『小説朝鮮高校物語ー士官大「天長節」新宿決戦』 第1部朝鮮高校青春グラフティー


第イル章 ロード オブ ザ朝鮮高校


<トゥル> プロパガンダ


チョソンサラム(朝鮮人)でありながら、ササン(思想)が無い奴は、ダメなのだ。

(1) (2) (3) (4)


ウリ朝高生(チョーゴセン)は、
日本人の祝日や祭日を祝うことはなく、
学校を休むなんて、とんでもないことだった。
そんなことは、小学・中学・高校と
10年以上も朝鮮学校に通っているオレには、
あたりまえのチャンチキおけさだ。

入学式から一週間が過ぎる頃、
朝鮮学校独自の放課後のイベント・一日総括(ハルチョンファ)で、
あの怖いお姉さんから出世した趙ミレ・ソンセンニムが、
「朝鮮民族最大の名節(ミョンジョル)が近づきつつあります!」
と、つり上がった目をウルウルと躍動させながら強調したが、
「あっ、みみずだ!」
と言えるわけもなく、ただ、だまって聞いていた。

朝の朝礼でも、校長先生様(キョジャン・ソンセンニム)達の話題は、
「祝 金日成将軍様の誕生! マンセ〜!!」一色になる。

 ー偉大な祖国(チョグッ)、
  朝鮮民主主義人民共和国(チョソンミンジュジュウィインミンコンファグッ)
  の輝かしい未来を担う未来の主人公(ミレヘチュインゴン)は、
  朝鮮民族最大の名節、
  金日成(キミルソン)将軍様(チャングンニム)の
  誕生日を熱烈に祝賀しなければならない!

と耳に明石焼きができる程、叩き込まれるのだ。

朝鮮学校入学と同時に、付き合いが始まった
真っ赤っかに燃えるソンセンニム達の興奮とはウラハラに、
ガキのオレには、金日成が偉大かどうかは、
じぇ〜ん、じぇ〜ん、
わかるはずもない。

入学式のあのドデカイ肖像画や
教室内にある写真のオジサンの名前が、
悪い宇宙人から地球を守る地球防衛軍の偉い将軍ではなく、
(ちょうせんの、きむ・いるそん、という、しょうぐんらしい)
という程度のものだった。

ただ、嬉しかったのは、
通学の疲れが、ドッと出始める4月半ばの15日に、
学校を休めることだった。

この日は、毎年のようにアボジの知人が尋ねて来た。
朝鮮生まれの「一世」は、例外なく政治談義が好きで、
アボジとの激論の最中、酒でも入れば、必ず
「自分が韓国に住んでいれば絶対大統領になった!」
と興奮するのだった。

青山さんも、その中の一人だったが、
他の「一世」と若干違うのは、
韓国の大統領ではなく、
「絶対、韓国の国会議員ぐらいには、なったはずだ!」
と言うのが口癖だった。

青山さんは、朝鮮生まれの「一世」らしいのだが、
本名の朝鮮名は、長年付き合っているはずの
アボジもオモニも知らなかった。
でも、青山さんは、特定できるだけマシな方だった。

この頃のオレは、電話をとるのが好きで、
家にかかってくる電話を片っ端からとりまくっていた。

ジリ、ジリ、ジリ〜ン

「はい! もしもし」
「かわタさう〜んの、おタく、テすか〜」
「・・・(にほんご?)」
「モし、モし! かわタさう〜んの、スえっこカナ?」
「は〜、みょんじょんです」
「オ、オ〜! チョー鮮名を知ってル! いいコ、タね〜」
「だれですか? アボジはいません」
「アハハ、ワタしはね〜、横浜の李(リー)テす」
「・・・(よこはまの、り〜?)」

アボジ本人が入れば問題ないのだが、
留守だと誰から電話が着たのか特定できなかった。
なにせ、
 ー川崎の朴(パク)
だとか、
 ー千葉の崔(チェ)
だとか、
 ー埼玉の姜(カン)
と名乗られても、留守だったアボジには、
「朴とか、崔とか、姜とかじゃ分からんな?
 何せ朝鮮人の五大姓で、たくさんいるからな・・・」
と、いうことになるのだった。

でも、それはまだましな方で、
「やぁ、北海道の金テす!」
とか、
「よかぁ、九州の金タい!」
と言われ、さらにひどいのになると、
「東京の金です!」
と名乗られたら、お手上げで、
「いったい、朝鮮人で一番多い金(キム)が、
 日本に何人いると思っているんだ!」
とアボジが怒るのだった。
だから、わが家では、
 ー怪しい日本語の使い手からは、かならず日本名を聞け!
ということが鉄則になったのだ。

その点、青山さんは、身元がはっきりしているわけだが、
やはり日本語の濁音の発音が苦手で、
 「じょ」を「チョ」、
「だ」を「タ」、
 「つ」を「チュ」、
 「ぶ」を「プ」
と言ったり、会話のところどころで語尾をのばす
怪しい日本語の名手だった。

青山さんに言わせると、
「チョータんチャ〜ないよ〜。わタしはね〜
 米のひとチュプだって、金日成からもらっチャぁ〜いないよ!」
と右の額の斜めに、
鴨緑江(アムノッカン)のような大きな青筋を
 ピクッ、ピクッ
と立て、白黒テレビでしかお目にかかれない
越前ガニのように口の端から泡を吹きながら
吐き捨てるように言った。

二人の話題は、ベーゴマのように、ウィ〜ン、ウィ〜ンと変わる。
青山さんは、アボジの机の前に陣取り、
電話が鳴るのを、いまかいまかと待ちわびているオレを
まじまじと見つめながら、突然、思い出したように、
「あんタ〜ね〜、末っ子を朝鮮学校なんカに行かせテね〜
 ペルゲンイにする気カ!
韓国に親兄タいカいるんタロ!
 まさカ! 親戚に迷惑、カカるこトを、知らないわケチャあるまい!」
と左の額のやや斜めに、
豆満江(トゥマンガン)のような小さな青筋を立てながら
容赦無用で、機関銃のようにアボジを責めるのだった。

「・・・」
アボジは痛いところをつかれたらしく、めずらしく沈黙で答えた。
朝鮮高校に入って知ったことだが、
韓国には、反共産主義・反北朝鮮の法律があり、
親兄弟はもちろん在日の親戚が一人でも
北朝鮮との関係が疑われた場合、
 ーあの一族は、ペルゲンイ!
とみなされて、韓国の親戚一同がひどい目にあう
連座制という情け容赦の無い制度があったらしい。

「あんタ〜!、知ってるタロ!!
 横浜の李さんのチ慢のタねだった優秀な甥っ子!
 苦労しテ、ソウル・テハッ(大学)、テて、
 高級官吏になって生粋のヤンパン(両班)になっタのに、
 日本に仕コト来テ、
 李さんと羽タ空港テ、数分会って握手したタけなのに、
 甥っ子が韓国に帰ったら、
 ペルゲンイのスパイと疑カわれて中央官庁をクピになっタのを!
 それもこれも、あんタ! 
 李さんカね、朝鮮人連盟のププネチャン(副分会長)なんカやっテ、
 子トもを3人も朝鮮学校に入れていタからチャないカ〜!」

「そんなことは、あんたに言われなくても、わかっている」
朝鮮高校入学後にアボジから聞いた話だが、
アボジは朝鮮生まれの「一世」だけど、
子どもの頃から二人の兄と共に、日本に出稼ぎに来て、
九州筑豊の炭坑夫やら、京都西陣織の織手やら
当時の朝鮮人ができる仕事は何でもやって
日本各地を転々としていたらしい。
だから大人になって日本に来た「一世」とは違い日本語がうまい。
訛りが無く、怪しい日本語を使わなかったのだ。
だからオレも、小さい頃からおとうちゃん=アボジのことを
何ら疑うことはなかったのかも知れない。

青山さんは、脳卒中でも起こしそうな剣幕で怒鳴った。
「なら、なんテ! 北鮮(ほくせん)なんカ、
 支チする朝鮮学校に行かせタんタ!」
これは朝鮮中学入学後に教わったことだが、
日本人にとって「朝」という字は、
昔から「朝廷」を意味する天皇ゆかりの漢字らしい。
だから朝鮮人や北朝鮮に、
 ー尊い「朝」を使うのは不遜であり、けしからん!
ということで、それぞれ「朝」を抜き
鮮人(せんじん)とか、北鮮と蔑称し、
日朝とはいわずに、日鮮(にっせん)を使用してきたらしい。

不思議なことだが、
同じ朝鮮人同士でも北朝鮮支持のペルゲンイを嫌う大人達は
 ー北鮮の奴ら!
と憎悪を込めて使うのだった。
きっと差別をされてきた人間は、
差別を無意識的に他人に転嫁するのかも知れないな。

青山さんは興奮しきっていた。
「タいタい、北鮮を支チする朝鮮人連盟のやつらは
 みな韓国出身者チャないカ!
 北出身なんてのは、日本には、ほトんトいないのに、
 何テ、縁もゆカりも無いペルゲンイの北を支チするのカね!
 韓国には、先祖の墓があり、親兄タいや親戚がタくさんいるのに
 トして、迷惑をカけるカ!
 わタしは〜ね〜、
 チェん、チェん、わカらんよ」
これは朝鮮高校入学後に知ったことだが、
在日朝鮮人・韓国人の95%は、
韓国の慶尚道、全羅道、済州島の出身者であり、
青山さんが毛嫌いする北朝鮮支持の朝鮮人連盟の会員も
この三つの道の出身らしい。
逆に、北朝鮮出身者は5%もいないということだった。

「・・・」
「河タさ〜ん! あんタたタっテ、親兄タいが韓国にいるタろう」
「・・・」
アボジがまったく反論しないので、青山さんは、気が抜けたらしい。
ややオーバー・ワーク気味で、
「ふ〜」
と溜め息をついた。

数分間、沈黙が続いた後、
アボジが静かに口を開いた。
彼はオレを強い力で抱き寄せて重い口を開き
「わたしも、最初は明宗を朝鮮学校に行かせる気はなかった」
と言った。
「チャあ、ト〜しテ?」
と青山さんが怪しい日本語で聞いた。

アボジは、
「朝鮮人連盟中央本部から派遣されて来た優秀な青年の
 輝きながらも澄んだ瞳を見ているうちに気が変わった」
と回想を始めたのだった。




(2) (2の1) (2の2) (2の3) (2の4) (2の5) (2の6) (2の7) (2の8) (2の9)


オレは、
 −朝鮮高校の創造主は、金日成なんかじゃない! 
  間違いなく「一世」だ!!
と、世界の中心でアイ〜ンと叫ぶことができる。
だから、結構長くはなるけど、
朝鮮高校を創造し、
朝鮮高校生に強い影響を与え続けたアボジ達=「一世」の話を聞かせてあげよう。

(2の1)

アボジは、穏やかな顔をしながら、
「なんというか、とても頭の良さそうな立派な青年でね。
たしか、廉(リョム)といったかな。
澄んだ眼差しが印象的で、輝いているんだよ。瞳が。
 それだけじゃないんだ。
 言葉使いから身のこなしまで、颯爽としていてね。
なんというか、聡明そうで、さわやかな青年だったな」
と、第一印象を語った。

「わたしは、彼の澄んだ眼差しを見ながら、
 学問を志していた若い頃の自分を思い出してしまってね・・・」
と、遠い昔を回想し始めた。
やはり「一世」は、本論に入るまで時間がかかるようだ。

アボジに対して、
その場その場で思いついた限りの言いたいことをすべて吐き出した結果、
ややオーバー・ワークぎみの青山さんは、
「へええ〜、ソ〜なんテすカ〜、
 北鮮ペルゲンイの朝鮮人連盟に、そんな優秀な人、いるんテ〜すカ?」
と、来るべき2回戦に備えるべく休憩もかねて相づちをうった。

「ああ、いるんだよ。若くて優秀な青年が朝鮮人連盟にはね。
残念だけど、韓国人連盟では、お目にかかったことのない人物だったよ。
 わたしは、ペルゲンイやその親玉の金日成は好きにはなれないが、
 ああいう若くて優れた人材が、
 朝鮮人連盟には、いるということだけは認めざるを得ないよ。 
 まったくうらやましい限りだよ」

「そ〜テすカ〜
 タしカに、韓国人連盟は、チャンサクン(商売人)パカりテ、
キャパレーやトルコ風呂の社長トカ、
 カンペ(ヤクザ)みタいなのも、えパっテいま〜すカらね〜
 タカら〜、若い韓国人は、あマ〜り、近寄りマ〜せんね〜」

「そうだな。残念だけど・・・。
 感心したのは、それだけじゃないんだ。
リョムという青年は、なんと東京大学法学部出身なんだが、
 そのわりには、礼儀正しくてね。
 ウリ朝鮮民族伝統の長幼の序も、よくわきまえているんだ。
まさに彼こそは、朝鮮の誇り! 称賛すべきソンビだよ!!」
「そ〜テすカ〜、ソンピ、テすカ〜、
 そ〜りゃ〜、タ〜いし〜タもんテ〜すねぇ〜」

(ゾンビ?)
あの頃のオレは、
 −ヨーロッパのばけものゾンビが、どうしてちょうせんにいるんだ?
と疑問で、それがずっ〜と、頭の中に残っていた。

後日余談。
朝鮮中学1学年生の頃、やっとその疑問がとけた。
ユギョ(儒教)がキムチよりも大好きなキョジャン(校長)先生が言うには、 
 −ソンビ
というのは、朝鮮の在野の憂国の志士で、
儒教の教養が高い知識人でもあり、
しかも富貴を一切求めない清廉潔白な姿勢をつらぬいた立派な人々のことらしい。
時の政治が悪い方向に向かったり、外敵がウリナラ(わが国)に攻めてくると、
命をかけて闘ったのだという。
だから朝鮮民衆の尊敬を一身に集め、村落のリーダーとして崇められたのだという。

キョジャン先生は、「一世」だけど
小さい頃、日本にやって来たので、アボジ同様、日本語が怪しくない。
彼がオレ達に強調したのは、
「トンム達も立派な愛国愛族のソンビにならなくてはいけない!」
と、いうことだった。

ちなみに真っ赤っかに燃えていた朝鮮高校の男子教員達の口癖は、
 −朝鮮のサナイ(大丈夫)なら、・・・であるべきだ!
というものだったが、
彼らが朝鮮人青年の理想像として口にしていた
 −サナイ
というのは、
「ソンビのことで、漢字であらわすと<士>と書くんだ」
と、インテリの李先輩が教えてくれた。

歴史的な故事が大好きなキョジャン先生は、
紙芝居のようなドラマチックな朝鮮語で語り始めるのだった。
「たとえば、今から約360年程前、
 壬辰倭乱(イムジンウェラン。文禄慶長の役)で
 秀吉(豊臣秀吉)奴の朝鮮侵略に対して勇敢に戦ったのもソンビ達であり、
 彼らの指導を受けた朝鮮の民兵、ウィビョン(義兵)でした!」

キョジャン先生は、昔の日本人が朝鮮人にした野蛮な行為を
あたかも現場で目撃したかのように熱弁するのだった。
「日本は、律令制度、漢字、仏教、儒教、農耕技術、鉄器や陶器等の製造技術、
 家畜や馬の飼育方法等ありとあらゆる大陸の文明と文化を朝鮮から学びました。
ウリ先祖は、日本人の先祖に何の見返りも要求しませんでした。
 大陸の文明と文化を先んじて受容した先達として、
 言葉を換えれば、兄の徳をもって、遅れていた日本に接してきたのです。
 ところが、身分の卑しいサンノム出身の秀吉が天下を取ると、
 恩を仇で返すような大変野蛮なことを朝鮮でしました。
いきなり朝鮮に攻め込んできて、
 非戦闘員の男はもちろん、女や子供まで無差別で殺しまくったのです。
 朝鮮民族ならば、
 何百年経とうが忘れることの出来ないウェノムの野蛮な悪行なのです!」

普段は穏和な顔が、
 だんだん、ダンダン、DANDAN
大魔神のような憤怒の顔に変わるのだった。

「朝鮮で最も乱暴狼藉を働いた加藤清正などは、野蛮の極みでした。
 京都に<耳塚>という朝鮮人戦死者を供養した遺跡が残っていますが、
 あれこそ動かぬ証拠です!
 清正らの武将達が秀吉に褒めてもらうため、
 殺した朝鮮人の耳を切って塩づけにして壺に入れ、日本にいる秀吉に送りました。
 どうして耳かというと、生首では重いので、船では全部を運びきれないからです。
 また、生首では、男か女かが、すぐにばれてしまうからです」

(なまくび?!)
(みみ?!)
(しおづけ?!)
オレ達は、昔のこととはいえ戦慄してしまった。

「今でも清正を崇拝している熊本では、
 清正の朝鮮侵略を<朝鮮征伐>と称して、それを讃える<ボシタ祭り>をやっています。
 この祭りは、
  −朝鮮滅ぼした、
 の<ぼした>に由来し、
  −ボシタ! ボシタ!
 と、わめきながら人と馬が跳ねながら街を練り歩きます。
 清正の朝鮮での蛮行を讃え、英雄視しているんです。
 まことに野蛮な国です! 日本は!!」

オレ達が、この<史的反日プロパガンダ>でわかったことは、
映画やNHK大河ドラマとかの時代劇に登場する日本人に人気の高い
戦国時代と明治維新の乱世の英雄は、だいたい
 ー朝鮮人のヲンス(仇)!
ということだった。

例外は、日本人に人気の無い徳川家康と徳川幕府だ。
なぜかといえば、
朝鮮侵略の際、加藤清正とともに先陣を切った小西行長や元凶の豊臣家を滅ぼし、
朝鮮王朝に謝罪して国交を回復したからだ。
また、朝鮮人に一番憎まれていた加藤清正の熊本藩も息子の代でつぶしてくれたからだ。

キョジャン先生も、さすがは「一世」だけのことはある。
「やはり身分の卑しいサンノム・秀吉とは違い、
 徳川家康は身分が高く、朝鮮で言えばヤンバンだから」
という朝鮮人らしい結論を披瀝するのだった。 

戦慄の<史的反日プロパガンダ>は、
  これでもか! これでもか!
と続く。
「ところが、人間には耳が二つあるので、
 1人殺して耳を二つ送れば、2人殺した計算になります。
 そこで秀吉は、人間に一つしかない鼻を切って送るように命じました。
 だから<耳塚>は、
 本当は、耳よりも朝鮮人の鼻が多く埋まっている<鼻塚>なのです。
 さすがに、野蛮なウェノムも、戦争が長引いて厭戦気分になり、
ー抵抗しない女や子供まで殺すのは可愛そうだ、
 ということで、鼻だけ切りおとして命はとらなくなったと伝わっています。
だから、秀吉軍が負けて逃げた後の朝鮮には、
 鼻の無い人がたくさんいたそうです。
 そ〜う、こんなふうに」
と、右の親指の腹を鼻先に当てて上に押し上げた。

(凄い鼻毛!)
と、言えるわけもない。  
普段、まじめなキョジャン先生が、
<史的反日プロパガンダ>をするのは理解できたが、
日本人サラリーマンみたいなまじめな顔をしながら、
いきなり奇妙なパフォーマンスをしたので、
オレたちは、一体どういう対応をすれば良いのか、正直戸惑ってしまった。

ところが、
天然ボケの同級生ムン・ドマンだけは違った。
「ぎゃっ、はっはっ、
 テ〜ジ(ブタ)だ! テ〜ジ!!
 ぎゃっ、はっ、ハっ、HA〜」
と、キョジャン先生を指さして大いに笑った。

文ドマンが、後悔するのは、数秒後だった。
顔を真っ赤にしたキョジャン先生は、
右手で黒板消しを思いっきり、
 ビュ〜ン
と投げつけ、奴の顔面に、
バッ!
と見事に命中させた。
「ふぎゃっ!」
文ドマンの顔面は、
おしろいを塗ったかのように真っ白になった。

次いでキョジャン先生は、
教壇から文ドマンの席まで
 ダ、だ、ダ、だっ
と瞬間ダッシュをして接近し、間髪を入れずに、
 ワンパン、ツーパン、ゲソパン、チョーパン
をぶち込んだ。
やはり普段まじめな教員といえども、「一世」は油断がならない。
敵をぶち倒すケンカのコツを知っているのだ。
ただ、オレの天敵の暴力教師・梁鉄拳と違うのは、
笑いながら殴るのではなく、
泣きながら殴っていることだった。

「は〜ぁ、は〜ぁ、は〜ぁ・・・」

文ドマンは、
三輪トラックに、ベシャッと轢かれたガマガエルのようだった。
みじめな格好のまま倒れている文ドマンの鼻から
たら、タラ〜
と流れる血が、少しだけ固まりかける頃、
キョジャン先生の興奮は収まり、
(はっ!)
と我に返った。

 シ〜ン
としている教室内を見渡しながら、
おびえている女子と相当驚いている男子の顔を見て
少しバツの悪そうな顔をした。

「・・・」
彼は数分間、うなだれて考え込んだ後、
倒れている文ドマンを起こして席に座らせ、
ポケットから舶来品のハイカラなハンカチを取り出して
文ドマンの鼻血を拭いてあげた。
「ミアナダ(すまない)、ドマン。
 チョンマル(本当に)ミアナダ・・・」
と、言って深々と頭を下げた。

キョジャン先生は、肩を落としながら教壇に戻ると、
目に涙をためながら、
「チョヌン(私は)カスミ(胸が)アップンミダ(痛みます)・・・」
と、10分以上も泣きながら
朝鮮学校名物のチャギピパン(自己批判)をし、
教え子のオレ達に謝罪するのだった。
(この先生は、梁鉄拳とは違って善人なんだな・・・)
と、同級生の誰もが思ったはずだ。

キョジャン先生は、涙が乾く頃、
やっと気を取り直して次のように言った。
「さきほども言いましたが。
 トンム達には、立派な愛国愛族のソンビになってほしいのです!
 ナムジョソン(南朝鮮)で起きた<4・19革命>は、
 まさにソンビの伝統を受け継いだ愛国愛族の若者達の勝利でした!
 ミジェ(米帝)のケレトダン(傀儡徒党)、
 リ・スンマン(李承晩)を打倒した南朝鮮の若きソンビ達に負けてはなりません!
 ウリ達は、ソンビの愛国愛族の精神を忘れてはならないのです!
 朝鮮民族の悲願であるチョグットンイル(祖国統一)のために!
 未来のプガンハン(富強な)ウリナラ(我が国)、
 トンイルチョソン(統一朝鮮)のために!
 トンム達は、ペウゴペウゴ、トウ、ペヲヤハンニダ!」

ちなみに<4・19革命>とは、
1960年4月19日に、韓国大統領選挙での不正を糾弾するため、
韓国の大学生が中心となって蜂起し、
時の李承晩(韓国初代大統領)政権を打倒し、ハワイに追い出した革命のことだ。
当時の朝鮮半島では、一気に統一の気分が高まり、

 −カジャ!(行こう)プグロ!(北へ。北朝鮮の意)
  オラ!(行こう) ナムロ!(南へ。韓国の意)
  マンナジャ!(会おう) パンムンチョメソ!(板門店で)

というスローガンが声高々に叫ばれたのだ。
だから当時の熱気を知っている朝鮮人は、
誰でも朝鮮統一というのが現実性があり、けっして夢だとは思わなかったらしい。 

この熱気を軍事クーデターで一挙に冷ましたのが、
歴史の表舞台に登場した韓国陸軍少将パク・チョンヒだったのだ。
インテリの李先輩によると、
当時、南北の朝鮮人のほとんどが、朴チョンヒを嫌ったそうだ。
どうしてかというと、
朝鮮人は、儒教の影響で、白か黒=敵か味方かをはっきりつけたがるが、
朴チョンヒの経歴は、灰色そのもので、
朝鮮人が最も軽蔑する
 −変節の人
だったからだ。つまり彼は、
 ー裏切りの達人
だったのだ。

李先輩が言うには、
朴チョンヒは、
朝鮮人でも数少ない大日本帝国陸軍士官学校出身の軍人エリートで、
身も心も天皇に捧げた<朝鮮人日帝>であり、
解放後は、親日派の罪を許されて韓国軍に属しながら、
共産主義者に共鳴してペルゲンイになった。
ところが、それがバレて捕まり、軍法会議で死刑判決を受けると、
自分だけが助かるために、仲間を裏切って
自分の知りうる韓国軍内部のペルゲンイ組織の秘密のすべてを
 ゲロげろゲ〜
して思想転向したそうだ。

この裏切りの経歴が、
韓国軍復帰後も上層部に嫌悪され、閑職に追われ、冷や飯を食わされていたのだが、
<4・19革命>の混乱に乗じて、
戦前に日帝青年将校が起こした<2・26事件>を参考にし、
たった3千人程度の兵力だけで韓国の首都ソウルを制圧したらしい。

このクーデター軍は、
在韓米軍や韓国正規軍と戦えばかならず負けたのに、
米帝の新しい親分=J・F・ケネディが支持声明を出してしまった。
 −後進国の腐敗堕落した政権に見切りをつけ、
  意欲ある新しい親米反共政権を支援する、
というブレーンの経済史学者ロストウの政策提言を受け入れたのだという。

やがて朴チョンヒは、選挙を通じて韓国大統領になり、
朝鮮ペルゲンイの親分=金日成に立ちはだかる強敵となったのだ。
以来、朝鮮学校では、<反朴チョンヒ・プロパガンダ>が盛んになった。

 −軍事独裁政権の朴チョンヒは、
  アメリカ帝国主義者に祖国・南朝鮮を売るメグンノ(売国奴)であり、
  祖国統一を妨害するミンジョッ・パニョッチャ(民族反逆者)であり、
この世に存在してはならない恥ずべきインガン・ペクチョン(人間白丁)だ!

