とともに2階の教室に案内された。
オレは、解放感も手伝って真っ先に教室へ行こうとした。

(?!)
頑丈そうな分厚い鉄製の扉が、オレの入室を阻んだ。
下見に行った北六郷小学校の教室の木製扉とは、
じぇ〜ん、じぇ〜ん
違うので、かなり戸惑ってしまった。

(これも、わるいうちゅうじんから、まもるためかな?)
と空想している矢先、
追いついたおかあちゃんが、
「ちょっと、どいて」
と言ってオレをどけ、
右手の4本指を鉄扉のくぼみに、
そこからやや上の隙間に左手の4本指を入れて、
「よいっしょ!」
と言いながら、扉を開けた。

 ガラ、ガラ、ガラッ

オレの家は、鉄屑屋なので、
鉄に関しては、ガキでもなかなかウルサイが、
音からして、かなり重いと感じた。

教室の左側を見ると
北六郷小学校と同じように、黒板と教壇があり、
対面には小さな机とイスとが整列してあった。
席は、まだ決まっていないらしく、
同級生達は、それぞれ気ままに座っていった。

大人のイスは、後ろの壁と少し離して1列に置かれていたが、
どうやら全員は座れないようで、
若いお母さん達は、
自分よりも年上のお母さん達に席を譲っているようだった。
おかあちゃんは、真ん中の席を勧められて、照れくさそうに座った。

オレは、おかあちゃんが42歳で産んだ「恥かきっ子」らしい。
よい子の皆さん!
「恥かきっ子」の意味は、「電話相談室」で聞いてくれ。
キーワードは、酔っぱらいと満月の夜だ。
まぁ、そういうわけで、
おかあちゃんは、この中で一番年上ということになり、
一番良い席をあたえられたことになる。

オレは、えらそうに真ん中の列の一番後ろに座った。
おかあちゃんの側にいたかったからだ。
すぐ後ろに、おかあちゃんが座っているのを確認すると
安心して黒板の方に顔をうつした。

(?!)
黒板の上に、写真のようなものが飾ってあることに気付いた。
着ている服は違うが、校舎の真ん中に、
 ドシッ
と飾ってあった
(あのデカい、エのおじさん?!)
のような気がした。

 ガラ、ガラ、ガラッ

黒板側の鉄製の扉が開いた。
(タラコくちびるの、ニンニク・パンチの、
 わきがくろかった、めいれいする、こわいおねえさん!)
が颯爽と入ってきたのだ。

教壇の前に立った怖いお姉さんは、深々と一礼した後、
「#$%&#$カ! &%$%&$&#&$&%!!
 新入生の担任となりました趙ミレです。
 よろしくお願いいたします」
と「暗号」と日本語で挨拶し、再び一礼した。

 パチ! パチ! パチ!

と歓迎する無邪気な母親達とは裏腹に、
オレは、ガキなりに、
名札をつけてもらう際、
強烈なニンニク・パンチに負けてしまった我が身を悔み
(やばい!)
と危機感を感じてしまった。

怖いお姉さんは、満足げに、あの似合わない笑顔になった。
持参した黒いノートを机の上で開くと、
「新入生のみなさん!
 今から一人づつ、自己紹介をしてもらいます。
 いいですか! みなさん!
 先生から指名された人は、大きな声で自分の名前を言って下さい!」
と言った。

男の同級生の一人が右手を高々と挙げて
「はぁ〜いッ!」
と大きな声で答えた。
すると、後ろの席から
 クス、クス、クス
と母親達の穏やかな笑い声が聞こえた。

これぐらいの歳のガキは、ピエロと同じだ。
喜んでいる母親達の気配を察した同級生達は、
皆、先月まで通っていた幼稚園のノリで、
「はぁ〜いッ!」
「はぁ〜いッ!」
「はぁ〜いッ!」
と一斉に答えた。

怖いお姉さんが、
 ニヤリッ
とタラコ唇を少しだけ動かし、ほくそ笑んだ。
「トンム達は、日本人ではありません!
 いいですか、これからは、
 ハイッ! と答えないで、
 イェッ! と答えなければいけません!」
と強調し、右手をちょび髭ヒトラーのように挙げた。

「おねえさん! また、あのくろいものが・・・」
と言えるはずもない。
そんなことよりも、初めて会った女の人に
 ー日本人ではない
といきなり言われたので、ガキなりに戸惑ってしまった。

だいたい、おとうちゃんやおかあちゃんも近所の人から
 ー河田さん
と呼ばれていたし、
家業の鉄屑屋の屋号も
 ー河田商店
だったし、
家の中でも、おとうちゃんもおかあちゃん、
あんちゃんやねえちゃん達も、
毎日、日本語で話していたし、
オレも
 ーあきむね
としか呼ばれていなかったじゃないか。
だから、自分が日本人であるとか、ないとかを考えたこともなかった。

「はい、真ん中の一番後ろに座っているトンム!」
(え!)
 ートンム(同務)
という意味は分からなかったが、
オレを指名していることは分かった。
やはり根に持っていたのか、ニンニク・パンチ女!