と、人権団体が腰を抜かしそうな罵詈雑言で人格攻撃を繰り返し、
朝鮮人学生が最も憎むべき悪辣なヲンスとしてプロパガンダされた。

「一世」の中にも、朴チョンヒを嫌う人が多かったらしい。
インテリの李先輩が言うには、
「朝鮮では、李朝成立以来、500年間も文官優位で武官を蔑視したから、
 伝統的に軍人を見下していた。だから軍人によるクーデターなんてのは論外」
なのだそうだ。

また、裏切りの経歴もさることながら、
「朴チョンヒの容姿も問題だった」
らしい。
当時はヤクザとマル暴の刑事しか身につけていなかった黒いサングラスを愛用しながら
軍事クーダターを指揮する朴チョンヒの映像は、
まさに、悪の象徴の反動勢力のボスであり、
自由と民主主義を踏みつぶす民衆の敵そのものという感じだったようだ。
日本のテレビや新聞、雑誌も例外ではなく、
外見通りの<朴チョンヒ悪者プロパガンダ>一色だった。

しかも背の低い小男で、栄養失調のように頬骨がこけており、
いつも暗い目と不健康な顔をしていたのだ。
ちょうど、中島みゆきの悲しくて、くら〜い歌を
狭い部屋のカーテンをしめきって明かりを消し、
両膝を立て身体を丸めながら、しみじみと歌詞に共感し、
目からポロッと涙が落ちると、
カーテンを少しだけあけて、幸せそうなカップルの姿をジ〜ッと見ている、
そんな感じの暗さが、朴チョンヒにはあったのだ。

逆に、金日成は、
背も高く、大柄で、頼もしさがあり、
肌もスベスベ、頬もふっくらトラフグのようで、健康そのものだった。
しかも首の後ろには、
恵比寿さんのほっぺたのようなコブまでついていて縁起が良さそうだった。

毎月見せられる<民族の太陽・金日成>が活躍する北朝鮮プロパガンダ映画や
立派な額縁に飾られれている<金日成革命歴史プロパガンダ絵画>に描かれている
金日成は、いつも弱い立場におかれている女や子供達に囲まれているのだった。

この朝鮮ペルゲンイの親分は、大衆の前では、
常に明るい微笑みを絶やさなかったし、その笑顔が憎たらしいほどさまになっていた。
満面に笑みを浮かべる金日成の歯は、
漂白剤入りの歯磨き粉でも使っているんじゃないかと思うほど、真っ白しろ助で、
芸能人もまっさおの
 ー革命家は歯が命
みたいな感じだった。

今思えば、ハリウッドのヒーロー顔負けの演出だったな。
ジョン・ウェインのように、
 −オレ様がお前達を守ってやるゼイ!
  だから黙ってついてきな!
  そうすれば未来はオレ達のものだゼイ!
てな感じの頼もしい<朝鮮人ナイス・ガイ>だったな。
しかも金日成は、顔が男前で、声も低音で太く男らしかった。
だから「一世」の朝鮮おばさん達に絶大な人気があり、
 ーキムさま〜
状態だったらしい。
やはり美男子は得だよなぁ〜。

きっと、朝鮮おばさん達は、
自分の旦那の恐竜のような寝顔を見ながら、
毎夜ゲップを吐いていたかも知れないな。
−何が悲しくて、こんなブ男と所帯を持ったのか!
それに比べてキム将軍さまは、
  本当に素敵で、やさしく、すばらしい、
  きゃ〜!
てな感じだったかも。

まぁ、こういうわけで「一世」は、
ペルゲンイでもないのに、朝鮮人連盟と付合い始めたらしい。


(2の2)

話を元に戻す。
朝鮮人の男は、
 ー真っ赤っかのアカ
でも、
 ー真っ黒クロ助のブラック
でも、
そして怪しい日本語の使い手でも、
例外なく『三国志』が、キムチと同じくらい大好きだ。
その中には、
 −『三国志』の世界だけが、歴史的教養だ!
と、勘違いしているパボ(バカ)もいる。
とくに、
 ーバカのリョッチ(歴地)
と呼ばれている朝鮮人大学歴史地理学部出身者に<三国志パボ>が多い。

アボジもさすがに朝鮮人だけのことはある。
『三国志』が、好物のかりんとうと同じくらい好きなのだ。
あたかも孔明や関羽のような英雄豪傑を語るかのように楽しそうな顔をして、
自分だけしか知らないリョムという青年の人となりを語った。

「しかもだ。
 あの青年には、一流大学卒の<インテリ朝鮮人>にありがちな
 低学歴の同胞を見下すような嫌みなところがまったくないんだよ。
 まったく感心してしまうよ。彼のような青年には」
アボジは、まさにご満悦だった。

ところが、青山さんの顔はまったく逆だった。
難解な高等数学の計算式でも見ているような不思議そうな顔をしながら
アボジに質問した。
「インテリって、なんテすカ?」
「えっ?」
「ペニシリンの親戚テすカ?」
「ぺ、に、し、り、ん(しら〜)」

アボジは、一瞬、呆れた顔をしたが、
それを青山さんに悟られると、またうるさくからんでくるので、
すばやく普通の表情に戻して言った。
「う〜ん、まぁ〜、
 そうそう、似たようなものだよ。
 はっはっはっ」

青山さんは、大いに満足しながら場違いなことを言った。
「ソ〜テすカ〜、あレ〜はね〜、
 コムちゅケないテ遊んタあと、
 注射テおしりにプっ刺すト、トテ〜もいタいんテすよ〜
河タさ〜んも、ケっコう、好きテ〜すね〜、
 ひっ、ヒッ、HI〜」
「ヌッ(怒・・・)」

アボジは、オレが物心つく頃には、すでに禿げ上がっていた。
頭の形がとても均整のとれたきれいな卵形で、
朝鮮民族の血統を受け継ぐ盛り上がった頬骨の持主だった。
肌はすべすべ、かつ毛深くなかったこともあり、
斜め下から見ると、
(や、ヤ、YAっ、黄金バット!)
に似ていた。

アボジが朝鮮民族の伝統を受け継いでいるのは、顔だけじゃない。
考え方も朝鮮人そのものだった。
朝鮮の支配階級ヤンバンの末裔を自負するアボジは、
朝鮮王朝が500年もの間、
支配統治の原理として浸透していた儒教・朱子学を信奉しているので、
性道徳には極めてうるさかった。
アボジに言わせると、
「性道徳のない奴らは、ケーセッキ(犬畜生)と同じであり、
 まちがいなく出自の卑しいサンノム(常奴。常民の蔑称)だ!」
と、身分の大好きな「一世」らしい結論を吐き捨てるように言うのだった。

だから、次元の違う低俗な青山節に怒りを我慢できないようだった。
とくに、米帝のTVアニメ『チキチキマシーン』のケンケンのような
「・・・ひっ、ヒッ、HI〜」
という、あのいやらしい笑い方が我慢ならない感じだった。
普段は温厚なアボジも、ちょうど黄金バットが、
悪い奴らの下劣な言動を目の当たりにして歯ぎしりするような感じだった。

オレは、アボジの手が、
 ワナ、わな、WANA
と震えているので、
(アボジ・マン! あおやまゴンを、やっつけろ!)
と、数分後に青山さんが泡を吹いて倒れている姿を想像しては、
 クスクス
と笑った。

(?!)
アボジは、膝の上にいるオレが、
(なぜ笑っているのか?)
と、右斜め上からオレの顔をまじまじと見つめていた。
アボジが青山さんへの先制攻撃の出鼻をくじかれた矢先、
ちょうど良いタイミングで、
オモニが、
「さぁ、どうぞ、チャプスセヨ(召しあがって下さい)」
と、自家製のキムチやナムル、麒麟ビール、
そしてアボジの渡日以来の好物・かりんとうを持ってきた。

やはり朝鮮人は、
 −花よりキムチ
だった。
ちなみに「一世」は、中国人と同じで麒麟ビールしか飲まない。
伝説上の動物・麒麟は、とても縁起が良いのだそうだ。

ごちそうを前にしたアボジは、
何も気付かない鈍感な青山さんを目の当たりにし、
急に馬鹿馬鹿しくなったかのように、苦笑いをしながら、
「チァ〜(さぁ)、青山さん、
 ハンチャン(一杯)ハプシダ!(やりましょう)」
と、右手でビールビンを持った。

青山さんも、
「やっ、いっチュも、わっるいテっすね〜
 河タさ〜んのおクさ〜ん、
 やッパり、河タさ〜んは、ヤンパンテすよ」
と、ホメ殺しをしながら、コップを持ち、
 トク、とく、トク
と、そそがれてくるビールを目を輝かせながら楽しそうに眺めていた。
同じ目を輝かせるにしても、
青年ペルゲンイの廉さんとは、
 −月とコブギ(亀)
ほどの違いがある。

(ん?!)
良く見ると青山さんは、両手でコップを持っていた。
左手をコップの下に、右手をコップの横においているのだ。
そしてビールで溢れそうなコップを口元にもってくると同時に、
身体を斜めに向けながら一気に飲み干してしまった。
「プっは〜、キリンピールは、うま〜いテ〜すね〜」

朝鮮中学に入ると同時に先輩から叩き込まれたことだが、
これは儒教の礼儀を大切にする朝鮮人の伝統的な作法らしい。
年上の人と面と向かって酒を飲むのは、非礼なのだという。
オレ達「二世」は、こういう作法も「一世」から受け継いだのだ。

青山さんは、アボジよりも少しだけ年下なので、
施しを受けるときだけは、年長者を立てるのだった。
オレは、
(さっきまで、くちゲンカして、今なぐろうとしてたのに・・・)
と、目の前にいる二人の朝鮮人「一世」の態度を見て
不思議の国のアリスだった。

けれどもこういう矛盾する態度は、
別にアボジや青山さんだけではなく、
日本の東京に生息していた「一世」は、だいたいこんな感じだった。

オレの親の世代にあたる「一世」達は、
長年、日本でイジメられて、苦労したせいか、
傷つきやすく、怒りやすく、キレやすい
 −3やす
だった。

だから、ムジンや冠婚葬祭などで「一世」が大勢集まり酒が入ると、
まず目つきが座り、
次いで前から態度が気にくわない相手にヌンチ(眼つけ)する。
そして些細な言動を見つけては、
おでこの端にアムノッカン(鴨緑江)のような血管を
 ピク、ぴく、PIKU
と隆起させる。

要するに、闘う理由は何でも良いのだ。
普段ムカツク奴とケンカがしたくて身体がうずいているのだ。
そこまでくれば、スタンバイOK!
ほんの数分の間に、
 口論→激論→罵声
の順で、声のボリュームを一挙に上げ、
口の左右に泡を出しながら親の敵のように罵りあうのだった。

一応、仲裁が入る。
だけど、それは言葉どおり、い・ち・お・う、で、
仲裁に入ったはずの「一世」も、
数分後には口ゲンカの当事者となる。

やがて複数の強面の「一世」、
そう、外国人登録証なんてものはまったく必要のない
 −顔面登録
の怖い顔をした恐竜的オッサンの一人が、目の前のテーブルを、
「チョ〜タんチャぁ、ないよ〜」
と、わめいてひっくり返す。

 ガシャ〜ン

という音をゴングに、
朝鮮人の英雄・力道山が始めたプロレスのバトルロイヤルのように
逆ギレした「一世」が続々と参戦し、
怪獣大戦争のような乱闘を始めるのだった。

オレが、たまたま現場に居合わせると、
(またはじまった〜、こうぇ〜、にげろ〜!)
と、バイクに乗った月光仮面のように、
我ながら、ものすごい速さで安全地帯へと逃げるのだ。
もちろん遠目で覗いているけれど。
下手なプロレスを見るよりも遙かに迫力があり、おもしろいのだ。
まぁ、ケンカがスポーツみたいなものだったな。「一世」は。

日本人のケンカと違うのは、参戦するのが男だけじゃないことだ。
前日の朝早くから準備した料理をメチャクチャにされ、
しかも大事な食器を割られた朝鮮おばさんや、その女友達が、

 アイゴー、アイゴー

と泣きながら、
「チョ〜タんチャないよ〜!」
「コの! クソ、チチい!!」
と濁音抜きの怪しい日本語で、男どもを罵りながら、
右手で包丁を振り回すのだった。

まぁ、これも夫婦ゲンカの延長みたいなところがあったな。
朝鮮伝統の男尊女卑のため、
普段、旦那にこき使われている「一世」の朝鮮おばさん達が、
日頃から積もり積もった鬱積を一挙に爆発させていたような気がする。

けれども、死人がでることは、ほとんど無かった。
オレの記憶が確かなら、救急車も呼ばれたことはない。
やはり「一世」は、ケンカの達人なのだ。
男も女も場数を踏んでいたり、見学しているせいか、
滅茶苦茶なことをしているようだが、実は致命傷になることはしなかった。
とくに武術を習ったわけでもないのに、
感覚的に、いわば勘で急所をはずしているようだった。

もちろん警察を呼ぶ卑怯者もいなかった。
 ーテメエで始めたケンカは、テメエで始末する
それが<朝鮮人ケンカ道>なのさ。
同胞の仲間同士のケンカならなおさらだ。

この<「一世」怪獣大戦争>には、
ランチタイムのまずくて薄いコーヒーのように、
独特の雄叫びがつきものだ。
大乱闘している際の「一世」の怒号が、
男も女も、怪しい日本語の使い手であるためか、
日本生まれのオレには、

 ギャ〜スカ、ぎゃ〜すか、ギャ〜すか、

としか聞き取れないほど、意味不明な雄叫びだった。
しかも食器類が乱れ飛び、そして割れる音が、
この大乱闘に花をそえるかの如く、
絶妙のハーモニーで、リングと化した部屋中に響き渡るのだった。
その音は、あたかも地球防衛軍が、怪獣に対して虚しくうつ
 じぇ〜ん、じぇ〜ん、
効かない電子ビームの音を彷彿させたのだった。

乱闘の最中、何とか聞き取れる定番の罵り文句は、
 ーイノム!(この野郎!)
とか、
 ーケ〜セッキ!(犬畜生!)
とか、
 ーこいチュはヤンパンちゃない! サンノム(常奴)タ!(だ、とは言えない)
だった。

逆に、「一世」は、
自分を尊重してくれたり、立ててくれたり、褒めてくれたり、
優しくしてくれたり、大切にしてくれたり、助けてくれたりすると
有頂天になり、感謝感激して、可能な限りの礼をつくすのだ。
つまり「一世」は、感情の起伏が激しく、傷つき易く、感激し易いので、
言動が山の天気のようにコロコロ変わるのだった。
『男はつらいよ』の寅さんに似ていなくもない。


(2の3)

アボジが言った
 <嫌みなインテリ朝鮮人>
には、れっきとしたモデルが身内にいる。

オモニには、弟姉妹が5人いた。
けれども餓死や戦争で、姉と妹の3人は死んでしまい残されたのはたった一人、
ちょうど一回り、12も歳の離れた弟だけだった。
オレ達兄弟姉妹は、この人を
 −アジェ(叔父ちゃん)
と呼んだ。

アジェは、戦前、植民地朝鮮で生まれたが、
乳児の時に、東京府荏原郡六郷で小林組という朝鮮人土建屋を営む
ハルベ(おじいちゃん。慶尚道の方言)に呼び寄せられ、
ハンメ(おばあちゃん。慶尚道の方言)と共に日本に渡ったそうだ。
アジェのような人は、「在日」には結構たくさんおり、
朝鮮で生まれてはいるが育ってはいないので「一世」でも「二世」でもない、
 −「一・五世」
と呼ばれた。
文ドマンをKOしたキョジャン先生もこのタイプの人間だ。

「一・五世」は、「一世」のような<朝鮮人ドップリ>でもなく、
かといって「二世」のような<半分日本人>でもなかった。
どちらかといえば、
 <朝日鮮本人>
のようで、性格的には、ジキルとハイドのような二重人格者が結構おり、
向いている仕事は、
 <センセイ>
と呼ばれる職業だった。
少なくとも、アジェは、そういうタイプの人間だった。

朝高入学後、初めて迎えた正月のわが家。
オモニの部屋にだいじに飾ってあるハルベの遺影に話題が移った。
オモニが言うには、ハルベは、
 −小林徳次郎
という日本名を名乗り、当時の朝鮮人の中では、
「成功していた」
らしい。

胆力があり、身体も大きく、腕っ節も強かったので、
 −朝鮮人のリーダーの一人
として地元の蒲田警察の刑事からも一目おかれていたらしい。
しかも、なかなかの男前で、おしゃれだったらしく、
土建屋でありながら、毎日、スリーピースの背広を着こなし、
高そうな懐中時計を愛用していたらしい。
だからハルベは、オモニの自慢の父親だったし、
ハルベも、自分に顔が、瓜トゥル(うり二つ)の娘=オモニを可愛がった。

ハルベは、政治には冷めていて
−権力には逆らわない主義
だったらしく、
刑事達には、
「いつもコク労〜さんテす。捜査協力をさせテクタさい」
てなことを言いながら、
毎週のように、
刑事達に密造酒のマッコリ(ドブロク酒)やタンベ(たばこ)を与え、
月末にはハンメに命令して、ホルモン焼きをたらふくごちそうしたそうだ。
つまり賄賂だった。
その都度、刑事達は
「や〜、徳さんは、立派な帝国臣民だ!」
と、ホメ殺しを忘れなかったらしい。

ところが、ある日、ハルベが事件に巻き込まれて殺されてしまった。
オモニが言うには、
「犯人はだいたい見当がついていたのに・・・」
しかし、普段、ハルベが面倒を見ていた刑事達は、
まったく動かなかったらしい。
だから事件の真相は闇の中だ。

ハルベは、一応、司法解剖された。
遺体はアボジが引き取りに行ったそうだ。
アボジが言うには、
「軽いんだよ。遺体が。臓器はだいたい捨てられたんだろうな。
 メスを入れたところだけを縫っていた」
そうだ。
「あれだけ剛胆な人が、こんな変わり果てた姿になるなんて・・・
 チャンモ(妻の父)の遺体を背負って蒲田から六郷まで歩いてきたが、
 軽いのなんのって・・・」
と、アボジは昔を思い出しては絶句した。

オモニは、その事件以来、街で刑事達にばったり会うと、
 キッ
と睨み付けたが、
刑事達は、バツが悪そうに視線をそらして
「逃げるのよ! あいつら!
 あんなにアボジが面倒を見てあげたのに・・・
 あの事件以来、あたしは警察を信じないのよ!」
と、オモニは恨めしそうに言うのだった。

オモニは結婚している大人だったから不幸中の幸いだったかも知れない。
問題は、幼かったアジェだった。
ハンメは、日本語がまったくできないので、
ドブロクの密造酒を作り、ホルモン焼きで生計を立てるしかなかった。
とはいっても、儲かるわけもなく、
定期的に密酒酒製造で蒲田警察に摘発され、
短期間、留置所にぶち込まれるので、
貯金よりも前科だけが年を追う毎に増えるのだった。
ハンメは留置所から朝鮮語で怒鳴ったそうだ。
「あんたらだって、あたしが作ったマッコリ飲んだだろう!」

今思えば、ハンメやオモニの警察に対する恨み節は、
 −警察=朝鮮人の敵
という<反警察プロパガンダ>だったかも知れないなぁ。
オレが朝鮮学校へ通うと同時に、この手の警察裏話は、よく聞かされたものさ。
でも、幼稚園の頃は、
 ー大きくなったら、おまわりさんになろう!
と、思っていたのにな・・・。

さて、アジェは、アボジとオモニが面倒を見ることになった。
思春期を迎える頃には、
新聞配達や牛乳配達、工場の雑役などで苦学を始めたらしい。
アジェは、学力試験には適性があったらしく、
当時、唯一、朝鮮人が差別されにくい職業の医者を目指し、日夜猛勉強!
一浪の末、千葉大医学部に合格したのだが、
朝鮮人学生は、差別されていたので、
奨学金というものは、ただの一つもなく、
「国立でも医学部は学費が高くてなぁ。
 比較的割の良い死体洗いのバイトを続けるのが嫌でなぁ〜。
 結局、医者の道は諦めて、退学したよ。きっぱりと・・・」
と、アジェがしみじみ言ったことがある。

オモニに言わせると、
「違うわよ。
 弟は、血を見るのがダメだったのよ。ただ、それだけのこと。
せっかく苦労して入った医学部を辞めちゃってね。
 それに女に狂っちゃって。
 大変だったんだから駆け落ちしちゃって!」
果たしてどちらが真実なのか? 
未だに河家の謎だ。

結局、アジェは、演劇に狂いはじめ、
校歌の大好きな馬鹿田大学の第二文学部に転部し、
貧乏ながらも、満ち足りた芸術三昧の日々を過ごした結果、
金儲けに携わるすべての人間を見下す
 <嫌みなインテリ朝鮮人>
になってしまった。
しかも、
 −若原美沙雄(わかはら・みさお)
という芸能人のような日本名を使う
 <嫌みな朝鮮人インテリ・ナルシスト>
にバージョンアップした。

オレが朝高に入学して間もない頃、
めずらしく若原アジェが、家にやってきた。
どうやらアボジに無心に来たようだったが、アボジはあいにく留守だった。
アジェはアボジを待つ間、
手持ちぶたさに、オレをつかまえて、
「義兄さん(アボジのこと)は、大学への憧憬心のようなものがあったなぁ」
と、冷めた目つきで言ったことがある。

「まぁ、義兄さんも、
 一応は、勉強するために渡日したんだよな。
 ふっ、・・・」
と左の唇を少しだけ開けると同時に、
左の頬を少し盛り上げながら、鼻の左の穴を少しだけふくらませて
憎たらしく言うのだった。

悔しいが、
− 一応、勉強のために渡日
というのは本当のことらしい。
アボジは、日本に出稼ぎに出ていた二人の兄とは異なり、
最初から金を稼ぐために渡日したわけではなかったようだ。

やっと話が元に戻れる。
「さっさ、河タさんも、ト〜ソ、ト〜そ」
と、両手でビールビンをもった青山さんが、アボジのコップにビールをそそいだ。
「コマッソ(ありがとう)」

アボジは、もともと下戸で、酒が少しでも入ると、
黄金バッドから、ただのゆでタコに変身する。
ビール一杯で酔いがまわったアボジは、
リョムという青年の話はそっちのけで、
渡日のいきさつを語り始めた。

「わたしが、普通学校(今の小学校)を出て数年後に、
 海を渡って日本に来たのは、
 勉強して上の学校に進み、えらくなりたいと思ったからだ」
と言った。
「日本への留学は、
 私と同じ世代の朝鮮人少年なら誰でも一度は考えた」
植民地下の朝鮮少年の夢だったらしい。

調子の良い青山さんも、
「そ〜タね〜。わタしもね〜、
 チッサイころは、河タさんと、おんなチタっタなぁ〜」
と、似合わないやさしい微笑みをこぼしながら相づちをうった。
今思えば、同じ世代だけがわかりうる連帯感のようなものがあったような気がする。
アボジは少しだけ頷ずくと、
左手でオレの頭の左側を意味もなく撫でるのだった。

青山さんは、いきなりバイリンガル放送になり、
「%&$#&%$#”&%$#&%$#!
 #”%&’&%?! %&$・・・!!」
と、オレにはまったく聞き取れない
キョンサンド・サトゥリ(慶尚道訛り)の朝鮮語で何かを言い、
続けて怪しい日本語にモード変換し、 
「たタテさえ、朝鮮テは、朝鮮チんは差ペツされて、
 おなチ、しコとしても、
 日本チんの半プンくらいしカ、金クれなカったしね〜」
と、暗い顔をしながら恨めしそうに言った。 
「タカら、若い朝鮮人は、みな、カク歴さえあれパ、
 何トカなるんチャないカっテ、みな思っタしね〜」
と溜め息混じりで言うのだった。

 ーお前のアボジは、どうして朝鮮ではなく、日本の学校を目指したのか? って。

アボジが言うには、
植民地朝鮮を支配した朝鮮総督府が創った上級学校は、
「朝鮮を支配するために朝鮮にやってきた日本人の子弟のためのもので、
 二等国民の朝鮮人には、とてつもなく狭き門だった」
らしい。
「とくに大学は、京城帝大(現ソウル大学)一つだけで、
 とても難しく、貧しい農民の子弟が入れるところじゃ無かった」
らしい。
だから植民地朝鮮よりも日本の方が、
「はるかに私立の学校数が多く、専門学校や大学への進学がしやすかった」
ということらしい。

それに、なによりも普通の朝鮮人は、
皆、貧乏で官立(国立)大学でも学費が払えなかった。
ところが、日本には働き場所がたくさんあり、
貧乏な朝鮮人青少年は、
「働きながら学ぶことに最後の希望を持った」
らしい。

けれども現実は厳しかった。
朝鮮南部の慶尚南道宣寧郡小湘里龍徳面という、
 ドDOど田舎の
農家の七人兄弟姉妹の三男坊だったアボジにとって、
「上級学校に進むなんてのは、夢のまた夢」
だった。

何せ家が貧しく、子だくさんなので、
兄二人から定期的に送られてくる仕送りだけをあてにして、
「その日その日を食いつなぐのが、やっと・・・」
だったからだ。

しかも集落の住人の半分以上が、河氏を名乗る親戚で、
 ー先祖を同じくする同族
という同族共同体意識が強かったため、
食べ物に少しでも余裕があれば、同族に分け与えて助けあうので、
生計に余裕というものが、生じることはほとんどなかったらしい。

「とにもかくにも、朝鮮人は貧乏人の子だくさんというか、
 甥や姪というのが、
 次の正月を迎えるころには、どんどん増えて、困ったな。
 親戚があれよあれよと増えるので、食べ物が無くて大変だったよ」
「ソ〜う、そ〜う。
 なにせ、いなカチャ、やるコとといっタら、
 ひトツしカ、なカっタからね〜。 
 ひっ、ヒッ、HI〜。
 %$#”&!$#&!・・・・」
と、低俗な青山節が慶尚道訛りで始まるのだった。
「ヌっ、(怒・・・)」
青山さんがこの世の春のように、楽しそ〜うに卑猥な話をすればするほど、
まじめで性道徳に厳しいアボジは、不愉快になるのだった。

アボジは、
絶えがたきを絶え、忍びがたきを忍んで、話を続けた。
ある日、こんなへんぴな村にも日本人の労働斡旋業者がやってきて、
「どうだ内地に行かんか!
 勉強がしたいというのなら、働きながら学校に通わせてあげよう。
渡航証明書もこちらで手配し、旅費もだそう。飯も腹一杯食えるぞ!」
と、アボジをそそのかしたらしい。
ちなみに戦争に負ける前の日本は、国名を<大日本帝国>と称し、
日本本土を内地、日本人を内地人
植民地の朝鮮や台湾等を外地、外地人と呼んでいたらしい。

悶々と過ごしていたアボジは、その気になり、
「日本人の商売人は嘘つきが多い。信じるとひどい目にあう!」
という両親の忠告も聞かず、
数週間後、釜山から船に乗り下関に渡ったらしい。

下関港に降りると、
 ー泣く子も黙る、
と怖れられていた目つきの鋭い特高警察が待ちかまえていた。
「何しに内地に来た?」
「勉強のためです」
「勉強だと!(渡航証明書には)労働と書いてあるじゃないか! 
 キッサマ〜! 餓鬼だからって容赦しないぞ!」
と怒鳴られて、いきなり右手で左の頬に強烈なビンタを喰らった。
アボジは吹っ飛んだらしい。

「キッサマ〜、立て! 立たんか!」
「・・・(何でいきなり殴るんだ!)」
アボジは、叩かれた頬を左手でさすりながら、しぶしぶ立った。
「キッサマ〜、何だ! その目は!
 勉強だと! そ〜か分かったぞ〜、
 独立するための勉強だろ!
このアカの不逞鮮人(ふていせんじん)め!」
と怒鳴られて、再度右手で左の耳あたりにビンタを喰らったそうだ。

これは植民地期に渡日したばかりの朝鮮人なら誰でもやられる
特高による暴力の「洗礼」だったらしい。
「特高の奴らは、殴る理由は何でも良いのだ。
 朝鮮人を疑い、殴りつけることが、あいつらの仕事なのだから」
とアボジは、吐き捨てるように言った。

アボジが再び吹っ飛ばされると、
日本人の労働斡旋業者が慌ててやって来て、
特高にペコペコと謝りながら、
「特高の奴の袖の下に賄賂のようなものを渡していたな。
 それでその場は助かった・・・」
アボジは忌々しい表情をしながら吐き捨てるように言い終えると、
コップに残っていたビールを一気に飲み干してテーブルの上におき、
空いた右手で好物のかりんとうをつかむと口に運んだ。

「ソ〜タね〜。わタしも、やられタよ〜
 いタカっタよ。本トうに。悔しカっタな〜」
「悔しいなんてもんじゃないよ! まったく今思い出しても腹が立つよ!」

「テもねぇ〜、わ〜タしのとキは、お腹の調子が悪クっテねぇ〜
 タカら、ピんタ、クらうト、
 トン(糞)がテテしまっテねぇ〜
 特高の奴も、臭いテわかっタらしク、
 倒れタ、わ〜タしの腹を蹴っタ後、呆れタ顔して、
 ーこのくそったれ鮮人め!
 と怒鳴っテ、唾を吐いテ、トこカ行っテしまっタよ、
トンもらしたのは、本トウのこトタからねぇ〜。あハっハ!」
「(怒!)・・・」
「あハっハ!、そ〜ソっ、
 河タさんカ、今食ペテいる、かりんとうみタいタっタよ〜。
 あっハっハ!、
 本トう、そっクりタ〜、そっクり、
 あハっハ!」

「(怒!)・・・」
オレはアボジを見上げた。
(ややっ! ドクロの口にへびがいる)
と言えるわけもなく、
目を点にしたアボジは、くわえたままのかりんとうを
 ブッ
と青山さんの顔をめがけて吹き矢のようにはき出した。

かりんとうは、見事、青山さんに命中!
青山さんは、立ち上がって
「な〜ニ〜するカ〜! きタないチャないカ!」
と怒鳴った。
するとアボジは、オレを離して別の部屋に非難させ、
「イー、サンノム!」
と罵りながら青山さんとタイマンをはるのだった。

数日後の夜、
アボジと絶交したはずの青山さんが、土産物をもってやってきた。
詫びを入れにきたのだという。
大人げなかったと少しだけ後悔していたアボジも
「やぁ、青山さん、この前はわたしもやり過ぎた・・・」
と詫びを入れた。
数分後、二人は何もなかったかのように仲良く談笑するのだった。
やはり「一世」の気質は、<寅さん一家>に似ていなくもない。

オレは、
(このまえ、ここでケンカしたくせに・・・)
と、またまた不思議の国のアリスだった。

しばらくすると、青山さんが、思い出したように、
「トコろテ、コの前の話のツツキを聞かせ〜テ、く〜れま〜せんカ〜」
と言った。
「そんなに聞きたいかね?」
「え〜え、そりゃもう、キキタ〜いテすよ〜」
と答えてヨイショするのだった。
「そうか〜」
アボジもまんざらでもない顔をして
「どこまで話したっけ?」
「トン、いや、そ〜チャなカっタ。下関の特高テす」
「そうだっね。あれから・・・」
と話を再開した。

特高から助けれたアボジは、
国鉄下関駅で見ず知らずの日本人を紹介されたらしい。
その男は、
「さぁ、こっちだ。ついて来い」
とアボジを強引に引っ張っていった。
汽車に乗ると、
学校がたくさんあった京都や東京とは、
まったく逆方向の九州佐賀の農村に連れて行かれた。

そこはアボジの田舎よりは少しマシな<ドど田舎>で、
「畑の周りが墓だらけで、夜になると怖かった」
らしい。
初めての日本での生活で、
アボジが驚いたのは、二つあったという。
ひとつは、
「日本人は寝るときにフトンをたくさん使うので驚いたよ」
と言った。
朝鮮ではオンドルがあるので、
日本より寒い冬でも、ふとんはあまり使わないのだそうだ。

もうひとつは、
「日本人はやたらと風呂に入りたがる。それも毎日だ」
と言った。
これは日本と朝鮮の気候の違いらしい。
日本は、湿気がひどく、ジメジメしやすいので、
日本人は、毎日、風呂にはいろうとするが、
朝鮮では、湿気はひどくないし、夏でも木陰に入れば涼しいので、
朝鮮人は、毎日、風呂に入る必要性がなく、またそういう習慣もない。
どうやらこの習慣の違いが、日本人からすると、
 −朝鮮人は風呂に入らない民族で、不潔だ!
という偏見につながったらしい。

農村に連れて行かれたアボジが、どういう境遇になったかというと、
「勉強どころか、朝3時に叩き起こされ、日が暮れるまで農作業を強制された」
しかも、
「タダ働きだったし、
 腐ったおかゆと苦手な梅干しを食わされたから、腹がたつのなんのって」
と、アボジはうらめしそうに言った。

堪りかねたアボジが、
「これじゃ、朝鮮での生活よりもひどい!
 仕事が終わったら夜学に通わせてくれると約束したじゃないか!」
と抗議したところ、
「学校だと! ふん! 笑わせるな!
 チョーセンのクセに!
 住むところと、三度の飯が食えるだけでも、ありがたく思え!
 生意気な鮮人だ! 
 斡旋業者にいくら払っていると思っているんだ! コノヤロー!!」
という内容の佐賀弁で怒鳴られたあげく、柔道三段の農家のボスにボコボコにされた。
どうやらアボジは、斡旋業者に騙されて売られてきたらしかった。

(逃げよう!)
と決意したアボジは、しばらくおとなしく働いた。
農家のボスも、まじめに働くアボジを見て安心し、
「この前は悪かったなぁ〜。・・・」
と照れくさそうに謝り、その日の晩酌の相手に誘ったらしい。
アボジは、そいつが酔いつぶれた隙を見て、
(今までの未払い賃金だ)
と、そいつの財布を拝借し、
身体一つで二人の兄が働いている筑豊に逃げたのだそうだ。

だけど、結局、アボジは、
進学の夢をかなえることはできなかった。
二人の兄と共に
筑豊の炭坑夫や京都の西陣織り手、東海道線の土木工事など
朝鮮人が働けるありとあらゆる仕事を転々とし、
京浜工業地帯の鉄屑屋に落ち着いたのだった。


(2の4)

こういうわけで、学問の夢に破れたアボジには、
<嫌みな朝鮮人インテリ・ナルシスト>のアジェが言うとおり、
大学進学への断ち切れぬ思いがあり、
その分だけ、超一流大学卒の礼儀正しい高学歴者に対しては、
素直なところがあった。

逆に、そうでない朝鮮人が、
床屋さんのような耳学問で、えらそうなことを言うと、
ムキになって反論し、
禿げ上がった額に青筋を立て、
越前ガニように口の横から泡を吹きながら、
勝負のつかない果てしない議論を挑むのだった。

どうやらアボジは、
読書に熱中することで、
未だ満たされぬ学問への思いを癒そうとしたようだ。
無学無一文の貧しいスコットランド移民でありながら、
読書を通じて独学し、勤勉に働くことで立身出世した
米国の企業家アンドリュー・カーネギーを模範とし、
家の近くの六郷図書館に通いながら
朝鮮問題を独学で勉強したらしい。

アボジに言わせると、
「朝鮮人連盟が日本政府や警察には秘密裏に、しかも強引にだ」
 <東京のチベット>
と呼ばれている三多摩の田舎に、
「創立した朝鮮人大学なんてのは、
 右も左も知らない世間知らずな朝鮮人の若者を
 平壌(ピョンヤン)訛りの北朝鮮式朝鮮語で、
 共産主義に洗脳して金日成万歳のペルゲンイに育てるだけで、
 学問をしているわけじゃない。
 ブツぶつBUTU、ブツぶつBUTU・・・(長いので省略)。
  ・・・なのにだ。
 朝鮮人大学出の朝鮮人連盟の活動家は、
 いっぱしの革命家ぶって、えらそうなことを言うので腹が立つ!」
らしい。

だから、朝鮮人大学出の朝鮮人連盟の活動家や朝鮮学校の先生達が、
オレを朝鮮学校に入れるために、
しつこく勧誘に来て、
あ〜だ、コーダ、
と、えらそうなことを言っても、
まったく相手にしなかったらしい。
朝鮮小学校入学式の時、
受付に座っていたお兄さんや
あのニンニク・パンチのお姉さんも、
コテンパンにアボジに論破されたのだ。

だから北六郷幼稚園卒園間近だったオレは、
もともと朝鮮学校に入学する予定はなかったらしい。
家の近くの北六郷小学校に入学するため
下見に行ったのもそのためだ。

「チャ〜、ト〜しテ、
 末っコを朝鮮カッコうへ入れタのテ〜スカ?
 朝鮮チン連盟の活トうカっテ、
 タいタい朝鮮チンタいカく出身テ〜すよね〜」
「そこなんだよ。
 キミ〜、問題の核心は!」
と、急にアボジは、
<インテリ朝鮮人センセイ>のような口ぶりに変わり、
回想するのだった。

ある日、
何回もアボジにやっつけられた朝鮮人連盟大田支部の活動家二人が、
見慣れない青年を連れてきたらしい。
「アンニョン、ハシンミカ! 
 河祐植(ハ・ウシッ)氏、いらっしゃいますか?」
「フン! 
 また、あんたらか! しつこいな〜」
「まぁ、まぁ、そう言わずに」
「無駄だ! 無駄、無駄! 
 あんたらが何回来ようが、末っ子は朝鮮学校には入れないよ。
 さぁっ、帰ってくれ! 忙しいんだから。」
「まぁ、まぁ、ハ・ウシッ氏、
 少しだけで良いので、この方の話を聞いてくれませんか?」
「ん?」

アボジは、初対面の青年をまじまじと見つめてしまったらしい。
「この方は、朝鮮人連盟中央本部の廉(リョム)同志(トンジ)です」
「アンニョンハシムミカ! 廉永石(リョム・ヨンソッ)です」
「! ・・・。」

アボジは、一目、この青年の輝いた眼差しを見て、
今まで家にやって来たペルゲンイの活動家とは
(レベルが違う)
と、感じたそうだ。

朝鮮小学校入学式の時、受付に座っていたお兄さんが
北朝鮮式朝鮮語で言った。
「廉同志は、東京大学法学部を卒業されたエリートです。
 しかも在学中に最難関の司法試験を合格した天才です。
 東大卒業後は、生涯をウリ朝鮮民族の未来に捧げるべく
 朝鮮人連盟中央本部の専任活動家の道を選ばれました。
 ウリ朝鮮人連盟、ひいてはウリ祖国(チョグッ)共和国の未来を担う幹部として
 輝かしい未来を期待されている優秀な人物なのです」
このお兄さんは、わがことのように誇らしげに言ったそうだ。

ちなみに当時の司法試験は、
今よりも試験範囲が膨大で、細かい専門知識も必要なことから、
 −苦節10年
というのが普通であり、
オレの兄が、
高望みしていた東大を落ちて入学した
別名司法試験予備校の<真ん中大学法学部>には、
−苦行20年
というのが、ざらにいたそうだ。

だから、当時の東大法学部の学生は、
合格までやたらと時間のかかる司法試験は敬遠し、
東大入試試験や大学で学んだ専門科目の知識が役立ち、
司法試験と比べれば短期間で、在学中に合格し易く、
しかも
 ー石を投げれば東大法学部OBにあたる中央官庁
に入れば、
エスカレーターのようにエスタンブリッシュメントの道が開かれている
国家公務員一種試験や外務省一種試験に集中したらしい。
つまり廉さんのように、
在学中に司法試験に合格するというのは、
日本人の東大法学部生の中でも、希少価値があったのだ。

ところが、廉青年は、
初対面の「一世」に、
頼みもしない自分の経歴を披瀝されて迷惑そうな顔をしたらしい。

普通、<インテリ朝鮮人>は、
 ーこれでもか! コレデモカ!
  まだマダ、これでドウダ! 
  フン! まいったか!!
と、自分の輝かしい経歴(と本人は思っている)
を胸を張って自慢するのだが、
廉青年には、まったくそういうところが無かったらしい。

廉青年は、あまり流暢とは言えない北朝鮮式朝鮮語で、
「チョ(私)のことは、もう、それぐらいにしてほしい。
 申し訳ないが、トンム達は席を外してくれないか。
 河ソンセンニムと二人だけでお話をしたいのだが」
と言った。
「イェー」
「イェー」
連れの二人は、はじめからそのつもりだったらしく
すなおに廉さんの指図にしたがったそうだ。

この<インテリ朝鮮人>の中では、
ほぼ絶滅した朝鮮虎と同じくらい希少価値の高い謙虚な姿勢が、
アボジの印象をさらに良くした。

鉄屑屋・河田商店の事務室には、アボジと廉青年だけになった。
「河ソンセンニム、大変、失礼しました」
「・・・(ソンセンニム? 私のことか?! ほ〜う、なかなかいい青年だな。うふっ)」

アボジは、初対面の東大法学部出に、
しかも在学中に司法試験に合格している天才に、
 −ソンセンニム(先生様)
と、尊称されて、有頂天になったに違いない。

「河ソンセンニム。
実はチョのアボジやオモニも、
 先生と同じ、
 慶尚南道宜寧(キョンサンナンド ウィリョン)郡出身です」
「えっ! それは本当かね?」
「イェ〜、ですからチョのコヒャンも宜寧ということになります」
「ヤァ〜、それはそれは。
 それにしても嬉しいね〜
地元の宜寧からあなたのような優秀な後輩が出るなんて!」

朝鮮人、とくに「一世」は初対面の朝鮮人に、
 ーコヒャン(故郷)はどこか?
と、かならず聞いた。
これは地縁を血縁の次に大切にする朝鮮人伝統の人脈形成ノウハウらしい。

「一世」は、コヒャンが同じなら、
初対面であれ何であれ無条件で親戚のように親密になるのだった。
「二世」のオレからみると、
「一世」は、
やることなすこと滅茶苦茶だが、
故郷=地縁もメチャクチャに大事にする。
どうやら「一世」には、
 ー故郷と同郷人を大切にする、
というガチッとした人生哲学があるのだ。

流石は未来を嘱望されているエリートだけのことはある。
どうやら廉青年は、
「一世」の好みを知り尽くしていたようだ。
アボジから聞かれる前に、自分から切り出したというわけだ。

 ー何故、「一世」は、故郷や同郷人を大切にするのか? って。

インテリの李先輩によると、
「昔の朝鮮で生まれて育った「一世」には、
 錦衣還郷(クミファンヒャン)と首邱初心(スグチョシム)という志を
 祖父や親にあたる上の世代に子供の頃から叩き込まれてきたようだ。
錦衣還郷というのは、
 日本的に言うと、
  ー立身出世して郷里に錦を飾る、
 という上昇成功願望だな。
首邱初心というのは、
  ー狐が死ぬ時、自分が生まれた巣に頭を向ける、
 という、たとえから、
 ー成功しても郷里のことを絶対忘れてはいけないし、
   郷里を蔑ろにする人間は、真の成功者ではない、
という戒めのような愛郷志向だな。
だから「一世」には、
  ー郷里の人に成功者として認められ、
   愛郷愛族の名士としての名声を得たい、
 という強い願望があるようだ」
と説明してくれた。

そういえば、うちのアボジにも、錦衣還郷や首邱初心があった。
日本での屑鉄業で、
額に汗して油まみれになって働きながら貯めた金を
南朝鮮(韓国)の親兄弟に送金するのだった。

後の話になるが、
ペルゲンイの疑いが晴れたアボジは、
韓国政府の支援を受けて韓国人連盟が主催した
 <母国訪問団>
という外貨獲得と朝鮮人連盟「一世」会員の切り崩しを目的とした
 <政策的観光ツアー>
に、真っ先に応募、参加し、
宿願だった先祖と父母の墓参りを実現した。

郷里に住む仲の良い6人の兄弟姉妹や親戚一同に、
長い間、郷里に帰らず、
朝鮮人がヤンバンの末裔のプライドを賭けて
心血をそそぐチーサ(チェサ)や
親の葬式に欠席した不徳を謝罪したらしい。

こういう事情だから手ぶらで帰れるわけもない。
アボジは、
質素倹約で節約しながら、
啄木鳥のように、
 こつこつ、コツコツ、KOTUKOTU
と貯めた100万円近い金を、
韓国の兄弟姉妹や甥や姪等の親戚一同に、
気前よく全部あげてしまったようだ。

「えっ? 
 ヒャッ、ひゃっ、100万円も、
 ぜ、ゼ、ぜんぶ、
 か、カ、韓国の親戚にあげちゃったの?」
と、後で知ったオモニが愕然とするのだった。

普段、温厚なオモニの顔は、
いつものとおり、
 だんだん、ダンダン、DANDAN
大魔神のように憤怒の顔に変わった。

「あのハゲ! 
 あたしは、韓国の親戚より、自分のお腹を痛めた子ども達の方が大事よ!
 ウチには結婚していない子供が5人もいて、
 嫁入り前の娘が2人もいるのよ!
 明宗の学費だってあるのに!
 いったい何なのよ!」
と、オモニは怒りをあらわにする。
そして左右の手をペンギンのように上下しながら
 「あのツルッパゲ!」
と、ただの<禿>から、<ツルッ禿>への
<怒りのバージョアップ>を吐き捨てると、
「自分が日本で成功していると言わんばかりじゃないの! 
いったいぜんたい、この屑鉄屋のどこが成功しているというわけ!
 あのミエッパリ!
 あ〜、やだヤダ! 
 何でこんな男と結婚したんだろ!
 あたしには好きな人がいたのに・・・・」
と、定番の<怨念回顧録>が始まるのだった。

だけどアボジは、オモニの怒りを完全に無視した。
南朝鮮(韓国)から帰国した翌日の朝から、
汗と油まみれになって、
 こつこつ、コツコツ、KOTUKOTU
と金を貯める<朝鮮人勤勉啄木鳥>に変身するのだった。

アボジは、だいたい100万円位の金が貯まると、
離ればなれの恋人に会いに行くかのように、
ソワソワし始める。

毛がほとんど残って無いのに床屋に行き、
テカテカになって帰ってくる。
「ヤ、や、YAっ! おばけのQ太郎!」
と言えるわけもなく、
(今夜当たり、夫婦げんかが始まるなぁ〜)
と、心の準備をするけなげな少年がオレだった。

夫婦げんか開始のホラ貝を鳴らすのは、だいたい床屋の主人だった。
夕方、水門通り商店街で買い物中のオモニに会うと、
「いや〜、河田さんの奥さん!
 ご主人の頭は、なかなか難しくって大変ですよ〜」
と、さも、
 ー本当は割り増し料金が欲しい!
と言いたいようなニュアンスで言うらしい。

「・・・(怒! また韓国に行く気なの! あのハゲ!)
そうですか〜。いつもすみませんねぇ。
 何だったら次から首ごと切ってくれますか?」
「えっ!?」
(フン! 買い物なんてバカバカしいわ!
 何であのハゲのために、
 あたしが生活費を切りつめて、やりくりしなくちゃいけないのよ!)
と、オモニが考えるかどうかはわからないが、
確実に夕飯のおかずが、昨日の残り物になるのだった。

河家恒例の夫婦バトルを、
接戦の末、何とかしのいだアボジは、
河田商店を1週間程度、臨時休業にする。
奮発して銀座英國屋で買った一張羅の高い背広を着込んで
胸を張って韓国へ行き
宜寧の親戚達に、
100万近い金を気前よくばらまいてくるのだった。

アボジの人生は、この繰り返しで、
その都度、オモニと夫婦ゲンカの死闘を繰り返し、
その都度、オレは、
オモニの<怨念回顧録>を聞かされるハメになるのだった。
その都度、
(やっぱりアボジのような朝鮮生まれの「一世」は、
 日本生まれのオレ達「二世」とは、じぇ〜んじぇ〜ん、違うようなぁ〜)
と、考え込んでしまうのだった。

逆に、「一世」は、
故郷が違うと話題が途切れてしまったり、沈黙するのだ。
けれでも、それはまだましなほうで、
初対面で故郷を聞いた「一世」と、
聞かれて答えた「一世」の故郷が、
朝鮮の遙か昔の<三国時代>に、
覇権を競った伝統的に仲の悪い地域同士、
 ー慶尚道(キョンサンド。昔の新羅)VS全羅道(チョルラド。昔の百済)
のような場合には、
さすがに殴りあったりはしないけど
お互いが一瞬だがヌンチ(ガン付け)して警戒したり、
露骨に不快感をあらわにすることが少なくなかった。

「故郷を大切に思う心は「一世」の美徳であるけど、
 逆にそれが高じてしまって
 他郷出身者を差別するという悪癖にもなってるな。
だから今でも子どもの結婚相手を選ぶとき露骨に差別する。
  ー故郷が違う。
   よりによって仇敵の全羅道出身なんてダメだ! 
   あいつらは、チョルラド・カップチェンイ(ケチ)で、
   ウソ八百で信用できん! 絶対許さん!
とか、
ーなにィ〜! 済州島(チェジュド)出身だと! ふざけるな! 
朝鮮の地図を見てみろ!
 あそこは朝鮮半島のシッポ、言うなればクソと同じだ!
 あの島はなぁ、もともと流刑地で、
 罪人の子孫と、
 元寇の時に住み着いた野蛮なモンゴル人との混血が進んでいるんだぞ!
 結婚なんて冗談じゃない! 
 あの世で先祖に申し訳が立たない!
  てなことを慶尚道出身のうちのアボジは堂々と言ってるしな。
同じ朝鮮人同士なのに、恥ずかしくないのかね?
そんなことを言ってるようじゃ、
  ーチョーセン人なんかと結婚するなんて、血が汚れる! 
と平気で言ってる日本人の民族差別を笑えないじゃないか!」
と、インテリの李先輩は、吐き捨てるように言うのだった。
 
話を元に戻す。
アボジは、同郷の廉青年に並々ならぬ好意を持った。
「オ〜イ、チャネ(君)〜、いるか〜」
「はぁ〜い、何ですか?」
オモニが事務室に入ってきた。
廉青年は、
「あっ、どうも、アンニョンハシムミカ!」
と起立して会釈した。
「この青年は、廉君と言うんだが、なんと宜寧出身なんだよ!」
「まぁ〜、そうなの!
 嬉しいわ。同郷の人が訪ねて来てくれるなんて!」

オモニもやはり「一世」だけのことはある。
アボジ同様、廉青年が同郷というだけで、好意を持ったらしい。
「廉トンム! 
 あたしも、7歳の頃から日本に働きに来て、
 つらいめにたくさんあったけど、
 頼りになったのは同郷の宜寧の友達だったわ。
女同士、あのつらい時代をお互い励まし合って生きてきたのよ。
 だからあなたも遠慮しないでね。
 コヒャンが同じなのだから。
できることは何でもするから」






「まぁまぁ、
 廉君は、大変、優秀なんだよ!
 だから私達が助けることなんてタカが知れてるさぁ」
「あらぁ、そんなに優秀なの?  廉トンムは?」
「いぇ、そんなことはありません。チョが優秀なんて・・・」
「あっはっハッ、
 何を言うのかね。
 東大法学部出身で、最難関の司法試験を現役で合格しているあなたが
 優秀でないというのなら一体どこの誰が優秀だと言うのかね?
・・・(まさか、朝鮮人インテリ・ナルシストの義弟か?)」

「まぁ〜! 東大出の弁護士さんなのね! 同じコヒャンで鼻が高いわ!」
「いぇ、チョは弁護士ではありません。
 司法修習所に入学しておりませんので。
 司法試験に受かったのも、まぐれというか、運が良かったというか、その〜」
「司法修習所?」
「あっ、説明不足でした。
 司法試験に合格したからといって弁護士になれるわけではありません。
 合格後に司法修習所という法務省が管轄する研修所に入学し、
 そこで法曹としての所定の訓練を受けて卒業した者が
 裁判官や検事、弁護士という法曹(ほうそう)になることができるのです」
「ほぅ〜、そう(ダジャレのつもりだが、うけた試しがない)」
「はっ?」

「・・・(またうけなかった)
 まぁいい、まぁいい。
 私らにはまったく縁がないしなぁ。
 いずれにせよ、あなたは本当に謙虚だね」
「いえ。ただ単に不器用なだけです」

「あっはっは! 謙遜謙遜!
 ところで先ほど、オモニも宜寧出身だと言ってたね?」
「イェ〜。そうです」
「オモニの姓は?」
「オモニは、姜(カン)です」
「えっ!」
「あらっ!」
「そうか姜か! いゃ〜、嬉しいね〜、
 そ〜かそうか、
 じゃぁ、あなたと私とは遠い親戚とも言えるじゃないか!
 何もかも気に入ったよ!
 さぁ、チャネ〜、麒麟ビールとナムル、
 そうそう、かりんとうも頼むよ!」
「はい、はい」
オモニは事務室の隣にある台所へ行った。

どうしてアボジとオモニが、驚き、喜んだかというと、
 ー河氏と姜氏とは元々先祖が同じで
  始祖発祥の地は、慶尚南道の晋州(チンジュ)だ
と伝わっているからだ。

遠い先祖を同じくする絶対多数派が<姜>を名乗り、
極めて少数派が<河>を名乗ったらしい。
だから、<河氏>の子供達は、
思春期を迎えるころには、
 ー遠い先祖が同じなので、<姜氏>とは結婚してはいけない、
と親から教わるのだった。

ちなみに朝鮮人で一番多いのは、
オモニの姓の<金>だが、
<金氏>には、
オモニの<清道(チョンド)金氏>や
メチャクチャ多い<金海・金氏>等、
先祖の出身地が異なるたくさんの<金氏>があり、
「同じ<金氏>でも先祖が違うのであれば結婚できる」
とアボジが教えてくれた。

「それじゃアボジ〜、桜吹雪の遠山の金さんは、どうなの?」
と、素朴な質問をぶつけると、
ーピシッ!
と、アボジは無言で、右のビンタをくれるのだった。

父系の血統重視の朝鮮人社会では、
何千年前の遠い親戚ですら結婚できないのだから、
日本人とは異なり、いとこはもちろん、
親戚同士の男女は、絶対結婚してはいけないのだ。

ちなみにオモニは、
<河氏>に嫁いだわけだが、姓は金のままだ。
朝鮮人の女は、日本人とは異なり、結婚しても姓が変わらないのだ。
「これは男女平等の別姓尊重というわけではなく、
 朝鮮伝統の父系血統中心社会のけじめらしい。
 結婚しても別姓のままだから、跡継ぎの男子を授からないと
 嫁ぎ先の一族内での身分が安定しない。
 だから男の子ができるまで生み続けるので、自然と子だくさんになる。
 まぁ、この点は、天皇一家とよく似ているな」
と、インテリの李先輩が教えてくれた。

オモニは、
麒麟ビールとナムル、かりんとうをおぼんにのせて事務室に戻ってきた。
「さぁ、廉トンム! チャッスセヨ(召し上がれ)!」
「いぇ、お構いなく」
「さぁ、さぁ、遠慮は無しにしよう。
 これでも私はコヒャンの先輩なのだから」
「いぇっ、イェ〜」
というわけでアボジと廉さんは、
同郷のよしみでハンチャン(一杯)やることになった。

二人は、真っ昼間から酒を飲み始めた。
やはり朝鮮人には、
日本人とは違う独特の<朝鮮人ワールド>的な生活観があるのだ。


(2の5)