オレは、心臓が止まりそうだった。
「さぁ、立ちなさい!」
オレは、後ろを振り返り、おかあちゃんの顔を見た。
彼女は微笑みながら顎を軽く上げたので、
オレはしぶしぶ立った。

「トンムの名前を言ってごらんなさい」
(・・・)
オレは、かなり緊張していたので即答できなかった。

「さぁ、緊張しないでね。
 もう一度聞くわよ。トンムの名前は何ですか?」
おかあちゃんが、
「がんばって!」
と励ましてくれた。
すると、周りの母親達が、クスクスと笑った。

オレは勇気を振り絞って答えた。
「か、かわ、だ、あ、あき、む、ね」
怖いお姉さんは、
 ー待ってました、
という感じで、にやけながらオレに言った。

「いいえ、違います。
 あなたは、かわだ あきむね、ではありません
 それは本当の名前ではないのですよ」
「エッ?!」

さすがに今まで使い慣れた自分の名前が、
 ー違うぞ! 本当の名前じゃない!!
と初めて会った女の人に言われれば、
ニンニク・パンチの臭い以上に、ビックリするだろう。

「トンムの本当の名前は、
 ハー・ミョンジョンです」
「はぁ〜?」

教室内にドッと笑いがおきた。
同級生の子ども達には意味が分からないはずだが、
大人につられて笑う奴が多かった。

怖いお姉さんは、オレを見つめて
(さっきの仕返しよ!)
とは言えないまでも、
(してやったり!)
という表情をしながら言った。

「はぁ〜?、ではありません。
  ハです。
 トンムは、姓がハ、名はミョンジョンです」
「・・・」

彼女は、教室全体を見渡しながら言った。
「いいですか、みなさん!
 この教室に集まっているみなさんは、日本人ではありません。
 みな誇り高きチョソンサラム(朝鮮人)なのです。
 みなさんは、優秀な朝鮮民族としての立派な本名があります。
 三千年以上のすばらしい歴史と文化、ウリマル(朝鮮語)があります。
そして栄光に満ちあふれた偉大な祖国があるのです。
 いいですか、みなさん!
今住んでいる日本は、外国なのです。
そして日本語は、外国語なのです。
 だからみなさんは、これから立派なチョソンサラムになるために
 自分の祖国・朝鮮の歴史と文化、ウリマルを学ばなければなりません!」

(チョ、ソ、サ、ラ?)
日本人とか、朝鮮人とか、
難しことはガキにわかるわけがない。
ただ、このての話を延々と聞かされれば、
何となくだが、
自分が今まで遊んできた近所の子ども達や幼稚園の同級生達とは、
 ーじぶんは、ちがう
ということだけは理解できた。

彼女の「演説」は延々と続いたが、
ーじぶんが、ちょうせんじんだ!
ということよりも
 ーじぶんが、にほんじんではない!!
という事実、
そして、
 ーハ・ミョンジョンがほんとうのなまえ!
ということよりも、長年使い慣れてきた
 ーかわだ あきむねが、にせのなまえ!!
という事実が
ショック、しょっく、大シょッくで、
他の「演説」内容はまったく憶えていない。

こうしてオレは、
生まれて以来、6年間も慣れ親しんできた
「かわだ あきむね」に別れをつげ、
「ハー・ミョンジョン」
というやけに難しい朝鮮人名を名乗らなければならなくなった。

変わったのは自分の名前だけじゃない。
これからは、おとうちゃんは、アボジ、
 おかあちゃんは、オモニ
 あんちゃんは、ヒョンニム、
 ねえちゃんは、ヌナ、
 怖いお姉さんは、先生様(ソンセンニム)と呼ばなければならないのだ。

それだけじゃない
 おはようございますは、アンニョンハシンミカ、
 ありがとうは、コマッスンミダ、
 ごめんなさいは、ミアナンミダ
と言わなければならないのだ。
 
こうしてオレは、
朝鮮人「ハ・ミョンジョン」に「変身」しなければならなくなった。
不思議なことに「かわだ あきむね」ではなくなったオレには、
だんだん、だんだん
 ー朝鮮人バリヤー
という「精神的な壁」のようものができてしまった。

近所の子ども達とはもちろん、
あれほど仲の良かったくに子ちゃんとも、
遊ぶどころか、道ばたであっても無視し、
へたをすると睨んでしまう、
そんな悲しい態度をとるようになってしまったのだ。

(なんで、くに子ちゃんに、こんなことをするのだろう?)
と布団の中で、ガキなりに自問自答し、
後悔する日々が続くのだった。
オレは、「ハ・ミョンジョン」に「変身」すると同時に、
ガールフレンドと別れなければならなかったのだ。
何て悲しくも奇妙な初恋の結末だろう・・・

とかなんとか悲しんでいる間に、
半年間はあっという間に過ぎていった。
担任のニンニク・パンチにも慣れ、
アー、ヤー、オー、ヨー、ウー、ユー、ウー、イ・・・
とか、
ク、ヌ、トゥ、ル、ムー、ブー、ス・・・
と、北朝鮮式の朝鮮語の母音や子音、単語や文法を教わるにつれ、
入学式の際には、
「&%$#&%$##%&$%&#%&%」
という「暗号」にしか聞こえなかったものが、
「トンムヌン チョソンサラム インミダ(あなたは朝鮮人です)」
と少しづつだが理解できるようになった。

やがてオレは、秋の運動会を迎える頃には、
立派な朝鮮人少年に「変身」し、
伝統的な朝鮮の民族服を着こなして、
楽しそうに踊ったりもした。

今思えば、ルンルン気分だったな。
なぜか? って。
同級生の可愛い朝鮮人少女、
韓浩子(ハン・ホジャ)が常に隣にいたからさ。
6歳の春にあっけなく散った初恋での傷心は、
7歳の秋には、セカンド・ラブで癒されたことになるな。
ど〜だ、まいったか! 電車男!!