二人は、ほろ酔い加減で世間話を一通り終えると、
朝鮮人が最も白熱する政治について語り合ったらしい。
お互いが世界情勢や朝鮮半島情勢に関する所見を披瀝したそうだ。

「#$%&’#$%&!・・・」
「#$%?! &’#$%&!・・・」
アボジの慶尚道訛りの朝鮮語と
廉青年の北朝鮮式朝鮮語を翻訳すると次のようになる。

「・・・。
 私も河先生が、ご指摘されたご意見、
 あっ、これは、さきほど同席していた活動家のトンムから聞いた話ですが・・・」
「いや、遠慮はいらないから、どうぞどうぞ」
「はっ、恐縮です。
 ではお言葉に甘えて申し上げます。
 チョも、河先生同様、金日成がさほど好きではありません。
「えっ?!」
「あの笑顔が妙に不自然で、何か裏があるようで胡散臭いのです。」
「あんた! 
 朝鮮人連盟の幹部候補のくせに、そんなこと言ってもいいのかね?」

廉青年は、
 ニヤッ
と微笑みながら右手の人差し指を口の前に立てて頷いた。

「しかし、ウリ朝鮮人には、正統かつ正当な強いリーダーが必要だと考えております」
「正統かつ正当な強いリ−ダ−?」
「イェ〜、
 ウリ民族とウリナラ(わが国)には、正統かつ正当な強いリーダーが必要なのです。
 朝鮮人の人権と権利を守り、
 朝鮮人が主権者となる富強な国民国家を創建するためには、
 正統かつ正当な強いリーダーが不可欠だと確信しております」
「ふ〜むぅ。それじゃ、あなたは、それが金日成だというのかな?」

「イェ〜。
  ご存じの通り、ウリ朝鮮民族は、
 500年もの間、李氏朝鮮王朝の統治原理となった儒教朱子学の影響で
  政治に対する正統性と正当性に強いこだわりを持つという伝統があります。
 良きにしろ悪きにしろ一種の頑固な儒教原理主義と言えるでしょう。
 儒教発祥の地・中国よりも、ウリ朝鮮の方が、
 こと朱子学にかんする限り、純粋培養されてきました」
「ウム。あなたの言うとおりだな。間違いないよ。
 本家の中国よりも、朝鮮の方が朱子学を金科玉条のように純粋培養したというのは」

「イェ〜、
 朱子学の特徴とも言える正義か不正義かの白黒をはっきりさせるという政治的姿勢は、
 政治的対立者を徹底的に叩き潰さなければ気が済まないという政治風土を生みました。
  しかもこの姿勢は、李朝の支配層だけではなく、
 被支配層の民衆にまで拡散したと思われます」
「まぁ、そうだな。
 李朝の党派の争いなんてのは良い例だね。
 王様の母が死んだら喪に服す期間は、1年か3年かで、
 凄まじい政争を繰り広げ、論争に負けた一派は、処刑されるという、
 今では想像もできない不毛な争いを繰り返してきたしな」
「イェ〜。残念ながら」
「そうだなぁ〜
 あなたが言うとおり、朝鮮人の特徴かも知れないな。
 もちろんすべてが、そうだとは言わないが。
 実際、朝鮮人、とくに私と同じ「一世」は、
 どうでもよいことでも、白黒はっきりつけたがる癖があるしな。
 他人の家の葬式に来て、
  ー葬式の作法が間違っている! 
  とか、
  ーあれはヤンバンの礼法じゃない! 故人が可愛そうだ!!
 とか遺族に文句を言っては、諫める参列者と大げんかするし・・・」
「イェ〜。そういうこともあります。残念ながら・・」

「だけども廉君。
 そのことと金日成が正統かつ正当なリーダーだということとは、
 いったいどういう関係があるのかね? 
 私にはよくわからないのだが」

「イェ〜。
  日本帝国主義の36年間にも及ぶ植民地から解放された後、
 建国された南北朝鮮の新生国家のリーダーに選ばれた李承晩と金日成とは、
  それぞれ解放軍だったアメリカとソ連の強力な軍事的支援で選ばれたにせよ、
 若い頃から日帝(イルチェ)を打倒し、祖国の独立を実現するため、
 命をかけて闘ってきた終始一貫した抗日活動家・独立運動家であったという経歴から
 政治的な意味で新生朝鮮のリーダーとしての正統性と正当性があったといえます。
 ですから、南北朝鮮の人民達が、一応はリーダーとして承認したと考えられます」
「ウム。確かに・・・」

「南北朝鮮における新生国家建国後、僅か2年足らずで朝鮮戦争が始まりました。
 社会主義のソ連および中国と、
 資本主義のアメリカとのイデオロギー代理戦争といえる朝鮮戦争は、
 ウリ民族の最大の悲劇でしたが、
 冷静に考えれば、白か黒かをわける朝鮮人の民族性が、
 社会主義か資本主義かをくっきり色分けさせ、
 お互いの憎しみを増幅させたと言えなくもありません」
「10年前のことだが、本当に、あの戦争はひどかったよ。
  ーペルゲンイ!
 だとか、
  ー人民の敵!
 だとか、同じ民族同士で壮絶な殺戮を繰り返したからね・・・」
「イェ〜、チョも朝鮮戦争の悲劇を思う度、
 同じ朝鮮民族としてカスミアップンミダ(胸が痛みます)・・・」
「ん!?」
廉青年は、ポケットから白いハンカチを取り出して涙を拭いたそうだ。
「あっ、失礼しました」
「いやいや(この青年は、純粋だな)」
廉青年は、しばらく沈黙したらしい。
アボジも何も言わなかったそうだ。
やがて廉青年が口を開いた。

「1950年から3年間に渡る朝鮮戦争は、
 結局、勝敗がつかず引き分け同然で、休戦しました。
 そのため南北朝鮮の国内では、指導者に対する怨嗟の声が満ち溢れたに違いありません。
 李承晩も金日成も政治的生命の危機に直面したと考えられます」
「そうだね。だから李承晩も金日成も、お互いが声を張り上げて、
  ー朝鮮戦争は、勝った! 勝った!
 と、国民にプロパガンダしたしな。
 とくに、金日成は、ナンバー2の朴憲永に朝鮮戦争の責任をなすりつけ
 革命の裏切り者として粛正することで政治的危機を脱したしな」
「イェ〜、おっしゃるとおりです」

「李承晩は、どうだったかな?」
「李承晩は、金日成とは異なり何もできませんでした。
 より正確に言えば、スケープゴードを見つけられなかったと考えられます」
「そうだね。一応、資本主義国を標榜している以上は、むやみに粛正はできないからね。
 露骨な政治的スケープゴードによる粛正や暗殺は、
 自由と平等を旗印にしているアメリカが嫌がるからね」

「イェ〜。
 米国への留学経験のある李承晩は、そのへんの事情は理解していたと思います。
 米国政府の支援無しでは、到底政権は安定しないのですから。
 朝鮮戦争の責任をあやふやにした李承晩政権は、戦争で辛酸をなめた南朝鮮人民の
 リーダーとしての政治的な信を失ったといえるでしょう。
 にもかかわらず、政権内部の腐敗が進み、南朝鮮人民の憎しみが日増しに高まりました。
 そして朝鮮戦争休戦から7年後、4・19学生革命で崩壊したのです」
「3年前のあの革命は衝撃的だったよ。
 朝鮮全土が共産化すると思ったし。
 とくに61年に民族統一全国学生連盟ができて、
 北の学生と統一を議論すると宣言したときには、
 故郷にいる一族が心配で心配で夜も眠れなかったよ」

「イェ〜。おそらく在日の同胞の大部分は、河先生と同じように考えたと思われます」
「ところが、それを阻止する男が、
 <5・16軍事クーデター>を成功させて歴史の表舞台に登場した」
「イェ〜、残念ながら」
「それが朴チョンヒだった」
「イェ〜、残念ながら。
 けれども河先生! 朴チョンヒもいつまで持つかわかりません」
「そうだね。まだ2年目だし、今後どうなるかわからないし・・・」
「チョは、思うのですが、朴チョンヒには、正統性と正当性がまったくありません。
 客観的に観て彼は、日帝の陸軍士官学校出身という前歴があまりにも悪すぎます。
 本来ならば、解放後に親日派として糾弾処罰されてもおかしくない経歴です。
「・・・」
「たとえば、第二次世界大戦後、
 フランスではナチス・ドイツに協力した親独フランス人を糾弾し処罰処刑しました。
  ナチの将校の愛人だったフランス女性をリンチし、丸坊主にして罪を正しましたし、
 男の場合は、国を外国に売った売国奴として処刑したはずです。
 中国でも同じです。
 蒋介石や毛沢東等の中国のリーダー達は、敵国の日本人に対しては比較的寛大でした。
  ー日本人が、日本のため、日本人のために戦争に協力する、
 というのは、やむを得ないと思ったのかも知れませんが、
  ー中国人が、日本のため、日本人のために戦争に協力し、同胞および自分の国を売る、
  という反民族的な行為に対しては、徹底的に糾弾し処罰処刑したはずです」
「・・・」
アボジは、興奮している廉青年に圧倒されたらしい。

「ソ連が進駐した朝鮮北部、つまり今の共和国の領土内では、
 植民地期に日帝に協力した親日派を徹底的に糾弾処罰し、財産を没収しましたので、
 地主やブルジョア達は、命からがらアメリカ軍が駐留する朝鮮南部に逃げました」
「・・・」
「ところが南朝鮮の場合、
 親日派の糾弾を最小限にとどめ、大部分の罪をとがめませんでした。
 そして驚くべきことに、親日派の連中が、
 李承晩政権下で、政治経済等のあらゆる分野で重要なポストに就いたのです。
 解放前まで日帝のために働いていた反民族的な売国的な連中が、
 解放後は、手のひらを返したように、民族主義者・愛好主義者の仮面をかぶり、
  ーこれからは朝鮮民族のために働く、
 と言い出したのです。
  これが李承晩政権下の南朝鮮権力層の本質です。
 ですから、後の学生革命で打倒された李政権は、
 政権発足後や朝鮮戦争後に腐敗したのではなく、
 スタート当初から腐敗堕落していたのです」
「・・・」
「河先生!・・・・(省略)。
 ですから南朝鮮の歴代権力者に比べて、
 共和国の金日成政権は、はるかに正統性と正当性があります。
 チョは、金日成を、個人的に好きか嫌いかという感情論ではかるのではなく、
 終始一貫した抗日革命家であったという経歴、
 抑圧や搾取がなく、貧富の差がない、
 誰しも平等にくらす社会主義・共産主義を目指す新生朝鮮のリーダーは、
 金日成こそがふさわしいと思うのです」
「・・・(やはりなんだかんだと言っても、この青年はペルゲンイだなぁ)」
「ですから、チョは、共和国を支持し、朝鮮人連盟の活動に邁進しています。
 日本にも日本人の支持者や同志はたくさんおります。
  チョは、日本の社会主義勢力と連帯して、
 誰もが平等に、そして幸せに生きられる社会を実現したいと考えております」
「・・・(あぶないなぁ)」
「チョは、この身のすべてを捧げる覚悟で、
 そう朝鮮の社会主義・共産主義革命のためなら明日死んでも構わない!
 理想の社会を実現できるのであれば、命も惜しくはありません!」
「・・・(主義主張はともかく、純粋な青年だなぁ。瞳が輝いている)」

興奮した廉青年は、乾いた喉を潤すため、
ビールの入ったコップを一挙に飲み干したそうだ。
「ハ〜」
と息を吐くと、コップをテーブルに置いて言った。

「ただし、・・・」
「ただし?」
「ただし、さきほど強いリーダーと申しましたが、独裁制は容認できません」
「独裁制って? 
 私から言わせれば、金日成はすでに北朝鮮を独裁していると思うのだが?」
「残念ながらそうかも知れません」
「・・・(そうかも知れないって? そうだろう現実には)」

「チョは、新生朝鮮にふさわしい正統かつ正当な強いリーダーは、
 国民統合のシンボル的な存在が望ましいと考えておりました」
「ほう〜。シンボル的な存在かね?」
「イェ〜。
  あくまでシンボルとして君臨し、
 具体的な政策は、愛族心と愛国心に満ちた優秀な官僚達に任せるという
 政治形態が新生朝鮮の理想だと考えております」
「う〜む、なるほど」
「イェ〜、
 ですから、独裁制は容認できないのです。
 権力はかならず腐敗しますから」
「確かに、あなたの言うとおりだが(だけど現実の北朝鮮は、金日成の独裁じゃないか)」

「チョヌン、金日成を<朝鮮の天皇>にしたいと考えておりました」
「えっ?! 朝鮮の天皇!? 金日成をかね?!」

「イェ〜。<朝鮮の天皇>です」
「ほう〜。それは聞き慣れない大胆な発言だね」
「イェ〜。
 同胞のインテリの大部分は、
 明治維新や明治日本、なかんずく天皇制を否定的にしか見ようとはしません。
  知識人が集う朝鮮人学者協会も、明治そのものを認めたがらない傾向があります」
「そりゃ、そうだろう。
 何せ朝鮮を植民地にした元凶だからね」
「しかし、チョヌンそのような感情的な姿勢には批判的です」
「ほう〜」

廉青年は少し間をおいて言った。
「ご存じのとおり、孫子は、」
「敵を知り己を知れば百戦危うからず、だね」
「さすがは河先生! 博識でいらっしゃる」
廉青年は、一方的に喋ることは避け、アボジに肩をもたせる配慮を忘れなかった。

「チョヌン、日本をヲンス(仇)として、ただ憎み、
 何でもかんでも否定するのではなく、
 参考にすべきところは参考にすべきであると考えております。
 冷静に考えてみれば、弱肉強食の帝国主義の時代に、
 野蛮な欧米列強に国土を蹂躙されず、
 奴らの植民地や半植民地になっていなかったのは、
 世界中で日本と朝鮮、そして多少形態は違いますがタイだけでした」
「そうだね。
 朝鮮にも日本と同じ時期に黒船みたいなのが来て開国要求があったしね」
「ええ。朝・日いずれも鎖国化の状況は、ほぼ同じであったと言えるでしょう。
 河先生!
 では、どうして日本は、明治維新から僅かの歳月しか過ぎていないのに、
 大国だった清国(今の中国)や帝政ロシア(旧ソ連を経た今のロシア)に闘いを挑み、
 勝利し得たのか。
 いわゆる近代化のスタートは、
 ほぼ同じ条件があったはずの鎖国化の日本と朝鮮とが、
 何故、50数年後に支配する側とされる側とにわかれたのか」
「ふ〜む・・」

「様々な要因があると思いますが、
 ウリが最も参考にすべきところは、天皇制にあると考えております」
「天皇制?」
「イェ〜。天皇制です
 これこそが明治という時代を解明する手がかりだと考えております」
「それはどういうことかね?
 私の頭では残念だが理解できないのだが・・・」
「河先生に意見するのは僭越ですが・・・」
「・・・(えっ!? もう、すでにしてるじゃないか!)
 いや、遠慮無く。教えて下さい。廉さん」
アボジは完全に廉青年のペースにはまったらしい。

「では、お言葉に甘えて遠慮無く。
 結論から申し上げますと、
 日本に負けない富強なウリナラを創るためには、
 金日成を<朝鮮の天皇>にしなければならないのです。
 チョヌン金日成に、かつての明治天皇のような役割を期待しております」
「キム・イルソンを朝鮮の天皇にかね?
 それは論理の飛躍なんじゃないかね?」

「確かに理想かもわかりませんが、
 理想は地上のあらゆる生物の中で人間だけが持つものであり、
 だとすれば、仮に難しいと分かっていても、
 それに邁進することが人生なのではないかと考えております」
「う〜む(やはりこの青年はレベルが違う」
「明治維新の際、日本の権力者は、
 政治的軍事的な重大決定の際、
 かならずと言って良い程、天皇が利用し、ことごとく成功させました。
 たとえば、鳥羽伏見の戦いです。
 岩倉具視と大久保利通らが、徳川幕府軍との軍事的勢力劣勢を挽回するため
 天皇の旗、いわゆる<錦の御旗>というものを捏造しました。
 あれで尊皇の水戸学を信奉していた水戸藩出身の徳川慶喜の腰が抜けました。
 慶喜は、仮に武力で徳川が勝ったとしても、
 足利尊氏のように朝敵として後世に名を残すことを嫌い恭順したのです。
  これに味をしめた大久保らが、
 <天皇の御心>ということで明治の諸制度の骨格を創り上げました。
 明治政府の権力者達は、皆、下級武士出身であり、
 かつての上司にあたる殿様や上級武士に対する身分的な限界を
 <天皇の権威>を利用することで克服したのです。
 自分達で考え出したことをすべて<天皇の命令>ということで推し進めました。
  日本初の内閣総理大臣となった伊藤博文は、
 政治的師匠と言える大久保利通暗殺後、その路線を継承したに過ぎません」
「・・・」
歴史好きのアボジは、興味深く聞き入ったらしい。

「次いで廃藩置県、そして西南戦争です。
 そもそも江戸時代の日本人にとって、お国というはすなわち藩であったはずです。
  その藩を無くすという廃藩置県は、まさに革命的でした。
 さらに、長州の山形有朋らが、徴兵制度というものを断行しました。
  これも<天皇の権威>を利用し、<天皇の命令>として断行されたのです」
「・・・(ごくッ)」
「これに対して特権を剥奪された武士が反発するわけですが、
 その最大の反乱が、薩摩の西郷隆盛の西南戦争です。
 明治政府はからくも勝利しましたが、
 薩摩軍の勇猛さの要因を西郷のカリスマ性とみなしたフシがあります」
「・・・(ごくっゴクッ)」
「西郷にかわるカリスマを誰にするのか?
 それは、天皇以外にない、ということです。
 実際、西南戦争後、軍服姿の若き明治天皇が登場してきました。
  これは山県有朋らのアイディアであったと考えます。
 明治天皇は、大元帥となり、政府軍は<皇軍>となりました。
  身分が卑しいと士族階級から軽蔑されていた百姓や町人の軍隊に権威を与える必要性が あったのでしょう。
 これで軍隊の志気は高まったといえます。
  ー自分達は、正統かつ正当な日本の主である天皇陛下の軍隊なのだ!
 というプライドを持たせることに成功したのです。
 これによって国民国家の義務である徴兵制度は確立さてたと考えます。
 以来、昭和天皇までこの天皇制は踏襲され、やがて破滅して行きますが」
「・・・(ごくっゴク、ごくっ)」
「ですからチョは、明治に確立された天皇制の長所をウリナラも模倣し、
 正統かつ正当な政治的リーダーとして金日成をシンボル的な立場におき、
 彼の周りに優れた官僚をおいて政策を立案し、
 金日成の権威によって公布すべきであると考えています」
アボジは、廉青年が熱く語った<朝鮮の天皇・金日成説>に感服してしまったらしい。

「ところで河先生。
 ウリ朝鮮人は、なぜ日本人に差別されたのでしょうか?」
「そりゃ、君、自分の国を日帝に奪われてマングンノ(亡国の民)になったからだよ」
「そうです。おっしゃるとおりです。
 ウリ先祖が日本人の先祖に祖国を奪われたからです。
 だからこそウリ朝鮮民族は、日本人から劣等民族とみなされて軽蔑され、
 植民地にされた36年もの長い間、
  ーいわしが魚か朝鮮人が人間か?
 と、まったく人間扱いされませんでした」
「そうだね。骨身にしみているよ。差別は・・・」

「河先生もご存じの通り、日本人の朝鮮人に対する差別の根元は、
  −自分の国も守れない劣等民族
 ということにつきると思うのです」
「あなたの言うとおりかも知れないな。
 しかし、解放後は、南と北に二つの国ができたじゃないか?」
「いえ、僭越なようですが、あの程度の貧弱な国家ができても日本人は認めません。
 日本敗戦後、解放されたはずの朝鮮人が、
 戦後もなお引き続きおかれた劣等的立場を克服するためには、
 何の足しにも成らないのです。あの程度の弱小国では」
「そうかな〜」
「はい、現に日本にいる朝鮮人は、
 解放後、約20年も経つというのに未だに日本人に蔑まれています」

「それはあなたの言うとおりだが。
 しかし・・・」
と、アボジは、独学で学んだ自説をえんえんと1時間近くも演説したらしい。
その間、廉という青年は、アボジの目を見ながら、
 じっ〜と、
聞き手となり、時には頷いてくれたらしい。
「さすがは河先生。よく研究なされていらっしゃる」
「いや、それほどでも」
この<インテリ朝鮮人>には、珍しい他人の意見に耳を傾ける姿勢が、
アボジを三度感心させたらしい。
アボジは廉青年をますます気に入ったのだ。

「ところで、河先生。
 スターリン批判以降のソ連と中国との対立をどのように思われますか?」
「難しい質問だね。
 素人ながらも、同じペルゲンイ、いや失敬、
 共産主義・社会主義なのにケンカしているのは、あまり良いことではないね」
「ははっ、あっ、失礼しました。
 おっしゃるとおりです。
 共和国は、同盟国である二大国の紛争の渦中におかれ、
 中・ソいずれを支持するのかで、厳しい選択を迫られました。
 朝鮮労働党内のソ連派と中国派とのヘゲモニー争いも熾烈でした。
 金日成は、この二派にかつがれて共和国のトップに君臨しているわけですから、
 この問題を完全に解決しない限り、彼の権力基盤は盤石とはいえないでしょう」
「なるほど」
「とくにキューバ危機でのソ連の対アメリカ弱腰外交は、
 金日成にはかなりの衝撃だったと思われます」

「ほ〜う。
 でも、もしもだ。
 仮に、ソ連のフルシュチョフがアメリカのケネディに譲歩しなければ、
 核兵器を使った第三次世界大戦が勃発していたかもしれないじゃないか?」
「確かに、そうかも知れません。
 けれども物事にはこういう見方もありえます。
 金日成にしろ、毛沢東にしろ、
 その本質は政治家と言うよりはむしろ革命家です。
  革命家にとっての戦争は、必然性を帯びた過渡的な正義の通過儀礼です。
  つまり、望むところ、と言えなくもないでしょう」
「あなたは、顔に似合わず大胆なことを言いきるね」
「あっ、少し調子に乗りすぎました。ミアナンミダ(すみません)」
「いやいや、結構結構。さっ、遠慮無く続けてくれたまえ」

「では、お言葉に甘えて。
 ご存知のとおり、朝鮮戦争は休戦であって、終結ではありません。
 平和条約締結の<へ>の字も話題にのぼることはありません。
 したがって、いつでも一方が休戦協約を破棄すれば、
 第二次朝鮮戦争に突入するという状況にあります」
「それが現実だな」
「そうです。それが朝鮮半島の現実なのです。
 現在の東西冷戦状況下では、
 第二次朝鮮戦争はいつおこるかわからないといえるでしょう。
 現に、朴チョンヒは、東西冷戦の象徴であるベトナム戦争に、
 アメリカの友軍として南朝鮮軍を派遣しており、
 中国も社会主義勢力のベトコンを支援しており、
 その余波がいつ何時、朝鮮に向かうかもしれないのですから」

「確かにそうだ。
 でっ、金日成に衝撃を与えた、というのはどういう意味かね?」
「それは、いざというときに、
 つまりアメリカが休戦条約を破棄した際に、ソ連はまったく頼りにならない、
 という戒めを金日成は認識したということです。
 ですから、金日成は、国防計画の見直しを迫られたと考えられます」
「国防計画の見直し?」
「イェ〜。これはあくまで推測に過ぎませんが、
 おそらく金日成は、
 親しかった毛沢東の国防路線を模倣すべく、着々と準備していると思われます」
「毛沢東の国防路線?」
「核武装です」
「核?! 原爆のことかね?」
「イェ〜。朝鮮戦争で中共が共和国の義勇軍として参戦した際、
 アメリカのマッカーサーは、北京等への原爆投下を計画しました」
「確か、トルーマン大統領が、
 ソ連を刺激することで誘発しかねない第三次世界大戦を危惧して
 中共に対する原爆使用を許可せず、マッカーサーを解任したよね」
「そうです。毛沢東にとっては戦々恐々だったと思われます。核の脅威は。
 だからこそ毛沢東は、中国の核武装を急ぎ、
 国防費の大半を核開発に費やしたと言われています。
 スターリン死後のソ連フルシュチョフ政権との関係悪化と軍事上の脅威が、
 核開発を一層促進したと思われます」
「それじゃ君は、
 金日成も毛沢東にならい核武装を計画していると言うのかね?」
「イェ〜。
 チョヌン、朝鮮問題を次のように考えています。
 ・・・・・。」

廉青年は、革命家のように、
そうキューバ革命の英雄、チェ・ゲバラのように、
目を輝かしながら、
アボジに朝鮮半島に関する政治的所見を熱く語ったらしい。

アボジは、感服してしまったらしい。
「いや〜、恐れ入ったよ。
 あなたの知性は、私などは到底、足下にも及ばないな」
「いえ、少し酒が入りすぎて調子に乗りすぎました。
 同郷の方なので、つい・・・。
  悪い癖だと反省しております。
 河ソンセンニム、ミアナムミダ」
「いや、いや、
 ひとつの考えとして、大変、勉強になったよ」
「そのようにおっしゃって頂ければ、肩の荷が下ります」
「はっはっ。
 あなたの謙遜な態度は、インテリ朝鮮人の中では国宝級だね」
「いぇ、そこらへんは何とも、・・・」

「まぁまぁ。
 酒も入っていることだし、あまり気にする必要なない。
 聞き手の私が感心して楽しんでいるのだから。
 ところで、廉君、いや廉先生」
「えっ!?
 こまります。河先生、チョごときを<先生>とは・・・」
「いや、あなたは<先生>と尊称するに値する人物だ」
「それはちょっと・・・・。
 お止め頂けませんか?」
「まあ、いいじゃないかね」
「そういうわけには・・・」
「あっはっは。まぁまぁ」
「困ります・・・」
廉青年は、本当に困った顔をしたらしい。


(2の6)

アボジの心をつかんだ廉青年は、

政治談義には一応の区切りをつけるため、たわいもない世間話を始めたらしい。

 

アボジに言わせると、

「ここらへんが、

 他の生意気な朝鮮人連盟のペルゲンイ青年とは違う廉君の優れたところだ。

 朝鮮人の悪い癖は、自説に酔うことだが、廉君にはそれが無い」

というのは朝鮮人、とくに「一世」は、

「普通は他人の意見に耳を傾けようとはしない。

 兎にも角にも、言った者勝ちで、滅茶苦茶な意見であっても、

 持ち前の馬力で大声を張り上げて押し通そうとする」

そうで、

「だいたい朝鮮人連盟や韓国人連盟の幹部クラスや

 パチンコとか金貸しとかで経済的に成功しているのは、このタイプだ」

と吐き捨てるように言った。

 

「一世」は、顔に似合わない繊細な傷つき易さがあるらしい。

いくら優れた意見だとしても、それを延々と続けると

 ーこいつはオレをバカにしているのか?

と不愉快になるらしいのだ。

とくに、儒教の影響で、年上・年下にやたらとこだわるから、

年下の奴が機関銃のように、

 ーベラべらBERA、ベラべらBERA・・・

しゃべり続けると

 ー イ〜、コンバンジュウィノム!(この傲慢な奴)

とキレるらしいのだ。

 

「こういう朝鮮人の悪癖を自然体で治癒している廉君は、

 ペルゲンイとはいえ一個人としては惚れ惚れしてしまうよ」

と懐かしい昔の恋人を思いだすうな眼差しで言うのだった。

 

話を戻す。

酔いが少しまわってきた廉青年は、次いで身の上話を始めたらしい。

「ウリ「二世」は、河先生の世代と比べれば幸運だったかも知れません」

「・・・」

「けれども日本生まれの私達の世代も、

 子供の頃から襲いかかる不条理な差別に遭遇する都度、苦しんできました」

「・・・」

 

「チョは、京都市内の被差別部落で生まれました」

「そうなのかね。

  戦前に京都に住み着いた朝鮮人は、

 だいたいペクチョンの村の中に朝鮮人部落をつくったらしいね」

「イェ〜。よくご存じで」

 

「それじゃあなたのアボジは、

 西陣織りとか友禅染で働いていたんじゃないかね?」

「えっ? どうしてそれを」

「そりゃ、京都市内の朝鮮人の代表的な仕事は繊維だからね。

  西陣織手、友禅染の蒸しや整理、ボロチャンサ(古繊維回収業)等々・・」

「ヤぁ〜、河先生は、よくそこまで、詳しくご存じで」

「いや、実はね。

 私も戦前、流れ流れて京都へ行き西陣織りで働いた経験があってね」

「ヤぁ〜、そうなんですか!」

「あぁ、お腹がすいてすいてねぇ。

 金もないし、フラフラと西陣を歩いていたら

  ー織手募集。但し、内地人に限る

 という小さな求人看板を発見してね。

 ちょうど縦はこれぐらいで、幅はこの2〜3倍くらいかな」

アボジは、仕事で使う特大定規を右手で持って言った。

 

「そんなけしからんことが、書いてあったんですか!」

「あぁ、まあね。

 昔は、朝鮮人は、人間扱いされなかったからね」

「クっ・・・」

廉青年は、険しい顔になったらしい。

 

「だけどね。

 腹が立つ前に、お腹がすいてすいて、怒るどころじゃなかったんだよ。

 その時の私は。

 もう動けなくてね。

 だからその看板を持って、最後の力を振り絞って親方に直談判に行ったんだ」

「そいつに、ひどい目にあわされたんですか?」

「まあね。どうやらわかるらしいんだな。

 話さなくても一目見るだけで、朝鮮人だということが。

 だから親方が、

ー出てけ!  看板をみなかったのか! 内地人に限る、って書いてあったろう!

 って怒鳴りながら、殴ろうとするわけだ」

「なっ、なんて奴だ!」

「まぁまぁ、もう昔の話だから」

「いえ、昔でも許せないものは許せません」

「はっはっ、あなたも若いね。 

  だけどね。この話にはオチがあってね。

 私はこう反論したんだよ」

アボジは、左手で特大定規を持ち替えて、右手の人差し指を指しながら言った。

「こうやってね。

  ーええ、見ましたよ! 

 ほらっ、このとおり、朝鮮人に限る、って書いて有るじゃないですか!

 って」

「どういうことでしょうか?」

「はっはっ。

 つまりね。求人看板に書いてあった

  ー内地人に限る

 の「内地」の上に、「朝鮮」と縦書きした紙を唾ではりつけたのさ。

  吾ながらきたない字で、一目でわかる幼稚な細工だったなぁ」

「・・・」

「はっは、それでね。

 親方が呆れた顔をしながら無言で立っているんだな。

  ーいまだ!

 と思ってね。

  ー朝鮮人だからと言って差別しないで、一度ためしに雇って下さい!

   一生懸命働きますから!

   そのうえで気にいらなかったら、いつでもクビにして下さい! 

 って。はっはっ、若気の至りというか、今思い出してもハラハラするよ。ハッハハッ」

「・・・」

「それで親方がおれてね。

  ーそれじゃ。1週間だけ様子を見よう。

 ということになり、やっと久々に屋根付きの部屋で寝れるようになってね。

  正直、ホッとしたよ」

「・・・」

「三畳程の暗くて狭い屋根裏部屋での住み込みだったなぁ。

 南京虫が多くてね。毎晩毎晩痒くて痒くて眠れなかったよ。

 それでも雨露を凌ぐ下宿と一日二回の飯が食えたのだからましな方だったよ。

 あの頃としては・・・・」

 

さすがにアボジも「一世」だけのことはある。

廉青年の身の上話を遮って、自分の京都での思い出話を始めたそうだ。

その間、廉青年は、聞き手にまわったらしい。

 

「・・・・・・・といわけさ。

  あ〜、のどが渇いた。チャネ〜、水をくれないか」

「はぁ〜い」

アボジが京都での思い出話を終えると、

廉青年は、やや暗い顔をしながら身の上話を再開した。

 

「チョのプモ(父母)は、

 河先生がご指摘のとおり西陣の織手でした」

「やはりそうか」

「イェ〜。西陣地域は、旦那衆と呼ばれる商業資本家が、

 生産手段と原料を支配する<囲いのない工場>のようなもので、

 朝から晩まで、着物が売れる繁忙期になるとそれこそ24時間、

  カシャカシャ、カシャカシャ

 という機織りの音が途絶えないところです」

「そうだね。懐かしいね〜。

 観光名物だからね。あの音は」

 

廉青年は、キッと鋭い目つきでアボジにヌンチしたらしい。

「それは一時的に京都に来られる方の言い分です!

 チョのように、あの場所で生まれ育った人間にとっては!

 赤ん坊の頃からオモニの背中に背負われて

 あの音を子守歌のように聞かされてきた人間にとっては!

 苦痛以外の何ものでもありませんでした! あの音は!!」

「・・・(どうしたんだ? 急に怖い目つきになって)」

「チョは、あの一日中鳴りやまない

 カシャカシャ、カシャカシャという音から逃げたくて逃げたくて、

 京大ではなく、東大を受験しました」

「そうなのかね・・・(やはりこのエリート青年も傷心の過去を背負っているんだな)」

と、アボジは廉青年の朝鮮人らしい態度に奇妙な安堵感を覚えたらしい。

 

「チョは、お恥ずかしい話ですが、

 朝鮮人であることを隠しながら日本の学校に通いました」

「・・・」

「友達もつくらず、

 一生懸命、それこそ遊ぶ間も惜しんで受験勉強に没頭しました。

 子供心にも、何とかして自己がおかれた

 このチョーセン人という劣等的境遇から脱出したいと思ったからです」

「・・・」

「ところが、それなりの結果をだしても、何の意味もなかったのです」

「えっ! 東大でも差別されるのかね?」

「ええ、東大であろうがなかろうがまったく関係有りませんでした。

 ただ、チョも、ご多分にもれず学生時代は通名を使用していましたので、

 日本人を装っていれば、まったく差別を受けませんでしたが」

「そうなのか〜。東大を出ても朝鮮人はダメなのか・・・」

「イェ〜、正直、予想外でした。

 東大に合格さえすれば、この劣等的境遇から逃れられると信じていましたから」

「そう考えるのは、あなただけじゃないだろう。

 普通は誰であれ、そう思うはずだ。

 東大法学部に入学できれば輝かしい未来が約束されていると・・・」

 

廉青年は暗い表情になって言ったらしい。

「東大入学後、チョは、真っ先に学生課へ行き就職情報を集めようとしました。

  公務員は、日本国籍が無いとダメなのは、知っていましたから、民間一本で」

「それで?」

「学生課の職員も、

  ー朝鮮人東大生の就職相談

 に相当戸惑っていました」

「う〜む、そりゃ、東大生なら大企業から引く手あまただろうから。

 1年生の、それも入学直後からの就職活動そのものが、珍しかったんじゃないかな?」

「イェ〜。職員も同じ事を言ってました。

  だからかも知れませんが、最初はまったく相手にしてくれませんでした」

「う〜む。私は大学のことは分らないが、

 何となくだが、その職員の感覚もわかるような気がするね」

 

「けれどもチョが、

  ー 日本名を使ってはいるが、朝鮮人学生だ、

 と告白すると、事情を飲み込んでくれたみたいです。

 あまりにもチョが熱心に日参するので根負けしてしまったのかも知れません。

 過去の朝鮮人OBの就職事例を調べてくれました」

「で、どうだったのかね?」

「それが、うすうすは予想してましたが、

  ー朝鮮人東大生の1部上場企業への就職は0%、

 ということでした」

「0%!?」

「イェ〜。残念ながら。

  職員もさすがにこの結果には驚いたようで、

 参考までに、私立の馬鹿田大学やKO大学の就職課の知人に、

 オフレコで朝鮮人学生の就職状況について聞いてくれたそうです」

「ほう〜。それで」

「答えは、両校には朝鮮人学生が結構多いらしく毎年問題になるそうです。

 結論的には、

  ー 1部上場企業は、99.9%無理だが、

    2部上場以下の中堅企業のオーナー創業社長が、

    気に入ってくれれば入社することができる、

 というものでした」

「ひどい話だな」

 

「イェ〜、ユガンスロッチマン(遺憾ですが)

 結局、朝鮮人は、一流大学に入学しようが、卒業しようが、

 まともな就職をすることは不可能に近いのです。

 東大卒も例外では無かったと言うことです。

 どんな大学に入ろうと、

 就職課や学生課に就職の相談に行っても、

  −諦めろ、

 とか、

  −無理だ、

 とか

  −同胞の会社を探してはどうか、

 と、言われるのがオチだということです。

 要するに、朝鮮人は東京大学を出ても

 パチンコ、焼肉、金貸しになるしかない、ということです」

「ウ〜ム・・・」

「それで東大の職員が、チョを応接室に連れてゆき、

 世間話をした後で、こう言うんです。

  ー 帰化をすれば就職に支障はない、

        そういう前例ならば東大にもある。

    馬鹿田大やKO大の就職課でも、帰化を選択肢の一つとして勧めている

 と。もちろんオフレコですが」

「就職のために帰化を勧められたのかね? 

 ふ〜む。噂では聞いていたが」

「イェ〜。そういうことになります。

 職員は、職員なりに親身になってアドバイスしてくれたと思いますが、

 さすがに民族心の無かったチョにも、

 たかだか民間企業に就職するためだけのために、

 国籍を変えるというのには強い戸惑いがありました」

「そうだろ〜なぁ」

 

「イェ〜。

 そこでチョは、人権重視の職業と言われていた弁護士になろうと

 司法試験に挑戦したのです」

「なるほど。

 でだ、あなたは司法試験に合格したのに、

 どうして弁護士にならなかったのかな?」

「イェ〜。司法試験に合格しても、

 朝鮮人は司法修習所に入ることができないのです」

「えっ! そうなの!

 だけどおかしいね〜。

 戦後の法曹というのは、何よりも人権を重視するというのが建前じゃないのかね?

 裁判官や検察官は、役人なので日本国籍が無いとダメだと言うのならわかるが、

 弁護士は民間人じゃないか。

 それがどうして朝鮮人だとダメなのかね。

 まったく本末転倒じゃないか。

 人権を重視しなければならないはずの法曹養成所が、

 人権を無視して朝鮮人の入所を拒否するなんて!」

 

「河先生のおっしゃるとおりだと思います。

 チョ自身も法務省の役人に同じような抗議をしました」

「それで、何と言ったのかね。その役人は」

「とにもかくにも、

 ー日本は法治国家で、

  日本国籍を有していない者の司法修習所への入所は想定していない、

 と言っていました」

「まったく腹がたつねぇ。いつ聞いても役人の答弁というのは」

「イェ〜。そうですね。

 そして彼はチョにこう言いました。

  ー帰化をしたらどうか? そういう前例は過去にもある、

 と。

 けれどもチョにはできませんでした。

 民族を裏切ってまで、自己の栄達のために国籍を変えることはできませんでした」

「う〜む。

 それは賢明だと思う。

  帰化をしたら職を得ることはできるかも知れないが、失うものも多い。

 少なくとも朝鮮人社会からは、<裏切り者>とみなされて阻害されるからね。

 まず朝鮮人同胞との結婚は難しくなるな。

  日本人だって、本当の意味で帰化した朝鮮人を

 日本人として受け入れてくれるかは疑問だね。

  だいたい日本社会の空気が、朝鮮人の存在を認めていないのだから、

 国籍が何であれ、明治以来、教育を通じて日本人に叩き込まれてきた

 朝鮮人に対する優越感と根強い差別意識は、なかなか消えないと思うよ」

 

余談。

ちなみに朝鮮学校では、小学校から高校まで、これでもか、これでもかと、

 <帰化ダメ裏切り者プロパガンダ>

の洗礼を受ける。

 ー帰化する奴は、朝鮮民族としての誇りのかけらも無い民族虚無主義者!

 ー帰化する奴は、朝鮮民族を捨てた裏切り者!

  ー帰化する奴は、自分だけが良ければ良い、個人利己主義者!

だから、

 ー帰化した元朝鮮人とは、絶対つきあってはいけません!

という白黒はっきりした儒教的処世術を叩き込まれるのだ。

 

実際、帰化した「一世」の中には、在日朝鮮人社会から

葬式と火事の時だけ助けるがそれ以外は無視するという<村八分>どころか、

火事の時はもちろん葬式なんてとんでもないという<村十分>された人もいるらしい。

 

朝鮮学校の教員は、こうも言った。

 ー帰化する連中は、朝鮮人であることを死ぬまで隠そうとします。

  こういう人間は心が屈折します。心が貧しいのです。

  しかし、無駄なことです。

  なぜなら戸籍謄本に、赤字で<新日本人>と書かれ、

それが三代、つまり孫の代まで消えないのです。

結局、就職とか結婚とかで戸籍謄本を提出する時にバレて、

元朝鮮人として差別されます。

    ですからトンム達! 帰化なんて最低なことをしてはいけません!!

 

「これって本当のことですかね? 李先輩!」

 インテリの李先輩は笑いながら言った。

「戸籍謄本に赤字で<新日本人>なんて書くことはないよ。

 華族とか伯爵、士族、平民と分けられていた明治時代ならともかく、

 敗戦後の憲法下では法制度上無理だよ。朝鮮人だからとあからさまに差別するのは。

 ただ、隠そうとしても無駄で、

 いつかバレて<元朝鮮人>として日本人から差別されるのは本当だな。

 結局、人間というのは、血統とか、身分とか、差別とかが好きな生物なのさ。

  王様が残っている国ではとくにそうだ。

 日本の帰化制度だって、米国のように市民権を与えるという性質のものじゃない。

 帰化は元来、

  ー君主の徳に帰順して化ける、

 という意味だろ。

 つまり君主というのは日本では天皇という王様で、

 戦後もなお帰化するというのは、元来の意味からすれば

  ー天皇の徳に帰順して日本人に化ける、

 と解釈できるのだから、

 植民地期に天皇制に苦しめられた朝鮮人にとっては承服しがたい、

 という感覚もあるんじゃないかな」

「また天皇ですか?

 朝鮮人はなんだかんだ言っても天皇とは悪縁が続くんですね」

 

「まあな。

 それに在日朝鮮人、とくに「一世」は、日本国籍に対して複雑な思いがあるしな。

 朝鮮人は、1910年に植民地にされて強制的に大日本帝国国籍を持たされた。

 それが1945年の大日本帝国敗戦後の朝鮮人の解放以降もそのままだった。

 つまり「一世」は、生まれた時からGHQ占領期まで日本国籍だったのさ」

「えっ? そうなんですか?」

「あぁ、ところが1950年に、事情が変わるんだ。

 東西冷戦を象徴する朝鮮戦争が勃発したので、

 米国が、日本を形式的に独立させて自分の子分にし、

 警察予備隊(現自衛隊)を組織させて再軍備を推進するんだ。

 在日米軍を日米安保条約を締結して反永久的に駐留させながら日本を

 仮想敵国のソ連や中共等に対する反共の軍事的防波堤にしようと政策転換するのさ。

 それが1951年のサンフランシスコ講和条約の本質なんだ。

 ソ連、中国、インドの反対を無視して米国が強引に締結させて日本は独立したのさ。

 そのうえでだ。新生日本政府も、旧大日本帝国と同じで在日朝鮮人差別政策を堅持し、

 日本国籍を一方的に「一世」から奪ったんだよ。

 ドイツではナチスが強制連行した在留外国人に対して国籍選択権を与えたのにさ」

 

「李ヒョンニム。チョには難しいことはわかりませんが、

 仮に「一世」に選択権が与えられても、

 日本国籍をとる人はいなかったんじゃないですかね?」

「そうかも知れない。けれどもな明宗。

 人間というのは、仮にそうであっても誠意というのを期待するものなのさ。

 あからさまに昔と同じひどい仕打ちを受ければ、猛然と反発する、

 それが人間の性だとオレは思うけどね」

「そういうものですか」

「あぁ、そういうものさ。人間は。

 ところが、日本政府は、韓国や北朝鮮は国交が無い未承認国なので、

 在日朝鮮人の国籍を便宜上、朝鮮出身だから「朝鮮」と表記するんだよ。

  今でも外国人登録に「朝鮮」と記されているのは、

 別に北朝鮮国籍というわけではないのさ。国交がないのだから。

 だから実質的には、「一世」は無国籍状態に近い状況になったと思う。

  ところが日本政府は、

ー在日朝鮮人が日本国籍がほしければ、

 日本国民としてふさわしい立派な人間かを新たに審査してやる!

 という態度だろ。

 それが今の帰化制度なのさ。

 だから「一世」は、今の帰化に対して嫌悪感があるんだと思う」

と、オレには理解できない難しい国籍問題を解説してくれた。

 

話を戻す。

「イェ〜。おっしゃるとおりだと思います。

 仮に帰化をしても、朝鮮人がおかれた劣等的地位から逃れることはできません」

「そうだろ。たとえばだ。

 新潟から万景峰号で北朝鮮に帰国している女性の中には、

 朝鮮人と結婚した日本人妻が結構いるけど、

 あれは日本人自身が同胞である彼女たちを北朝鮮に追い出したと言えなくもない。

    ー朝鮮人と結婚するとは日本人の恥!

 だとか、

ー先祖代々の血が汚れる! 

 だとか、ありとあらゆる罵詈雑言で日本人妻を罵り、

 結婚式への参列はもちろん、

 親兄弟の縁を切るとまで言い切った実の肉親達に絶望したからこそ、

 救いを求めて日本を捨て、<地上の楽園>と宣伝されていた新天地・北朝鮮に

 旅立とうと決心したと言えるんじゃないかな」 

 

「まったくおっしゃるとおりです。

 正直、チョは絶望の淵に立たされました。

 悔しくて悔しくて涙が途切れることはありませんでした」

「・・・」

「そんな矢先、朝鮮人学生連盟に誘われて見せられたのが、

 金日成が主導する共和国の記録映画でした」

「あのプロパガンダ映画を見たのかね。傷心の時に・・・」

「イェ〜、そうです。

 今思えば、ご指摘のとおり、プロパガンダかも知れません。

 しかし、映画が終わって1時間近くも会議室の部屋の明かりがつきませんでした。

 なぜなら、その場に集められていた30数人の朝鮮人大学生達は皆泣いていたからです。
 誰、一人として席を立とうとしないし、

 朝鮮人連盟の活動家も、皆もらい泣きしていました。

 だから部屋は真っ暗なままで、明かりがつくまで1時間もかかったほどでした」

「・・・」

「河先生の長子、河萬舜トンムも、その場におりました。

 彼も泣いていましたよ。大きな声を上げて」

「その話は長男から聞いている」

                                  

オレの兄は二人いる。

一番上の兄は、真っ赤っかのペルゲンイで、

二番目は、真っ黒クロ助ブラックだ。

二人とも子供の頃からひどい差別を受けてきたらしい。

 

冬の寒い日、北六郷中学校の放課後、

上の兄が、ヤクザを父にもつスケバンに、

「この〜、チョーセンめ!」

と怒鳴られてバケツの汚い水を頭からぶっかけられたらしい。

兄は相当ショックだったらしく、泣きながら家に帰ってきて

オモニに

「おかあちゃん! どうして僕を朝鮮人なんかに生んだんだ!」

と食って掛かったそうだ。

 

生真面目な兄は、

(学歴さえあれば何とかなるはずだ!)

と一念発起し、

第一志望の日比谷高校は落ちたが、

第二志望の私立の進学校・我理勉高校には合格した。

ところが、通名で受験していたので、

 ー戸籍謄本を出して欲しい

と巧妙な手口を使われ、

戸籍など無い朝鮮人であることがバレると

 ーわが校は、戸籍(日本国籍)の無い方の入学は認めていません

と露骨に差別されたらしい。

 

3月の初旬のことだったらしい。

この時期に入れるまともな高校などない。

やむなく兄は、

追加の3次募集をしていた

 ー名前さえ書ければ合格

と言われていた私立の禄出梨高校に入学することになった。

 

悔しくて、悔しくて、悔しくて、たまらなかった兄は、

禄出梨高校の同級生とは、一切つきあわず、

やさしく微笑む吉永小百合のブロマイドだけを生き甲斐に日夜猛勉強し、

一浪の末、高望みしていた第一志望の東京大学法学部には落ちたが、

当時は一流と言われていた第二志望の真ん中大学法学部に合格した。

 

真ん中大学法学部は、

裁判官、検事、弁護士を日本で一番輩出しているのが誇りの別名<司法試験予備校>で、

 ー司法試験に受からずんば人にあらず、

という雰囲気があったらしい。

 

真っ赤っかになった後の長兄によると、

「だいたいみんな僕と同じで、東大法学部を落ちてくる奴が殆どで、

 酒でもはいると

  ー何であんなのが(東大を)受かって、オレ様が落ちたんだ、

 て言う奴が多かったな」

といことで、

「いわば敗者復活戦みたいな感じだったな。司法試験は」 

と言ったことがある。

 

当然のことながら入学間もない頃の長兄も弁護士を目指していたらしい。

ところが、朝鮮人は、司法試験を受験することはできるが、

仮に合格したとしても、朝鮮人は司法修習所に入学できないと知り、

一挙にやる気をなくしてしまったらしい。

 

次いで大企業に就職しようと早い時期から就職課に相談したが、

廉青年と同じく

 ー残念だけど、外国籍、とくに朝鮮の方は無理

と断言され、三日三晩悔しくて泣いたらしい。

 

ちょうど傷心の長兄を誘ったのが、

朝鮮人連盟の大学生組織、朝鮮人学生連盟だった。

真ん中大学に在籍している朝鮮人の先輩達から飲み会に誘われたのだ。

場末の飲み屋に集ったのは、長兄と似たような境遇をもつ朝鮮人青年達だった。

同じ悩みを持つ若者は意気投合し、

朝鮮人を差別する日本への憎悪を増幅させたらしい。

 

長兄は、自然の成り行きで、真っ赤っかの世界に片足を入れてしまった。

そして数日後、朝鮮人連盟の活動家に見せられたのが、

 ー金日成万歳!

の北朝鮮のプロパガンダ映画だった。

長兄は、映画会場を出ると同時に、

キューバ革命の英雄チェ・ゲバラのような目をしていたらしい。

まぁ、高倉健主演のヤクザ映画を観た連中が、

映画館を出るときに、鋭い目つきになり、肩で風を切るのと似てなくもない。

 

「チョフィドゥルン(私達は)、共和国のプロパガンダ映画を観ることで

 絶望の淵から蘇生したのです。

 祖国朝鮮の未来のためにこの身のすべてを捧げるという

 新しい生き方に共鳴し、そして救われたのです。

 そういう意味では、チョヌン金日成には感謝しています」

「ウチの長男もあなたと同じことを言っていたよ」

「そうですか」

 

「チョは、ウリ祖国、朝鮮の輝かしい未来のためなら、

 この命、惜しくはありません。

 朝鮮革命のためなら、いつでも死ねます!」

「フ〜、・・・(やはりペルゲンイだなぁ。でも純粋な気持ちは分からなくもない)」

アボジは深いため息をついてしばらく考え込んでしまったらしい。

その間、廉青年は、

 無言でアボジの目を、じ〜っと、見つめていたらしい。

 

そういえば、インテリの李先輩が

「朝鮮人で一番つらいめにあったのは、

 朝鮮で生まれ育ったので愛郷心があり、

 朝鮮の風習や言語にも長けていた「一世」よりも、

 日本で生まれ育ったので愛郷心というものが低く、

 朝鮮の風習も知らず、日本語しか話せず、日本人と殆ど変わらないのに

 「一世」同様、

 子供の頃からひどい差別を受けたオレ達よりも一回り上の「二世」かもしれない」

と言ってたっけ。

「つまりな、ミョンジョン。

 オレ達「二世」はな、いくら努力しても日本では絶対報われないのさ。

 パチンコ、金貸し、焼き肉しかやれないんだよ。オレ達は・・・」

と、厭世的に言うのだった。

きっとこういうつらい目にあった「二世」達が、

魂の救いを求めて朝鮮人連盟のペルゲンイになったような気がする。

 

アボジは悲しい顔をしながら言った。

「結局、末っ子を日本人の学校に入れても同じことの繰り返しかも知れない。

 長男のように、

  ー朝鮮人なんかに何故生んだ!

 と私や女房に食って掛かってくるかも知れないな」

「それはわかりませんが、そうなる可能性は、かなり高いように思われます」

「まぁ、うちにはすでにペルゲンイ、いや失敬、その〜」

廉青年は微笑みながら言った。

「いえ、どうぞ、ご遠慮なく」

「うちには、もうコンサンジュウィジ(共産主義者)がいるしな。

 だから、すでに韓国の親戚には迷惑をかけているし。

  長男が

  ー金日成マンセ!

 になってからプッツリ韓国の兄弟から手紙が来なくなったしな。

 いまさらもう一人ペルゲンイが増えようが、たいして変わらないかもな」

 

廉青年は親身な表情をしながら、

「河先生、こういう考え方はどうでしょうか。

 いずれウリチョソンサラム(我が朝鮮人)は、統一した祖国に帰るはずです。

 明宗君が大人になるころには、きっと祖国は統一しています。

 将来、祖国統一が実現し、帰国したとしたら、

 朝鮮語ができなくては、日常生活で支障をきたします。

 本国の同胞から、

  ーパン・チョッパリ!(在日朝鮮人に対する蔑称。半分日本人の意味)

 と蔑まれ、差別されるかも知れません」

と言った。

「その可能性は十分あるよ。

 なにせ朝鮮人は、朝鮮語ができないキョポ(僑胞。海外に住む同胞)に厳しいからな。

 とくに敵地だと見なしている日本で暮らしているチェイルキョポ(在日僑胞)にはね。

 これも本国の人間の偏見だが、

  ー在日僑胞は日本人にへつらって金儲けをしている親日派だ、

 とみなしているからね」

「ええ、そういう同じような偏見は、共和国の人民も持っているかも知れません。

 ですから、そういう偏見をも視野に入れて、

 それが偏見であると堂々と反論するためには、

 ウリ在日同胞は、朝鮮民族としての民族性を堅持しなければならないのです」

「まったくだ。あなたの意見に賛成だよ。わたしは」

 

「カムサハンミダ(ありがとうございます)。

 河先生がご存知のとおり、

 朝鮮民族としての民族性の中、最も重要なのはウリマル(朝鮮語の意)です。

 ですから、明宗君を朝鮮学校に行かせるのは、ペルゲンイにするわけではなく。

 あっ、いけませんね。

 ペルゲンイがペルゲンイなんて蔑称を使うのは。ハッハッハッ」

廉青年は、アボジを見ながら笑った。

「ふっふっ、君は優秀だけでも、おもしろいね」

アボジも少し笑った。

 

「末っこを朝鮮学校に行かせるのは、いずれ祖国に帰るための準備であると。

 朝鮮人としての絶対条件である朝鮮語を学ばせに入学させたのだ、と。

 いかがでしょうか? 河先生!」

「ウ〜ム・・・」

 

「それに、偶然知ったことですが、

 大田朝鮮小学校の前身の六郷朝鮮語教室を創立したのは、

 河先生の義父であられた小林徳治郎先生ではないですか?」

「ほう〜、良く調べたね。

 あなたが言うとおり、チャンモが、私費を投じて

 朝鮮の子供達を寺の講堂に集めて朝鮮語を教えたのが大田朝鮮学校の始まりだ。

 やがて噂を聞きつけた大田の「一世」の親達が殺到してね、

 それでだ。六郷よりも交通の便が良い蒲田に引っ越したんだよ。

 それが戦後、朝鮮人連盟が接収した万鳥町の土地に移転したんだよ。

 今では、その経緯を知っている人は、「一世」でも少ないのに、

 若い貴方が知っているとは、まったく恐れ入ったよ」

「小林徳治郎先生は、大田朝鮮学校の恩人です。

 どうでしょうか? 河先生!

 民族教育に功労のある創立者の孫が、

 朝鮮語を学びに朝鮮学校に入学するというは。

 いかがでしょうか? 河先生!」

 

アボジは少しの間、目を閉じたらしい。そして両目を開けると同時に言った。

「あなたには、まったく恐れ入ったよ。

 とてもわたしが太刀打ちできるレベルではないよ。

  その若さでチャンモが大田朝鮮小学校の創立者だということを調べているなんて。

 まったく、驚くどころか感心してしまったよ」

廉青年は、微笑んでいたらしい。

「ただ、わたしは繰り返すようだが、ペルゲンイや金日成は嫌いだよ。

 だけどもだ。

 あなたのような優れた青年に、自分の息子達の未来を託してみたいと思うよ」

「カンサハンミダ!」

「よし! わかった!

 可愛い末っ子に、朝鮮人としての誇りを持たせるために、

 朝鮮語を習得させるために、朝鮮学校で学ばせようじゃないか!」

「カンサハンミダ! 河先生!!」

とういことで、アボジはオレを朝鮮学校に入れたようだ。

 



(2の7)

アボジは、知人や商売相手の日本人達から
 <仏の河田>
と呼ばれていた。
他人の世話をしたり、面倒を見るのが、
ピビンバッよりも好きだった。

<嫌みな朝鮮人インテリ・ナルシスト>の若原美沙雄アジェが、
「まぁ、義兄さんには、ヤンバンを彷彿させる
 長者の風格があったなぁ〜。 ふっ」
と、一応、息子であるオレに、
義兄さん=アボジを褒めるそぶりをみせたが、
目が餃子のような形をしていたので、
(アジェは相当無理をしている)
とオレは思った。

「それは本当よ。
 アッパ(父。幼児語)は、
  ー河祐植はヤンバンだからお前も幸せになれる!
 って言ってたのよ。
 あ〜あぁ、やんなっちゃう。
 これがわたしの苦労の始まりなのよ!」
とオモニが言った。

どうやらハルベは、
若き日のアボジのヤンバンのような風格を大いに気に入り、
美人の誉れが高かった自慢の一人娘=オモニと結婚させたのだという。

ハルベは、
自分が起こし軌道に乗り始めた「小林組」という土建屋をドでかくするために、
いわば右腕としてアボジに期待したらしい。

「まぁ、結局、期待はずれだったなぁ。義兄さんは。
 人が良いだけのお人好しというか、
 まったくの期待はずれだったと死んだオヤジが嘆いていたっけ。 
まぁ、義兄さんは、資本主義の競争社会にはまったく向かないな。
 朝鮮の田舎で、村長とか、小学校の校長でもやっていれば
 きっと他人から尊敬される一生を送っただろうなぁ。ふっ・・・」
と、
 ーキミ〜、ボクにはね、何でもかんでも、わかっているんだよ、
知らないことなんて何にもないよ、キミ〜、
ってな感じの評論家のように言うのだった。

悔しいが、<嫌みな朝鮮人インテリ・ナルシスト>の言い分も一理ある。
実際、アボジは、
ウソをほとんどつけない人で、
騙されることはあっても、騙そうとはしなかった。
だから他人から恨まれることは、ほとんど無かったが、
商売にはまったく向かず、いつも損ばかりしていた。
普通なら少なくとも1万円はもらえる仕事も、
5千円しか請求できない、そんな感じの善人だった。

アボジは相手が土下座までして頼んできたら絶対嫌とはいえない性格だった。
この性分を悪い奴らに利用されたらしい。
「まったく、あの人は、いつも、ただ働き。
かかった交通費だって、絶対もらいやしない」
と、オモニは嘆くのだった。

どうして普段温厚なオモニが、
オレの前でアボジ批判を始めたかと言うと、
詫びに来たはずの青山さんが、
実はアボジに保証人を頼みにきたらしいのだ。
人の良いアボジは、
さすがに調子の良い青山さんに、ムカついたらしのだが、
しつこく哀願されたので、
同情してしまい断れ切れずに悩んでいるらしい。

「青山の奴!
 謝りに来たんじゃないの?
  まったく調子がいいんだから!
 これだから朝鮮人は嫌なのよ!
 冗談じゃないわよ!
 保証人なんて! もうこりごりだわ!」
と、普段おとなしいオモニが、
ー保証人
という悪魔の響きを聞いたとたんキレてしまい、
吐き下すように言った。

「あの人はお人好しの性格を悪賢い奴らに読まれて、
 おだてられて保証人を3回もやらされて、
 家なんか2度もぶん盗られて破産!
 この家だって危なかったんだから。
 あたしがあの人に殴られても、
 ハンコの隠し場所を話さなかったから守れたのよ! この家は!」
オモニの表情が、憤怒の大魔神のように変わって行くのだった

「だいたいあの人は、
 いつも悪い奴らに、利用されて、騙されて、
 用がなくなると手のひらを返したようにバカにされて
 悔しい思いをしてばっか! 
 あ〜やだ、やだ!
 なんでこんな男と結婚させられたんだろう!
 今度保証人なんてしたら、あたしは家を出て行くわ!」
と、オモニ休火山が爆発し、鬱積した怒りのマグマを吐き出すのだった。

ついでに、
「明宗! 絶対、保証人なんかなっちゃダメよ!」
と、オレに
 <保証人絶対ダメ・プロパガンダ>
をするのも忘れなかった。

やはりオモニも「一世」だけのことはある。
興奮すると、過去から現在までのアボジに対する怒りが、
走馬燈のようによみがえり、
白頭山の噴火のように爆発するのだった。

オモニの
 <対アボジ怨念昔話バージョン>
は結婚のエピソードから始まる。

オモニが若い頃の朝鮮人の結婚というのは、
「親同士が決めるのが当たり前で、
 恋愛結婚なんてのは許されない時代だった」
と、オモニがしみじみ言うのだった。

そういう話題は、やはり夫婦喧嘩の後の定番で、
「わたしには、好きな人がいたのに・・・」
と付け加えることを忘れなかった。

「まぁ、姉さんの気持ちもわかるな。
 なんたって子供の頃、
 姉さんと町を歩くと若い男は、みんなかならずふり向いていたしな。
 弟として、なんか、こう、誇らしかったね。
 美人の姉をもつとさ。
 こういっちゃなんだが、
 義兄さんには、もったいない女房だと思うな。姉さんは。ふっ」
と、まったく似合わないベレー帽をさわりながらアジェは言うのだった。

オレが後で、
「アジェが言ったことは本当なの? ヌナ(姉さん)」
と歳の離れた姉に質問すると、
気の強い彼女は、
「何言ってるの! 
 アジェだってアボジをさんざん利用しているくせに!
 酒や寿司が食いたくなると、アボジをおだててヨイショするくせに!
 あたしは、今でも覚えているわ。
 あたしたちなんか、寿司なんて見たこともないのに、
 いつも近くのあずま寿司へ二人だけで行ってさ。
ずるいのよ! アジェは!」
と、頼みもしないのに興奮するのだった。

「あたしたちが、
  ー寿司という食べ物は、いったいどういう形をしてるんだろう?
 と思ってさぁ。
 寿司が見たくなって見たくなって、
 あずま寿司の入口の扉を少しだけ開けて覗いてたら、
 アジェが気がついてさぁ、
 なんて言ったか知ってる。
  ーシッ、シッ
 だって。
 まったく失礼しちゃわ!
 右の手首をこうやって振ってさ! 
 野良犬でも追い払うようにしたのよ!
 今でも思い出すと腹が立つわ!
 あのケインリギジュウィジャ(個人利己主義者)!」
と、吐き下すように言うのだった。

やはり食い物の恨みは恐ろしい。
若原アジェは、
 <あずま寿司シッシッ事件>
回想以降の我が家では、
 <個人利己主義的朝鮮人インテリ・ナルシスト>
にバージョンアップしたのだった。
(いったいぜんたいアジェは、
 どこまでバージョンアップするのか心配だなぁ)
と、オレは柄にもなく我が家の過去を知ることが怖くなってしまった。

オモニにしても、ヌナにしても、
興奮した時、過去の悪行の数々を思い出しては、
血走った憎悪のヌンチ(目つき)を燃えたぎらせる。
オレはそれを見る都度、
(やはり朝鮮人の血は争えないのか)
と、しみじみ考えさせられるのだった。
そして
(朝鮮人の女と結婚すれば、下手すると一生恨まれるかも知れない)
と怖くなるのだった。

ところで、アボジが人徳を大切にするには理由があった。
アボジは、
「わが晋陽河氏(チニャン ハシ)は、両班(ヤンバン)だ!」
と、揺るぎない血統的確信を持っているからだった。

つまりアボジは、
 ー上位の者は、下位の者に徳をもって接する、
という孔子以来の君子の姿勢を実践しようとしたのだ。
だから、調子の良い青山さんの保証人依頼も、
その場できっぱりと断ることができなかったらしい。

この<ヤンバン・プロパガンダ>は、
オレが朝鮮学校に入ると同時に怒濤のように始まった。
アボジは、
朝鮮人が命よりも大切にしている族譜(チョッポ。家系図)を披瀝し、
先祖の偉業を熱く語るのだった。

しかも目を輝かせながら、
「お前にも立派な先祖の血が流れている」
と、オレの血統的矜持(クンジ)を高めようとした。
あたかも『三国志』の冒頭、
ムシロ売りだった劉備玄徳が母親に、
 ーわが家は漢王朝の創始者劉氏の末裔である!
  お前の身体には、王家の血が流れている!
と諭されるように。

今でも感心するのは、
河氏の族譜は、
日本電信電話公社(現NTT)の電話帳3冊ぐらいの分厚いものだが、
アボジは、
 ー何ページの何行目何段には、
  第何代の河**という先祖の業績が記されている、
と正確に記憶していることだった。

「これだけの記憶力があれば、
 六法全書を丸暗記して司法試験も受かるんじゃないかな」
と<真ん中大学法学部>を卒業した真っ赤っかの兄が感心したことがある。

アボジが言うには、
「ヤンバンであることの証は、
 ヤンバンにしか許されていなかった偉大な先祖の
 チーサ(チェーサ。祭祀。慶尚道の方言)の実行なのだ」
だから韓国では、一族が破産する程、盛大なのをやるそうだ。

アボジのジレンマは、このチーサに参加できないことだった。
韓国に行けば、
 ープッケ(北塊。北朝鮮の蔑称)ペルゲンイ一味の親
ということで、
昔の特高警察のようなKCIA(韓国中央情報局)に捕まるおそれがあったからだ。
だからアボジは、
チーサの当日、自分の部屋で、すすり泣いているのだった。

ちなみにヤンバンというのは、
朝鮮の支配階級で、あらゆる特権をもつ貴族なんだそうだ。
目は輝かせて楽しそうに語るアボジに限らず、
「一世」にとって
ー先祖はヤンバンである!
というのは、揺るぎない確信なのだ。

たとえば、「一世」に
 ー先祖はヤンバンですか?
と質問すれば、1万人中、9999・9999人は、
 ーそうだ!
と答える。

インテリの李先輩によると、
「どこの国でも支配階級は、だいたい全人口の1割以下のはずだ。
ところが「一世」は、みな自分の先祖は支配階級だという。
 それじゃ、仮にみながみな支配階級だとすると、
 搾取されたはずの農民等の被支配階級は、いったいどこにいるのか?
 という疑問が生じるわけだが、
 その答えはだいたいこうだ。
  ーそのとおりだ! 大部分は、ウソをついている!
だけど、我が家だけは本当のヤンバンだ!
 てな。まったく笑わせるぜ」

李先輩に言わせると、
「このヤンバン信仰が差別を再生産する根元」
なのだそうだ。
つまり、
「朝鮮人は、植民地にされて
 天皇制という一種の身分社会で最底辺におかれ、
 <植民地の二等国民チョーセン人>という<身分>を通じて
 日本人から半世紀以上も差別され、苦しまされてきているのに、
 結構、自分の<身分>を語るのが大好きで、
 自分の先祖よりも<身分>が低いとか、
 低学歴だとか、金が無いとか、地位が低いだとかで、
 他人を差別することが大好きだ。
 それが自分の子供の結婚相手を選ぶときに露骨に表れる」
と自嘲的に言ったことがある。

こう言われた際、
オレは、
ふと高学歴のアジェと兄の顔を思いだし、妙に納得してしまうのだった。


(2の8)

オレの家の近くには多摩川が流れている。
六郷橋を渡れば神奈川県の川崎で、

右手には青山さんが好きそうな怪しいお店のネオンが、
 キ〜ラ、キラ

左手には大きな工場から出てくる煙が、
 モ〜ク、モク

中央には、競馬場があり、
夕方の飲み代を稼ごうとする馬券買いのオッサン連中が、
曇った目を
ギ〜ラ、ギラ
という怪しい街だった。

おまけに家庭の料理に使われ始めてきた
<味の元祖>の工場から吹き出してくる異様な臭いの煙が、
 モア〜、もあ〜
と、ニンニクパンチ*7乗以上の濃度で、
多摩川を渡ってきたオレ達を熱烈に歓迎するのだった。

地元のガキどもは、
<味の元祖>の工場の煙突から出てくる煙を
 ー毒ガス
と読んでいた。

この怪しいエリアを突き抜けて15分ぐらい歩くと、
日本で一番ホームランが出やすいと言われていた狭い球場があった。
川崎球場だ。
ここではセリーグの大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)と
パリーグのロッテ・オリオールズ(千葉ロッテマリーンズ)が
試合をしていた。

オレは別に野球が好きではなかったが、
当時はプロスポーツといえば野球しかなく、
猫も杓子も野球野球!
東京では営業マンが
 ー昨日はジャイアンツ勝ちましたね!
やっぱり長島はチャンスに強いですね!
な〜んて言うと、
コミュニケーションがうまくとれて仕事がうまくいく、
だから、お得意さんに会う前にスポーツ新聞を読む、
そんな時代だった。

アボジも野球好きで、オレを強引に連れて行くのだった。
どうやらアボジは、
敗戦直後の日本人が、
 ー先勝国民でも敗戦国民でもない<第三国人>
と侮蔑的に呼び、嫌っていた朝鮮人や台湾人のプロ野球選手、
たとえば、金田正一(後の400勝投手)、
     王貞治(後の世界のホームラン王)、
     張本勲(後の3千本安打達成)

等の旧植民地出身の野球選手の活躍に刺激され、
3人の息子の中から1人ぐらい実力次第で成功できる
プロ野球選手にしたかったようだ。
だから家には、立派なバットとグローブがあった。
ところが上の二人は、ダメだったので、
三男坊のオレに最後の期待をかけたらしい。

インテリの李先輩が言うには、
「張本が入団する際に、プロ野球の外国人枠との関連で国籍が問題になったが、
  ー在日朝鮮人は、戦前から日本国籍を有して日本内地におり、
   戦後も引き続き日本に居住し、
   サンフランシスコ講和条約までは、全員日本国籍だったのだから、
一般の外国人と同じ扱いにすべきでない。
 という球界実力者の主張がとおり、
  ー旧植民地出身者で戦後も引き続き日本に居住する者もしくはその子孫は、
   外国人枠の外国人には含まれない
 という特例ができたのさ。
 だから在日朝鮮人は、準日本人扱いで、今でもプロ野球にたくさんいる。
 通名を使ってはいるから、日本人の観客にはわからないけどね」

ガキの頃、忘れられなかったのは、
野球の試合そのものではなく、汚いヤジだった。
大洋対巨人の試合で、
在日台湾人二世の王貞治が三振すると、
 ーこの! チャンコロ!(中国人の蔑称)まじめにやれ!
と汚いヤジが飛んでいた。

ロッテ戦だと、汚いヤジは、
在日朝鮮人二世の張本勲に集中した。
 ーテメエ! 強制連行するぞ!
とか、
ー何やってるんだ! 鮮人!
とかを笑いながらわめき散らすので、

子供心にも、
(何であんな変なことをデカイ声で言うんだろう?)
と不愉快だった。

ある日、
めずらしくオモニが、
「明宗、オモニと一緒に野球に行かない?」
と言った。
なんでも読売新聞を3ヶ月購買する見返りに
大洋対巨人戦の指定席を2枚もらったのだそうだ。

初めてオモニと川崎球場に行ったわけだが、
とんでみないハプニングが起った。
「あれっ?」
「・・・」
オレとオモニが座るべき指定席に違う大人が座っているのだった。

オモニは、急いで係員を呼びつけ、切符を見せた。
「何でしょうか?」
「この切符を見て下さい!」
「・・・」
「さぁ、明宗、もうすぐ座れるから、ちょと待ってね」
「お客さん。この切符は明日の切符です」
「えっ?!  入口ではだいじょうぶでしたけど」
「きっと、アルバイトなので、券の中身までは見ていなかったのでしょう」
「じゃ、どうすればいいんですか?」
「しかたがありません。入れてしまったのは、こちらのミスなので。
 すみませんが、とりあえず空いている指定席にお座りになって下さいませんか。
ただ、今日は巨人戦なので満席だと思います。
 指定席のお客さんが来た場合は、すみませんが席をお立ち下さい。
 一番面倒でないのは、外野の自由席にいかれるか、
 それともここの階段に新聞紙を敷いて座って見られるか」
と係員は面倒くさそうに言った。

「・・・」
係員に指摘された時のオモニの悲しい顔は、
今でも忘れることができない。
意気消沈したオモニは、
「それじゃ、ここに座って見ることにします」
と、階段に係員からもらった新聞を敷いて見ることになった。
オモニは、野球の試合はまったく見ずに、
ただただ首を垂れてうつむいていた。

どうして間違えたかというと、
実はオモニは、字が読めなかったのだ。

さすがに数字は、生きてゆくために、
金の計算をしなければならなかったので、必死で覚えたらしいのだが、
ー今時、字が読めない
ということに対してコンプレックスがあるらしく、
近所の他人、とくに日本人に知られたくないという気持ちが強く、
僅かな文章でも見ようとはしなかったのだ。

ー字の読めない人が、どうして新聞を買ったのか? って。
オレがガキの頃は、
 ー新聞はインテリが創ってヤクザが売る
と言われていた。

普通の<ヤクザ的押し売り>と違うのは、
すぐ壊れてしまう偽物ではなく、
新聞というまともな物を、
しかもプロ野球のチケットや洗剤なんかのおまけ付きで売ることだった。

だけど、
 ー脅す
という点ではまったく同じだった。

「一世」とは質の違う強面のチンピラ風で、
似合わない黒いサングラスをかけたオヤジが、
「いや〜 奥さん。
 先月網走刑務所から出てきたばかりでねぇ〜
 気質になったのはいいが・・・」
と、間をおきながらシャツのボタンをはずし、
右手で左側の肩の部分をズリ下ろすと、
「これが邪魔でね」
と右手で肩をピシャッと叩き、
歌舞伎の弁慶の勧進帳のように、目をキッとさせて
「なかなか〜、仕事が〜、ないんでさぁ〜」
と、「一世」とは質の違う怪しい日本語で、
竜とか、寅とか、蛇とか、鯉とかの動物園のような絵を見せて喜ぶのだった。

「家じゃ〜、かか〜ぁと、くそガキが腹を空かせて、
 オイラの帰りを待っているんでさぁ〜」
と、ドシッと座って鞄から新聞をだし、
「こりゃぁ、世界で一番の新聞でさぁ〜
 読めば世界が見えるっていう代物だぁ〜」
と、脅迫罪とか、恐喝罪とか、強要罪とかを警戒しているらしく、
暴力的な脅し文句はもちろん
 ー買え! 
とか、
 ー契約しろ! 
とかは、絶対言わないのだった。

オモニもさすがは「一世」だけのことはある。
何にも動じずその絵を
 ジ〜ッ
と見ながらニコニコ微笑むのだった。

だから、むしろ驚くのは、チャチな入れ墨を自慢したチンピラ勧誘員の方で、
「?!(なんなんだ一体この女は)」
と、不思議の国の網走刑務所みたいな顔をしたらしい。

それもそのはず。
オモニのアボジ=ハルベが経営していた小林組という土建屋には、
このての入れ墨をした<荒くれ朝鮮人チンピラ>が結構出入りしていて、
そういう横道にそれた朝鮮人の若者を
ハルベは、タイマンとか朝鮮相撲とかでぶっ飛ばして配下にし、
土方の仕事をまわしていたらしい。
当然、こいつらの食事や洗濯、ときには嫁さんの世話をするのは、
ハンメやオモニだった。

だからオモニは、
20数年前の昔が懐かしくなり、
また社会にあぶれたチンピラ勧誘員に同情して
新聞を買ってあげることを約束したらしいのだ。

話を戻す。
この日は、弱り目に祟り目だった。
試合終了後、
雨が急に降りだしたので二人はビショビショになってしまった。
タクシーで帰ろうとしたが、
二人ともずぶ濡れだし、近距離だったので
無愛想なタクシーの運転手が、度々乗車拒否をするのだった。
「はぁ〜」
「・・・」
オモニの悲しい顔は、今でも忘れることができない。
あの事件以来、二度とオモニはオレを誘わなくなったのだ。

それどころか、オモニは、
だんだん遠出をしなくなってしまった。
なぜかというと、
電車の切符が、今までは駅員に口で言えば買えたのに、
機械化・自動化が進むに連れ、
字が読めないオモニには、目的地までの切符が買えなくなったからだ。
かといって今時
 ー字が読めないので切符が買えません
と言えるわけもなく、
結局、電車には乗ることを嫌がるようになってしまったのだ。

オモニのような人を文盲という。
これはオモニだけのことではなく、
「一世」、とくにおばさん達は殆どが文盲だった。

 ー女に学問はいらない
という悪い習慣は、日本だけではなく、朝鮮にもあり、
7歳の頃から働かされたオモニは、
小学校にすらろくに通うことができなかったからだ。

朝鮮人連盟が、この文盲の朝鮮人おばさんを組織したのが、
 <朝鮮人女同盟>だった。

この組織は、儒教の長幼の序を尊び、
町単位の地方下部組織は、かならず一番年長者を
 ー女同盟のプネジャン(分会長)
にし、二番目の年長者を
 ーププネジャン(副分会長)
にした。

オモニは、知らない中に、
ペルゲンイでもないのに、朝鮮人連盟大田支部の
 ー六郷プネ(分会)のププネジャン
に推挙されてしまった。

数年後、朝鮮人連盟の機関誌『朝鮮人新聞』の3面に
 <模範(モボン)プネ>
ということで写真つきで紹介された。

結構、ドデカイ写真だったが、
オレが不思議だったのは、
字の読めないはずのオモニやプネジャン、
そして「一世」のおばさん達が、
毎回『朝鮮人新聞』の一面に載っている
 ー金日成の教示を学習している、
と、いうことだった。

数日後、この素朴な疑問をたまたま家に遊びに来ていた
池郡子(チ・グンジャ)六郷プネジャンに聞いたところ、
プネジャンは、
 ーこの子は、なんてくだらない質問をするのか?
という呆れた顔をしながら、目を
 キリッ
とさせて毅然と言った。

「ササン(思想)の正しさは、
 たとえ朝鮮語や日本語の字が読めなくても、
 『朝鮮人新聞』を毎朝ひらいては真剣にながめ、
 金日成将軍様の肖像写真を惚れ惚れとながめているだけで、
 主体思想を理解できる、
 という主体的な姿勢にあらわれる」
のだそうだ。
「・・・(本当かよ?)」

プネジャンは
「ミョンジョン!
 お前がそういうくだらない質問をするのは」
オレに、
「ササンがないからだ!」
と、ばっさり斬られてしまった。

そう、この名言、
熱烈な朝鮮人連盟支持者の文盲の「一世」達の口癖だった、
朝鮮人でありながら、
 ーササンがない!
奴はダメなのだ。

逆に、
 ーササンがある!
朝鮮人は立派な愛国者(エグッチャ)なのだ。
そして、
 ーササンがない!
か、
 ーササンがある!
かは、金日成が絶対どこかの本からパクってきたはずの
ー知識がある人は知識を、
  金がある人は金を、
力がある人は力を、
愛国事業に捧げなければなりません
という教示の実践によってわかるのだ!、そうだ。

つまりこうだ。
朝鮮人であるならば、
祖国朝鮮のために、
インテリは学問で学んだ科学技術や知識を無報酬で提供し、
金持ちは見返りをもとめない主体的な献金をし、
知識も金もない朝鮮人は、献身的なボランティ精神で身体を提供し、
北朝鮮の愛国事業、
日本に住む朝鮮人は、朝鮮人連盟の愛国事業にすべてを捧げろ!
ということなのだ。

連座制があたりまえだった朝鮮の伝統では、子=親なので、
「金点淑ププネジャン同志(トンジ)。
 息子の教育をしっかりしなければいけませんよ」
と、オモニに注意した。

つまりペルゲンイにかぶれた「一世」にとって
ガキだろうが何だろうが、
 ーササンがない奴はダメなのだ!
と、いうことだった。

「いぇ、イェ〜」
オモニは角を立てないためしぶしぶ頷いた。

だけど正直、オレには苦痛だった。
朝鮮小学校の頃から朝高生になるまで
金日成の教示の暗記を強要されてきたからだ。
いったい何が悲しくて日本にいながら金日成の言葉にしがみつくのか、
まったく理解できなかった。

しかし、真っ赤っかの朝高委員会の幹部は違う。
奴らは朝礼やハルチョンファ(一日総括)、各種行事などで演説するときには、
かならず直立不動の姿勢をとり、
 ー偉大な首領、金日成元帥様は、次のように教示されました、
とありとあらゆる人生の難問に対処できる「正しい道標」を披瀝するのだ。

ちょうど敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒が、
 ー人生の答えのすべては、聖書やコーランに書いてある、
と断言するのと同じように、
朝鮮人連盟の真っ赤っかのペルゲンイ達は、
 ー人生の答えのすべては、『金日成著作全集』に書いてある、
のだ。

(2の9)

朝鮮高校の一つ上に、
車本龍(チャ・ボンリョン)という他校出身の親しいソンベ(先輩)がいた。
オレは、このソンベと結構ウマが合い、
学ランのまま池袋のロス会館の炉端焼きに頻繁に飲みにいった。

ー高校生のくせに、しかも学生服のままで飲み屋に入れるか? って。
フン! 笑わせるな
オレも車先輩も、自慢じゃないが、とても高校生には見えないので、
大学の応援団員待遇でオール・フリーパスだ!
もちろん店長は知っているけどね。

車先輩は、ほろ酔い加減で愚痴をこぼしたことがある。
「ミョンジョン、この前な、複雑な気分になってな・・・。
 参ったよ、まったく・・・」
「何があったんですか? ヒョンニム(兄様)」
ちなみに、朝鮮高校では、何故だかわからないが、
親しかろうが、親しくなかろうが、
 ー男の先輩は、皆、ヒョンニム(兄様)、
  女の先輩は、皆、ヌナ(姉様)
と呼ぶのが慣例なのだ。

「知り合いの新宿のカンペ(ヤクザ)がな。
 俺に抗議するのよ。半泣きしながら。血相を変えて。
  ーお前のオヤジは、ヤクザを泣かせるヤクザ以上のヤクザだ!
 てな。
 恥ずかしかったよ。本当にさ・・・」
「・・・(ヤクザ以上のヤクザ?)」

車先輩のアボジは、
バリバリの「一世」で、
朝鮮人連盟傘下の朝鮮人商売人協会の副会長という大物だった。
金日成とも直接北朝鮮で会ったことがあるらしい。
何をしているかというと、
表向きは不動産業なのだが、実際は、高利貸しらしい。
だいたい朝鮮人で
 ー職業は、不動産業です
と、答える奴はだいたい悪徳高利貸しなのだ。

ところが車先輩のアボジは、普通の高利貸しではないのだ。
冷酷無比な<朝鮮人高利貸し>であることは事実だが、
儲けた金を自分や家族のために使うのではなく、
毎年、億単位で朝鮮人連盟を通じて北朝鮮の金日成に献金しているらしいのだ。
つまり、車先輩のアボジに言わせると、
 ー自分が金融をしているのは祖国統一のためだ!
ということなのだ。

こういう経営者を金日成は、
 ー愛国的商工人(エグッチョッサンゴンイン)!
とホメ殺しをするのだ。
そしてたくさんの金を巻き上げるのだ。

車先輩は酔うと、
だいたい、ヤクザも真っ青の自分のアボジの愚痴で終始した。
「アボジは、字が読めないのに、
 毎朝、『朝鮮人新聞』を見ているんだよな。
 オレにも、毎朝、読めとは言わないで、
  ー見ろ!
 って言うんだよ。ガキの頃からずっ〜と」
「・・・(昔のプネジャンと同じだ)」

「それでな。毎朝、正座させられて、
 金日成元帥様の教示を復唱させられるんだ。
 子供の頃からずっとだよ。ずっ〜と」
「へぇ〜、毎日ですか。そりゃ〜大変ですね、ヒョンニムも」
「あぁ、だから俺の頭の中はさぁ。元帥様の教示一色だよ。
 もっとほかのことを覚えたかったのになぁ。
 たぶんアボジが元気なうちは続くだろうな。
 二十歳になっても三十になっても、下手をすると四十になってもな・・・」

「ヒョンニムの家はブルジョアだけど、結構苦労しているんですね」
「お前なぁ、革命の敵のブルジョアっていうのはよせよな」
「あっ、ミアナンミダ。さっ、どうぞ」
オレは両手で麒麟ビールを持ち車先輩のコップにビールをそそいだ。

「おっ、コマッソ(ありがとう)」
「いぇいぇ。それにしても大変ですね」
「あぁ〜。本当、大変だよ。
 正月もだよ、正月も」
「へえ〜。正月もですか」
「あぁ、そうなんだよ。
 オレのアボジは、車一族の宗家の長男でさ。
 だから正月には日本中の一族がオレの実家に集るんだけど、
そこでもやるんだよ。
 『朝鮮人新聞』を使った金日成元帥様の教示学習を。
 ただ、いつもと違うのは、金日成元帥様の新年の教示を一族で学習するのさ」
「それは半端じゃないですね」
「明宗もそう思う? 普通はそこまでしないよなぁ」
「えぇ」

「それでな。
 毎年最後に、一族の長たるアボジが、目を輝かしながらこう宣言するんだ。
  ー昔、ウリ、チョソンサラムは、
   イルチェ(日帝)に国を奪われたため、
   ウェノムに亡国奴(マングンノ)として虫けらのように虐められた。
   今は金日成将軍様が導かれるウリナラがあり、
日本にチョジッ(組織。朝鮮人連盟の意)がある御陰で、
こうして一族が幸せな正月を迎えることができる。
金日成将軍様は、次のようにおっしゃられた。
「金を失なってもとりかえせるが、祖国を失えばそれまでである」と。
まったくおっしゃるとおりで、
ウリ、チョソンサラムが、祖国・共和国や組織を失えば、
昔と同じように惨めな奴隷状態におかれるだろう。
だからウリ車一族は、
   金日成将軍様が導かれる祖国共和国に忠誠をつくさなければならない!
   在日朝鮮人の人権を守る朝鮮人連盟のために奉仕しなければならない!
 てな。もう暗記してしまったよ。オレは」 

「ボンリョン・ヒョンニム。
 うちもヒョンニムの家ほどではないにしろ、
  ー自分の国がない
 という惨めさをアボジやオモニから聞いたことがありますよ」
「そうかぁ。
 まぁ子供の頃から、ず〜と、ウリナラがないから
 日本人に虐められてきた「一世」にとっては、
 ウリナラというのは、かけがえのない宝物なのかも知れないな」
「そうかもしれませんね」

「それでなぁ、ミョンジョン。
 うちのアボジの口癖はな、
  ー朝鮮人でありながら、ササンがない奴はダメだ!
 なんだよ」
「それって朝鮮人連盟の「一世」の決まり文句ですよね」
「まあなぁ。それでな。
 決まってアボジが言うのさ、
  ーササンがない朝鮮人とは付き合ってはいけない!
   もちろん結婚相手としても認めない!
 てな。まいっちゃうよ。アボジには」
「へぇ〜、もう結婚のことを話しているんですか?
 ヒョンニムのアボジは」
「あぁ、
 なぁ〜、ミョンジョンよ〜
 俺はこう見えても高校生だよ。高校生!
 まだ経験不足の青いキュウリなのに。
 なのにだ。結婚相手は、ササンがある女にしろ、と言われているんだよ」

車先輩は、一挙にグラスを飲み干した。
グラスを置くと続けて言った。
「字も読めないのに、
  ーササン、ササン、
 ってアボジから言われるとなぁ〜。
 なんか、こ〜う、矛盾するんだよ。この歳になるとさ」

「そうですよねぇ〜。
 車ヒョンニム。「一世」のいうササンていうのは、
 ひょっとする宗教かも知れないですね」
「あぁ。オレもそう思うな。
 信じる者は救われる、信じない者は救われない、
 そういうちょっとした宗教だよな。あれはさぁ」
「だとすると、ウリナラが天国みたいなもので、南朝鮮が地獄で、
 金日成が天国に導くキリストで、
 朴チョンヒが地獄に案内する悪魔ということですかね」

「お前、なかなかおもしろいことを言うなぁ」
「それほどでも」
「さぁ、やれよ!」
車先輩は片手でビール瓶を持ち上げ、オレのコップにそそいでくれた。
当然、オレは儒教的作法よろしく両手でコップを持っている。

「カンサハンミダ。
 でもヒョンニムの家は、立派な革命的家族、愛国者なんですね」
「よせよ。気持ち悪い。オレはペルゲンイじゃないよ。
 アボジが怖いからシブシブ従ってるだけさ」
「じゃぁ、ヒョンニムもチョと同じ<主体なし>なんですね!」
「まあな。ふっふふ」
「そぅか〜、やっぱり気が合いますね。
 チョとヒョンニムは! はっはは」

・・・。
まぁ、「一世」との思いではつきないなぁ。
いろいろあったけど、今思えば、踏まれても踏まれても逞しく生きていた
雑草のような「一世」達が懐かしい・・・








(3)


朝鮮人がお祝いすべき祝祭日は、
4月15日の金日成誕生日、
5月1日の労働者の日・メーデー、
8月15日の朝鮮解放記念日、
9月9日の朝鮮民主主義人民共和国創建日、
10月10日の朝鮮労働党創建日なのだ。

そうそう日本人と同じように5月5日も休めるのだが、
 ー昔から朝鮮民族は端午の節句を祝っていた。
  この風習を朝鮮人の先祖が日本人の先祖に教えた。
だからこの日に休んでも日本の祝祭日をお祝いしたことにはならない、
と教わった。

真っ赤っかに燃えたソンセンニム達が言うには、
 ーウリ朝鮮人は、
  日本に住んではいるが、
  日本人ではないので、
  日本の祝祭日に休むなんてことは許されないのであり、
  むしろ、そういう日にこそ、普段よりも気合いをいれて、
  一生懸命、働いたり、勉強しなければならない!
と気合いを入れるのだった。

朝鮮学校に10年近く通っていれば、これぐらいは常識になる。
けれどもガキの頃から、
当たり前だと思っていたわけじゃない。
ガキはガキなりに疑問を持った時期があった。

東京都のはずれの多摩川の下流で、
神奈川県との境にある大田区六郷町の
オレの家から一番近い大田朝鮮小学校は、
京Qバスと東Q電車を利用して片道1時間30分もかかった。

やたらと重いランドセルを背負わされている6歳のガキにとって、
超満員のバスと電車での通学は、
かなりの重労働だった。

とくに嫌だったのが、蒲田駅から乗る東Q線だった。
発車ベルが鳴るのと同時に、
突撃してくる日本人サラリーマンには恐怖を感じたものだった。
いったいぜんたい何が悲しくて、
毎日毎日、そんなに顔をひきつらせながら
血相を変えて電車に飛び込んでくるのか、
ガキにはまったく理解できない
不思議の国のアリスだった。

だが、油断すると虫歯の前歯が折られるほど、
痛い目にあう。
ちょうどオレの顔を狙ってくるケツ・パン野郎には手を焼いた。

バスッ!

と強烈なのを喰らったときには、
(クソッ! ケツ、かみついたろうか!!)
と衝動にかられるのだが、
とっさに思いついた
 ークソッ!
という言葉から歳の離れた兄の顔が、
何故だか分からないが、とっさに浮かんだ。

生真面目でロマンチストの兄は、
今では真っ赤っかに燃えてはいるが、
本当は、「赤」よりも、
純潔をあらわす「白」を好み、白いシャツしか着なかった。

彼は、いわゆる「サユリスト」で、
共産主義者になってからも、
この思いは変わることはなく、
いつも白いシャツの左胸ポケットに吉永小百合の写真を入れていた。
肌身離さないどころか、
 ー人間の臓器の中で一番大切な心臓の前にある左胸ポケットに
  小百合様の写真を常時携帯している、
ということが、兄なりの「サユリスト」としての純潔の証なのだ。

この兄が、
「いいか明宗、吉永小百合様は、汚れ無き天使だ。
 便所なんてところには、絶対に行かないんだ!」
「・・・」
と、花の好きなおかあちゃん=オモニが、
花瓶の花を変える都度、目を輝かしながらオレに言っていた。

きっと、
 ークソをしない人間が、この世にはいる!
という衝撃が、
ムカついた際、とっさにでた
 ークソッ!
とともに蘇り、ガキの脳裏を刺激したのだろう。

(まっ、まてよ、そうか〜、
 よしながさゆりいがいのにんげんは、べんじょにいってクソをする!)
と、逆説的に、
  ハッ、
と気づき、2時間前の自分自身の生理的所行を顧みて、
今が朝でもあり、くさそうだったので、
目の前の憎っくきケツに噛みつくのは止めた。

かかとが尖ったハイヒール・パンチ・メロウも油断できない。
「イテッ!」
と大声を出すほど、痛いことは痛かったが、
ちょうどオレの頭のてっぺんやおでこが、
彼女の胸の下あたりに触れている場合が多かった。

(オモニと同じでやわらかいな〜)
とガキなりのスケベ〜心と葛藤する瞬間、
「坊や、ごめんネ」
と、やさしく謝罪され、
 ふわ、ふわ〜
とシャネルの香水のような淡い香りを感じれば、
満員電車で顔も良く見えないのに、
オレは目を、
 キリッ、
とさせて、背筋を伸ばし、
「ボクは、おとこのこだからへいきです!」
な〜んて、カッコをつけながら許してやることが多かった。
やはりボインは得だな。

これが、元怖いお姉さんの
 モア、もあ、モあ〜
と、攻めてくるニンニク・パンチだったら、
「ババア! いしゃりょう10円だせ!」
と東Q電車の初乗り運賃を請求したかも知れない。

今でも忘れられない不愉快な「事件」がある。
ヨレヨレの背広を着た禿げちゃびんのおっさんが、
共産主義者でもないのに、真っ赤な顔をして
車内に跳び込んできたことがあった。
不幸なことに、オレの顔が、
ちょうど禿げちゃびんのおしりの位置にあたっていた。

  ジリジリ、ジリ〜ン

オレは、東Q線の発車ベルと同時に、

  プッ、ス〜うッ

と発射された毒ガスから逃げることはできなかった。
(うっ!)
オレは、とっさに右の手のひらを鼻にあてようとしたが、
悲しいかなまったく身動きがとれなかった。

オレは、満員電車という、
このどうしようもない境遇をうらんだ。
今思えば、朝鮮中学で習うことになる「身世打令(シンセタリョン)」だった。
同時に、生まれて初めて、
「ウェノム(倭奴)!」
という、先週、習ったばかりの日本人に対する蔑称を初めて使った。

この禿げちゃびんのおっさんは、きっと、
学校の近くにあるI・BU・Mの社員に違いない。
ヘは、社名のとおり、BUだろう! ブー!!
 ープッ、ス〜うッ
とは何事だ! くさいじゃないか!!
もちろん諸般の事情により、噛みつくことはできなかった。

こんなわけで、通学は憂鬱だった。
ところが、4月29日に初めての異変がおこった。
バスや電車が、ガラ〜ン、がら〜んに空いていたのだ。
満員電車の恐怖から逃れられるので、
ホッとしたけど、
ランドセルを背負っているのはオレだけで、
何となくだが、
 ーじぶんだけが、ういている、
そんな感じがした。

だからオレは、放課後のハルチョンファで、
趙ソンセンニムに憶えたばかりの朝鮮語の単語少々と
日本語をチャンポンにして質問した。

「ソンセンニム、どうしてウリは、祝日なのに学校を休まないのですか?」

2年前の春、朝鮮人大学師範学部を卒業した怖いお姉さんは、
(この子は、どうしてこんなくだらない質問をするのか?)
というような呆れた顔をした。
やはり入学式でのニンニク・パンチ事件以来相性が悪い。

彼女は、意を決したようにチマ・チョゴリをただして起立し、
ラジオ短波でしか聞けないピョンヤン放送のような力強くて戦闘的な朝鮮語で、
 ダ、ダ、ダ、ダッ
と話した後、
朝鮮語を理解できないオレ達に、日本語に訳して話すのだった。

「ウリ達は、誇り高き朝鮮民族であり、
 百戦百勝(ペッチョンペッスン)の金日成将軍様が
 千里馬(チョルリマ)運動で導かれる
 偉大な祖国、朝鮮民主主義人民共和国の海外公民です。
 どうしてウリ達が、36年間も朝鮮を植民地にして、
 朝鮮人を搾取(チャッチュィ)しながら、
 差別(チャビョル)し、蔑視(ミョルシ)した
 倭奴の祝日をお祝いしなければならないのですか?」

ちなみに、オレが1学年生(イルハンニョンセン)の頃は、
「主体思想(チュチェササン)」というものはなく、
金日成のことも「首領様(スリョンニム)」とは呼んではいなかった。
金日成に対し「偉大な首領様」とか「敬愛する首領様」と
ホメ殺しをするようになったのは、
数年後の4〜5学年生の頃からだった。

ちなみに、「主体思想」が、
朝鮮人の「唯一絶対思想(ユイルチドササン)」になったのは、
オレが朝鮮高校に入ってからのことで、
金日成が北朝鮮憲法を改正し、
自ら「国家元首・国家主席」と主張した年からだった。

金日成の一族の神格化が始まったのも、4〜5学年生の頃だった。
金日成の曾祖父のキム・ウンウが、
朝鮮に攻めてきたアメリカのゼネラル・シャーマン号を焼き払ったとか、
父のキム・ヒョンゴンが、抗日愛国の革命家だったとか、
母のカン・バンソックが、「朝鮮のオモニ」で、
弟のキム・チョルジュが、抗日愛国の学生革命家等々、
今まで聞いたことがない朝鮮史上の愛国主義的英雄が、
これでもか、これでもかと、
ソンセンニムの口から飛び出してきたのだった。

本当は、金日成の父母や母方のお爺さんは、
すべて敬虔なキリスト教徒だったのに。
だって、金日成の母・康盤石の「盤石」は、
聖書に出てくるペテロ由来の言葉だろう!
まあっ、これも朝鮮高校入学後にインテリの李先輩から聞いた話だけどね。

さて話を元に戻す。
怖いお姉さんは、自分の言葉に酔いながら、さらに続けて言った。
「トンム達は、栄光に満ちた朝鮮民族の将来を担う未来の主人公なのです。
 ウリ在日同胞の故郷(コヒャン)・南朝鮮(ナムジョソン)から
 アメリカ帝国主義者(チェグッチュウィジャ)を追い出し、
 米帝(ミジェ)の手先で売国奴(メグンノ)の傀儡徒党(ケレトダン)、
 朴チョンヒ(元韓国大統領)を打倒(タド)して、
 奴隷状態におかれている南朝鮮人民を解放しなければならないのです!」

朝鮮学校では、
朝鮮半島にある唯一の正統かつ合法的な国家は、
朝鮮民主主義人民共和国=北朝鮮だけであり、
「韓国(ハングッ)」
なんてものは、この世に存在しないアメリカがでっちあげた傀儡政権なのだ。
仮に、校内で、日本語でも朝鮮語でも、「韓国」と言ったら最後、
秘密警察KGBのような暴力教師・梁鉄拳(リャン・チョルゴン)が
ダッシュしてきて、たちまちそいつは、
 ワンパン、ツーパン、ゲソパン、チョーパン
の餌食になり、ボコボコにされたのだった。
それほど「韓国」という名称は、
朝鮮学校ではタブー視されていたのだ。

ーじゃ、なんて呼んだのか? って。
南朝鮮だよ、ナムジョソン!
とにもかくにも、朝鮮学校で教えられる「南朝鮮の実態」はひどかった。

アメリカの植民地だから、何でもアメリカさまさま。
漫画では、いつも鼻の高い白人の米兵にペコペコ土下座する
黒いサングラスをかけた軍服姿の朴チョンヒが描かれていた。
南朝鮮は、軍事独裁政権で、人権のかけらもなく、
朴チョンヒに逆らえば、裁判なしですぐ死刑(サヒョン)!
金がない貧乏国だから、
若い女は売春婦、子供は家事奴隷とかペットとして外国に売ることで、
汚れた米ドルを稼ぐ腐敗堕落した資本主義傀儡国。
一部の金持ち=ブルジョアや地主だけが富を独り占めしているので、
南朝鮮人民は、ど貧乏状態におかれ、
やむなく売血したり、あげくは目や臓器を売っている、
な〜んてことを教えられた。

だからオレ達の韓国=南朝鮮に対するイメージはひどかった。
たとえば、大田朝鮮学校の近くに、
安いけど、ひどくまずくて有名な中華料理屋があった。
経営も苦しいらしく、電気も節約していたので、いつも店内は薄暗い。
ドアをあけ、店内に入るのにも勇気がいるほど、不気味な静けさがあり、
 ーこの店でだされた料理を食べたら、果たして生還できるのか?
と、あたかもフグの肝臓を食べるような覚悟が必要だった。
だからこそ、勇気をためす肝試しの心境で、誰でも一度はこの店に挑戦した。

かくいうオレも朝鮮中学入学後、挑戦している。
ドアを開けると、暗い顔をした店主と、
将来にまったく希望がなさそうなオバさんが、
「いらっしゃい」
と、歓迎しているのか、怒っているのか、わからないトーンで出迎えてくれる。
オレは、先輩代々伝わっている有名な麻婆豆腐に挑戦しようと決意した。
「じゃ、麻婆豆腐!」
「んっ」
(んっ、じゃねえだろ! はいっ、だろハイ!)
とムカつきつつも、店主が右手に包丁を持っていたので声にはださなかった。

中華料理を食べに来ているだけなのに、やけに緊張してしまい喉が渇いた。
「オバさん! 水!」
「・・・」
無言のオバさんから出されたコップに恐る恐る口をつけると、
先輩達からの噂どおり、ママレモンの味がした。
つまりこの店の食器は、
熱湯にママレモンをいれてあるバケツにつけるだけで洗ってはいないのだ。

「マーボードウフ」
店主は、あいかわらず暗い。
「・・・」
オバさんもが、あいかわらず暗い。
彼女は無言でテーブルの上に、その代物をおいた。

(ヌ、ヌッ!、こ、これは!!)
夜とか早朝、
蒲田の場末の飲み屋街の電柱下に散乱しているアノおぞましいものと、
まったく瓜トゥル(二つ)じゃないか!

これを見た天然ボケの同級生・文ドマンが、鼻血を出してしまい、
それが何と麻婆豆腐の上に、
ピチャッ、ピチャッ
と落ちてしまった。

オレは怒った。
「ムン・ドマン! てめえ! たまっているのか!!」
と同時に、
(ゲロにケチャップか・・・)
と、目の前にある皿をまじまじと見つめてしまった。

オレは、しばし目をつぶって沈黙してしまった。
(オレも朝鮮の大丈夫(サナイ)だ。ここは潔く・・・)
と意を決しながら起立して言った。
「まいりました。おいくらでしょうか?」
割り箸にすら手をつけず勘定をすませて立ち去るのだった。
オレ達は、この手強い店を、先輩代々、
 ーナムジョソン
と呼んでいる。

さて、再び話を元に戻す。
怖いお姉さんは、自分の言葉に酔いながら、起立して言った。
「金日成将軍様は、次のように教示されました」
 子供心に不思議だったのは、
朝鮮学校の教員が金日成の教示を披瀝する際、
男であれ女であれ、かならず低音の重みのある声に変質させることだった。

「・・・トンム達は、
 ウリ民族の悲願である祖国統一を一日もはやく成し遂げ、
 墳墓の地・統一朝鮮に帰国し、
 希望に満ちた新朝鮮建設のために身を捧げなければなりません。
 トンム達の未来は栄光に満ちています。
 立派な愛国者になるために、
 学んで学んで、さらに学ばなければなりません(ペウゴペウゴ、トウ、ペヲヤハンニダ)
 それこそが革命の主人公であるプロレタリアートの子女に課された革命的任務です」

金日成の教示を終えた趙ソンセンニムは、自分の高い地声に戻して、
「と、おっしゃっておられます」
と紙芝居のおじさんのように声を変えるのだった。

次いでガキにはさっぱりわからない
日本の祝祭日と天皇との関係について話すのだった。
「とくに今日の4月29日の天皇誕生日は、
 朝鮮人が一番休んではいけない日です。
昔、朝鮮人は、天皇制に大変、苦しめられました。
日本の祝祭日は、だいたい天皇と関係があります。
 2月11日は「建国記念日」だと言っていますが、
 昔は「紀元節」と崇めていました。
 由来は、天皇の遠い祖先が日本という国を創ったという神話が起源です。
 11月3日は「文化の日」だと言っていますが、
 昔は「明治節」と崇めた明治天皇の誕生日だからです」

(てんのう? きげんせつ? めいじせつ?)
何のことやらさっぱりわからない。

さらに、ナンヤカンヤとガキには難し過ぎることを数分間、
機関銃のようにしゃべりまくった。
要約すると、こうだ。
 ーウリ在日朝鮮人が住んでいる日本(イルボン)は、
   敵地であり、仮の宿にすぎない。
ウリ在日僑胞(チェイルキョポ)は、南北に分断された祖国が、
金日成将軍様の指導の下、統一(トンイル)した暁に必ず帰国する。
統一朝鮮での生活で支障がないよう日本生まれの朝鮮の子ども達は、
祖国朝鮮の歴史、文化、風習、とくに朝鮮語を学ばなければならない、

そして最後に、
「・・・だから、ウリ朝鮮学生は、
 日本人が休んでいる日に一生懸命、
 工夫(コンブ。勉強)をしなければならないのです。
 わかりますね! トンム達!」
「イェーッ!」
「イェーッ!」
「イェーッ!」

(おまえら! 本当に分かって返事をしているのかよ?)
オレははっきり言って疑問だった。
担任のプロパガンダは、いつも難しかったからだ。

偉大、首領、海外公民、植民地、搾取、差別、蔑視、帝国主義、売国奴、
傀儡徒党、奴隷、墳墓、国家、革命、任務、天皇、天皇制etc・・・
どれもこれもちんぷんかんぷんだった。

ガキでも分かることは、
 ーオレ達は、朝鮮人であり、
  昔、朝鮮人にひどいことをした日本人が祝う日は、
  絶対学校を休んではいけないのであり、
  今も悪い奴がいて、
  それがアメリカと南朝鮮のパク・チョンヒで、
  そいつらをやっけるために、勉強をしなければいけない、
ということだった。

それ以上のことは、ガキにわかるわけがない。
なのに、同級生のすべてが、わかったようなふりをしていた。
しかも、わからないことを正直に言ったオレに、
みんなは、冷たい視線を浴びせたのだった。
ひそかに好きだった隣の席の韓浩子(ハン・ホジャ)の
呆れたような視線が、やけにきつく感じた。

そう、オレは、はっきり言って負けた。
急に恥ずかしくなり、うつむいてしまったのだ。
(ふん! いい気味ね)
あの怖いお姉さんが、ほくそ笑んでいる。

 あれから10年。
オレは相変わらず朝鮮学校に通い次から次へと襲いかかる
朝鮮式共産主義のプロパガンダの渦中にいる。

けれどもオレは、絶対、
真っ赤っかの共産主義者にはならなかった。
まぁ、ピンクぐらいには、なりそうだったけどね。

慣れというのは結構楽だ。
オレは、1学年生の頃のハルチョンファでの敗北以来、
この手の質問をまったくしなくなった。
わかろうがわかるまいが、
すべて右の耳から左の耳へと聞き流す、
 ー主体(チュチェ)なし
に徹している。

まあ、金日成が偉大かどうかは、オレにはわからない。
ただ、オレは、
北朝鮮の祝祭日に朝鮮学校を休めるのが嬉しくなっていった。
いつしかオレは、日本人が働いていたり、学校へ行っている時に、
 ー自分だけが浮いている、
とは思わなくなり、
朝鮮人として胸をはって休めることを快感に感じるようになったのだ。

なんかこう周りの日本人が、
時間に追われるかのように、会社や学校へと急いでいるのに、
オレだけは自由を謳歌し、
悠々と自分の時間を楽しんでいる、
そんな優越感を感じるようになったからだ。

きっと、朝鮮学校の先輩達もオレと同じ感覚をもったと思う。
先輩達に自営業者がやたらと多く、
日本人のようにサラリーマンになろうとしないのは、
そのせいかも知れない。




(4)    (4の1) (4の2) (4の2の1) (4の2の2) (4の2の3) (4の2の4) (4の2の5) (4の2の6)


真っ赤っかぁ〜のプロパガンダの「洗礼」を受け始めた途端、
真っ黒クロ助・右翼とのうんざりする程、
なが〜い<つきあい>が始まり、
 真っ赤っかぁ〜のプロパガンダに、
うんざりする程、飽きてしまい、
真っ赤っかぁ〜が、
怪しいピンぴんピンクの助に色あせて冷める頃、
セカンド・ラブは、万景峰号とともに去っていってしまった。


(4の1)

ノンポリの疑似日本人少年・河田明宗(かわだ・あきむね)から、
立派な誇り高い朝鮮人少年・河 明宗(ハ・ミョンジョン)に
変身させられた4月下旬。

本当は、つきあいたくない連中と、
うんざりする程、
なが〜い、つきあいが始まった。

この
 ーつきあいたくない連中
のことを世間では、
 ー右翼(うよく)
と呼んでいた。

けれども、真っ赤っかに燃える朝鮮学校の教員や先輩達は、
 ーウイッ・カンペ!(右翼ヤクザ)
と憎悪を込めながら、
吐き捨てるように、罵っていた。

だから、オレ達も、
ボリュームがんがんの
 <右翼セレモニー>
を数回経験する頃には、
目上の真似をして、
自然に、Naturalに、チャヨニ(自然に、の朝鮮語)、
 ーウイッ・カンペ!
と憎悪を込めて、
吐き捨てるように、
罵ることになるのだった。

カロヤンハイのCMコピー、
 ー抜けはじめてわかる、髪は、なが〜い、友達!
を朝鮮人学生と右翼との関係にあてはめると、
 ーつきあい始めてわかる、右翼は、なが〜い、宿敵!
なのだ。

右翼が、真っ黒クロ助街宣車で、
朝鮮学校に攻めてくる日は、だいたい決まっていた。
あいつらが、涙を流して祝ったり、感激して失神してしまう

 4月29日の天長節(昭和天皇誕生日)

 5月27日の海軍の日(日露戦争時、日本海海戦・バルチック艦隊殲滅記念日)

 6月10日の陸軍士官学校創設記念日(防衛庁を防衛省に、自衛隊を国防軍に改称主張)

 7月30日の明治天皇崩御日(明治の栄光に陶酔する日。朝鮮学校夏休みの為、未対決)

 8月15日の天皇聖断終戦記念日(敗戦を絶対認めない。朝鮮学校夏休みの為、未対決)

 9月17日の黄海海戦戦勝記念日(日清戦争時の海戦)

10月12日の大政翼賛会創設記念日(日本の政党オール右翼化記念日)

11月 3日の明治節(明治天皇誕生日。現代の詐称名「文化の日」)

12月 7日の米国ハワイ真珠湾奇襲戦勝記念日(聖戦大東亜新秩序建設戦争開戦記念日)

 1月 5日の旅順要塞陥落記念日(日露戦争時の激戦。朝鮮学校冬休みの為、未対決)

 2月11日の紀元節(現代の詐称名「建国記念日」)

 3月30日の日清戦争勝利記念日(下関条約締結日。朝鮮学校春休みの為、未対決)
なのだ。

つまり日帝が、
戦争でケチョンケチョンに負ける前、
昭和天皇が現人神(あらひとがみ)だった
大日本帝国時代の祝祭日および記念日こそが、
右翼の出陣の日なのだ。 

つまり、オレ達、愛国的朝鮮人学生が、
一番休んではいけない日に、
こいつらは朝鮮学校に攻めてくるのだ。

オレが入学式の時、
気になってしかたがなかった朝鮮学校の高い塀の上にある有刺鉄線は、
朝鮮学校を襲撃しようとする
右翼に対する防御のためにあるのだった。

右翼の真っ黒クロ助・街宣車は、周囲の迷惑なんて眼中にない。
今の東京都教育委員会のように、
日の丸と日章旗を高々と挙げ、
イルチェ(日帝。日本帝国主義の意)の軍歌をボリュームいっぱい、
ガンガンならしながら攻めてくる。

<右翼セレモニー>の定番は、
 パ〜パ〜、パパラパッパ、パパパパパッパッ、
 パ〜パパッパ、パパパパ、パ〜パ、パ〜パ、パ〜
の<軍艦マーチ>か、

 ーキサマとオ〜レ〜と〜は〜
の<同期の桜>だった。

 ピシッ!
 ガラガラガラ!
 バタン!

朝鮮学校近隣の日本人は、
右翼が来襲すると、
皆一斉に窓やドアを閉める。

この善良なる子羊達は、
狼の群れや嵐が過ぎ去るのを待つかのように、
 じっ〜と、
息を殺して自分の家に
 シ〜ン
と隠れるのだった。

普通の日本人は、右翼が来ると逃げるのに、
オレ達朝鮮人学生は、

 ー日本帝国主義者どもは、
朝鮮革命の敵であり、
  不倶戴天のヲンス(仇とか、敵の意)なので、
  闘わなければならない!
と、
 <革命的朝鮮学生! 戦え!! プロパガンダ>
で洗脳されているので、
逃げるなんて恥知らすなことは、
プアル(チンチンの隠語)をぶら下げている以上、
とてもできないのだ。

右翼による<真っ黒クロ助プロパガンダ>は、
「チョ〜センジン児童の諸君!」
から始まる。

こいつらは、イルチェ陸軍の常用語、
そう、日本人がイメージする男の中の男=高倉健のように、
 ー自分は・・・であります
というのが特徴の長州弁(山口県の方言)らしき言葉を好んでつかうのだった。

この右翼が、
街宣車を朝鮮学校校舎の塀の前に停め、
ボリュームをいっぱいにして、
マイク片手に、
 ギャ〜、ギャ〜
 ギャ〜、ギャ〜
と、わめき始めると、
うるさくて、うるさくて、
とてもじゃないが授業にはならない。

だから、金日成の教示程では無いにしても、
それに次ぐ程、
オレ達の脳みそは、
ろくでもない影響を受けるのだった。

<真っ黒クロ助プロパガンダ>を延々と聞かされると、
 ー昔も今も日本人は、朝鮮人の敵!
であり、
 ー下校時には覚悟を決めて闘わなければならない!
と、思わざるを得ない精神状態に追い込まれるからだ。

ちょうど、
 ー大和民族優越主義!
という名の異様な黒さのクマンバチが、
 ーブ〜ン、ブ〜ン
と今にも襲いかかるような勢いで、
耳の周りを飛んでいるようなものだった。

この強烈な<真っ黒クロ助・プロパガンダ>の「洗礼」は、
 ーチョーセン人は、弱くて劣等だ!
と、オレ達のシャイな心に土足で踏み込んでくる。
だから、オレ達には、
強烈な<反日思想>が芽生えてくるのだった。

右翼の言いたいことは、
レコードの針がとんで、
繰り返し繰り返し、
同じ歌詞が流れるのとよく似ていた。

 ー国家・君が代斉唱!
  国旗・日の丸掲揚!

 ー万世一系の天皇陛下万歳! 
  神国・大日本帝国万歳! 

 ー大東亜共栄圏建設!
  連合艦隊再編成!!

 ー犬法(けんぽう。右翼は憲法のことをアメリカの犬の法と呼んでいた)廃止!
大日本帝国憲法(明治憲法)の復活!

ー赤い帝国・ソ連(今のロシア)打倒! 
  シベリア不法抑留に対する露助(ロスケ。ロシア人の蔑称)への報復!
自衛隊の武力による北方領土奪還!

 ー赤い帝国・中共(中国共産党)打倒! 
  中華民国(台湾)による中国大陸侵攻への日・米の軍事支援!

 ー日本共産党、総評、日教組などの非国民・売国奴のアカ殲滅!
  非国民・日本人のアカどものソ連か中共への強制送還!
だった。
このプロパガンダは、正直言うとオレ達には、ピンとこない。

オレ達の胸を指すのは、<反朝鮮人プロパガンダ>なのだ。
ポイントは、三つあった。
ひとつは
 「ソ連と中共の手先! 北鮮(北朝鮮の蔑称)の金日成匪賊(ひぞく)政権打倒!!
 治安維持法を復活し、
  北鮮スパイ組織の朝鮮人連盟を活動停止し、
  朝鮮人連盟会員の即時、北鮮への強制送還!」
だった。

もう一つは、
「朝鮮人児童の諸君!
 お前達の国は〜、この日本では〜、ないのでありま〜す!
 お前達の国は〜、チョ〜センなのでありま〜す
 だから〜、一刻もはや〜く、
 自分の国であるチョ〜センに、自らすすんで帰るべきなのであります」

最後に、
「お前達が〜、チョ〜センに帰るのが嫌ならば〜、
 帰化して日本人にならなければならないのであります」
だった。

そしてオレ達、朝鮮学校生徒に対する結論は、
「チョ〜センにも帰らない、
 日本人になるのも嫌だ、
 そんな自分勝手で、けしからんことは通用しないのでありま〜す!」
だった。

こいつらが奇妙なのは、いきなり、
 ビッシ!
と起立して、
「皇居遙拝!」
と絶叫し、
江戸城の方面に深々と礼をすることだった。
こんなすばらしい礼ができるのなら、
三越百貨店も雇ってくれるに違いない。

まぁ、真っ赤っかのペルゲンイが、
金日成の教示を話すとき
いきなり起立して、
低音で話すのと似ていなくもない。
崇拝しているのが、天皇か金日成かの違いがあるだけだ。
右翼と左翼とは、まったく良く似ているのだ。

「わが日本は、万世一系の天皇陛下が治められる神国であり、
 国民は、皆、天皇陛下の赤子(せきし)なのであります。
 大和民族という単一民族のわが国に、
 チョ〜センは、いらないのでありま〜す!
 とくに、ソ連という悪魔の帝国、
 北方領土を不法に侵略しているロ助(ロシア人の蔑称)の手先になっている
 北鮮のアカどもは、
非国民の日本共産党員とともに強制送還すべきなのであります。
 自分は日本男児として、
 断固として不逞鮮人の跋扈跳梁を殲滅するのでありま〜す!」

頼みもしないのに興奮する右翼のラストの絶叫は、

「チョ〜センジンは〜、チョ〜センに〜、かえれ〜!」

と、「一世」では無いはずなのに、
やたらと語尾をのばす怪しい日本語をわめき散らして終わるのだった。

これが毎月の<右翼祝祭日>に繰り返される。
だから、朝鮮学校に10年近く通っていれば、右翼には慣れる。
街宣車にも、
日の丸や日章旗にも、
君が代にも、
軍艦マーチにも、
真っ黒な戦闘服にも、
今時、中坊も恥ずかしがっている青ゾリにも、
 ー自分は・・・・・であります!
という長州弁にも、
ありとあらゆる右翼スタイルに、
ペルゲンイ・スタイル同様、すべて慣れるのだ。

真っ赤っかに燃えたソンセンニム達は、
 ーウリ朝鮮人学生は、
  ああいうろくでもない日帝(イルチェ)の
  ウイッ・カンペに絶対負けてはいけない!
と気合いを入れるのだった。

かくいうオレにとって右翼のプロパガンダは、
いつも、うるさいだけだった。
こいつらは、いったい何が言いたくて興奮しているのか、
さっぱりわからなかった。

わかるのは、絶叫にも似た
ー天皇陛下! 万歳!!
だけだった。

まあ、オレには、金日成同様、
天皇が偉大かどうかは、わからない。
ただ、オレは、
天皇家ゆかりの祝祭日の都度、
 ー朝鮮学校に街宣車で攻めてくる右翼とは絶対戦わなければならない!
と思うようになった。
これは理屈ではないな。

 ーなぜ危険をおかしてまで山に登るのか?
という質問に、
 ーそこに山があるからだ!
と答えた登山家がいたそうだが、
まったく同感だ。

 ーなぜ危険をおかしてまで右翼と戦うのか?
という質問に、
 ーそこに右翼がいるからだ!
と、オレ達朝高生は、答えるだろう。

朝鮮中学生のソンベ達も、
この<真っ黒クロ助・右翼プロパガンダ>を
だまって聞いているわけではなかった。
教室の窓から顔をだし、
「うるせ〜! このバカ野郎!」
「てめえら! そこからうごくんじゃねえぞ!」
「街宣車から降りて来いよ! オラ〜!」
と、窓から怒鳴りつけるのだった。

朝鮮学校の教員も、
ー・・・(右翼カンペをやっつけろ!)
と興奮する生徒を黙認する教員と、
 ー相手にしてはいけない
という無視派に二極化した。

ソンベの中には、
街宣車めがけて窓から唾や痰をはいたり、
牛乳瓶を投げつける者もいた。

当然のことながら右翼も、
「この鮮人の餓鬼め!」
と熱くなる。

両者睨み合いのママ、
一触即発の板門店状態になる。
けれども右翼が、街宣車から降りてくることはなかった。
元々、右翼は数が少ないからだ。

奴らは東京都内を分散して攻める。
朝鮮学校だけではなく、
日本共産党本部、日教組本部、総評などを持ち回りで襲撃しているらしく
人手が決定的に足りないらしい。

数が少なければ、
武器と言うことになるが、
さすがに白昼堂々日本刀を振り回すこともできない。

インテリの李先輩によると、
「右翼もヤクザも、
 基本的には、天皇制支持、自民党政権支持の体制側なので、
 体制を守るために存在する警察は黙認する。
 だけどだ。
 さすがに、白昼堂々と右翼による
 反体制左翼勢力に対する武器の乱用を黙認すれば、
 警察の許容範囲を超えるんだな。これが。
 法治国家としての威信が地に落ちるし、
 警察権力が無能呼ばわりされてしまうからな」
ということらしい。

こんなわけで、結局、
校舎の窓という高いところから見下げる朝鮮中学生と
街宣車という下から見上げる右翼とは、
お互い親の敵のような血走ったヌンチで睨み合いをするのだった。
朝鮮学校校舎の周囲の高い塀の上にある有刺鉄線は、
北朝鮮軍と韓国軍とが武装してにらみ合う
朝鮮半島の軍事境界線・38度線と似たような役割を担っているのだった。

数年後、
オレ達が最上級生の中3になった頃、
お互いの勢いが高じて、路上で乱闘寸前になったことがある。

オレは、鉄格子に囲まれた街宣車の運転席付近をよじ登り、
「おらぁ! てめえ! タイマンハッたるから降りてこいよ!!」
と怒鳴った。

もめている最中、
街宣車の運転席でブロマイドのよいなものを発見した。
(えっ?! なに? あれ?)   

こいつらは右翼のくせして
真っ赤っかに燃えている長兄同様、
吉永小百合が大好きな「サユリスト」のようだった。
こいつも純血をあらわす「白」を好むようだが、
ペルゲンイの兄と違うのは、
白いシャツを着ることはなく、
ファシストが好む黒いシャツを着ていたことだった。

この右翼は、
 ー吉永小百合様は、汚れ無き大和撫子なのであります!
  厠なんてところには、近づきもしないのであります!
と、天皇家の紋章である菊の花を見る都度、
目を輝かしているかどうかは、さっぱりわからない。

けれども、オレは、
(真っ黒クロ助右翼も、真っ赤っかのペルゲンイも、よう似ているなぁ)
と思わざるを得なかった。

結局、乱闘にはならなかった。
いつもと同じく、
お互いが罵詈雑言を罵りあう<口撃>だけで終わった。

「チョ〜センジンは〜、チョ〜センに〜帰れ!〜」

と怪しい日本語を連呼して右翼の街宣車は、
万鳥町を去って行くのだった。


(4の2)

 真っ黒クロ助右翼の
 ーチョーセン人は、チョーセンに帰れ!
プロパガンダが盛んな頃、
真っ赤っかぁ〜左翼も、
負けてはいなかった。

朝鮮人連盟は、
ー共和国(コンファグッ。北朝鮮の意)は、地上の楽園!
という
 ーこの世の天国!
プロパガンダで、オレ達を包囲し、
 ー在日朝鮮人は、祖国朝鮮の暖かい懐に抱かれなければならない!!
と、
 ー帰国マンセ!
プロパガンダで嵐のように襲うのだった。


(4の2の1)

オレは、
 ー右翼と左翼は、仲の悪い双子
のようなもので、
似たような遺伝子を持つ連中が、
 ー愛国心という錦の御旗を掲げて大衆を煽動!
しようとしている点では、
まったくウリトゥル、
(本質的には、良く似ているよなぁ)
と思うのだ。

右翼の奴らは、
 ーチョーセン人は、日本から出て行け!
と訴えており、
 左翼の奴らは、
ー朝鮮人は、自主的に祖国に帰ろう!
と訴えているわけだ。

つまり、右翼も左翼も、
 ー在日朝鮮人の居場所は、北朝鮮しかない!
という結論は、まったく同じで、
在日朝鮮人は、
日本から、
 ー追い出されるのか
それとも、
 ー自分で帰るのか
のプロセスの違いだけだ。

人間は誰しも、
他人から、とくに嫌いな奴らから強要されることを好まない。
だから、在日朝鮮人は、誰しも、
 ー大和民族優越+チョーセン民族劣等=朝鮮植民地化正義主義!
を信じて止まない右翼や右翼的日本人から、
悪辣な高利貸しのような
 ー追い込みをかけられて、みじめに追い出されるよりは、
  自ら帰国すべきではないのか?!
という選択肢を自問自答し、
大いに、迷いに迷ったのだ。

こういう迷いを断ち切らせたのは、
日本全体に吹き荒れていた
 ー共和国帰国エートス(人々を行動へと誘う心理的起動力)
だった。

もちろん、このエートスを
中世ヨーロッパの死病ペストのように
大衆に伝染させていったのは、
北朝鮮の忠実な子分の朝鮮人連盟だった。
そして、この帰国エートスを
大型旋風機のように
 ぶ〜ん、ブ〜ン
まわして日本全国に伝染させていったのが、日本人左翼だった。

オレがガキの頃の日本は、左翼が全盛の時代だった。
反自民党勢力の受け皿としての社会党も強かったし、
 ー自民党ペコペコ悪代官=知事・市長
をやっつけた東京都知事の美濃部さんや、
横浜市長の飛鳥田さんなどの革新市長全盛時代だった。

総評という巨大な労働組合も、
財界とがっぷり四つで対峙していて、
ブルジョアの牙城・日本経団連に、
しばし
 ー待った!
をかけて、
 ープロレタリアートの代表!
のような体裁を整えていた。

国鉄の巨大労組・国労は、
年から年中、
 ーストライキという祝日
をオレ達、朝鮮学生にプレゼントしてくれていた。
だからオレは、今でも、国労には、感謝している。

良心的な大学教授や評論家などの
 ー進歩的知識人
もたくさん活躍していたし、
朝日新聞や毎日新聞などの主要なマスコミも、
 ー第二自由新報と呼ばれていた産経新聞
をのぞけば、
右翼勢力を牽制していた。

学生運動も盛んで、
大学生がデモを通じて、
 ー自民反動政権打倒!

 ー社会改革!
を叫ぶ時代だったのだ。
後の話になるが、
オレが朝鮮高校に入学した頃には、
日本初のハイジャック・よど号を乗っ取ったり、
浅間山荘に立て籠り、
警察と銃撃戦をドンパチしでかしたのも、
大学生だった。

こういう左翼の日本人は、
オレ達、朝鮮学生の味方だった。
だから、真っ赤っかぁ〜の教員や先輩達も
「日本人のすべてが悪い訳じゃない。
 中には、われら朝鮮人の同志と呼べる進歩的な日本人もいる!」
と教わったものだ。

こういう
 ー進歩的な日本人達
は、みな
 ー在日朝鮮人の北朝鮮への帰国を熱烈に支持!
したのだ。 
だから、帰国を迷っていた在日朝鮮人達は、
 ー味方の日本人同志も、帰国を熱烈に支持してくれている!
と思いこむようになった。

奇妙なことに、
 ー朝鮮人の敵
であるはずの自民党政権も、
 ー人道的立場から在日朝鮮人の北朝鮮への帰国を許可する
という立場をとっていた。

インテリの李先輩に言わせると、
「人道的立場?
 それはまっかなウソだよ。
 自民党の連中は、在日朝鮮人がいなくなれば、
  ー日本の少数民族問題が一挙に解決する!
 とほくそ笑んでるだけさ」
と吐き捨てるように言った。

在日朝鮮人の北朝鮮への帰国を唯一反対したのは、
韓国人連盟と駐日韓国大使館だけだった。
 ー悪辣なペルゲンイの策謀!
  北送(プックソン)断固反対!!
と、わめいていたっけ。
けれども、当時の韓国は、
 ー軍事独裁政権の反動国家
のレッテルを張られていて、
誰も相手にはしてくれなかった。

韓国政府の忠実な子分の韓国人連盟も似たようなもので、
圧倒的優勢だった朝鮮人連盟の活動家達は、
韓国人連盟の支持者達を
 −アメリカ帝国主義者に祖国を売り渡す民族反逆者!
とか、
 ー売国奴(メグンノ)!
とか、
 ー人間白丁(インガン・ペクチョン)!
とか、人権団体が腰を抜かしそうな罵詈雑言を浴びせかけていた。

こういう事情で、
 ー共和国帰国エートス
は、いわば正論のようなものとなり、
これを反対する者は、
 ー反動!
とみなされて、軽蔑の対象になっていった。

勢いづいたのは、朝鮮人連盟だった。
オレ達、在日朝鮮人は、
ー祖国朝鮮の暖かい懐に抱かれなければならない!!
と、真っ赤っかぁ〜の活動家や教員、そして先輩達は、
 ー朝鮮の天皇・金日成
が統治する北朝鮮への
 ー愛国的帰国!
を狂ったように叫ぶのだった。
奴らは決まってこう叫ぶのだ。
 ー4千万人の朝鮮人は、
  偉大な社会主義祖国の建設と発展に寄与しなければならない!!!

ところが、大問題が一つあった。
北朝鮮は、在日朝鮮人の故郷ではないということだ。
インテリの李先輩のアボジによると、
「朝鮮人は、墳墓の地を命の次に大事にする。
 在日朝鮮人の95%以上が、南朝鮮出身であり、北朝鮮は縁も縁もないところだ。
 朝鮮人連盟が、北朝鮮を「ウリナラ(わが国)」と称し、
 大衆に「帰国」を煽動するのは、問題がある」
と、朝鮮人連盟の活動家につめよったことがあると、
李先輩本人から聞いたことがある。

すると朝鮮人活動家は、
「李ソンセン! 何を笑止なことを!
 たとえば、海外に住む九州出身の日本人が、
 異国の血で大変、苦労したが報われず、祖国が恋しくなり、
  ーこの国は日本人を差別して嫌だ!
   すぐにでも日本に帰国したい!
 と決心したと仮定します。
 ただ、出身地の九州には、何らかの事情があって、すぐには帰れない場合があります。
ところが、
  ー北海道ならすぐにでも帰れる! 衣食住もすべて国が保障してくれる!
 となった場合、
ー北海道も懐かしい祖国日本の一部に変わりがない。
とりあえず北海道に帰国し、時期を待って九州に戻ればいいじゃないか!
 と考えればいいわけです。
つまり在日朝鮮人は、共和国に帰国し、共和国を富強な社会主義国家に発展させて
 アメリカの植民地と化している南朝鮮を解放すれば、
 墳墓の地に帰ることができるじゃないですか!」
と自信たっぷりに答えたらしいのだ。

李先輩のアボジは、
(ものすごい論理の飛躍!)
と、ただただ、感心してしまったらしい。
 
まぁ、ざっとこんなわけで、
真っ赤っかぁ〜に燃える人々にとって、
在日朝鮮人を北朝鮮へと運ぶ唯一の貨客船・万景峰号(マンギョンボンホ)は、
 ーノアの箱船
と同じくらい神聖な船だったのだ。

万景峰号が寄港する新潟港は、
エルサレムやメッカと同じぐらい神聖なる港であり、
朝鮮東海(チョソントンヘ。朝鮮学校では「日本海」とは呼ばない)は、
輝かしい未来への希望と幸福を現実のものとする
 ー聖なる海峡
だったのだ。

まさか、
 ー<三途の川>
になるとは、誰も予想もしていなかった。


(4の2の2)

 朝鮮人に変身させられると同時に、
初恋の人=くに子ちゃんと悲しい別れをしたオレの前に、
気になる朝鮮人少女が出現した。
隣の席に座っていた同級生の韓浩子(ハン・ホジャ)だ。

あの辛い登下校の時、
うぶガキのオレにとっての唯一の慰めは、
京Qバスで見かける彼女だった。
彼女は、くに子ちゃんと同じく
 ー笑顔の似合う女の子
で、笑うと、
左右のほっぺたの真ん中に、
可愛いえくぼが、
 ピョコッ
と、できるのだった。

オレは、
月曜日から土曜日までの早朝、
家から14〜5分くらいかけて
やたらと重いランドセルを背負いながら
トコトコ、とことこ
元気なく、うつ向きながら歩いた。
雑色商店街入口というバス停から
蒲田に向かう京Qバスに乗るためだ。

坂本九が絶唱していた
 ー上を向いて歩こう!
とは、
まったく逆の
 ー下を向いて歩くしかない
状態だった。

なにせ、いきなり
 ーお前は、誇り高い朝鮮人だ!
とプロパガンダされるのだから、
うぶガキの頭の中は、
かなり混乱していたからだ。

オレが、うぶガキの頃の東京のバスは、
今とは違い後ろの入口から乗るのが当たり前だった。
「発車! オーラーイ!!」
と、ウグイス嬢のような声が得意なバス・ガールのお姉さんに、
ランドセルの右側に靴ひもで固定されている定期券を
右手でつかんで、
 チラッ
と見せながら乗車し、
右側を
 ちら、チラッ
と見ると、
一番後ろの席に韓浩子がかならず座っていた。

(あっ、いる!)
とご満悦もつかの間、
 チラッ
(はっ!)
クスッ

いつものことだけど、
彼女の隣に座っていた女の子と視線があうので、
急に恥ずかしくなってしまう。
間抜けなオットセイのように、
慌てて首を左側に向けたことが度々あった。
さすがに両手を叩いたりはしなかったけど・・・。

「ホジャ! あの子、いつも、こっちを見てるよ!」
「・・・」
「同級生なの?」
「うん」

後で知ったことだが、二つ上のお姉さんらしい。
オレは、視線が合うたび笑われていたのだ。

この姉妹は、いつも確実に座っていた。
だから、オレは、
(六郷土手に住んでいるのかなぁ)
と思っていた。

オレが乗っていた蒲田始発の京Qバスの終点が、
六郷土手と羽田車庫だったからだ。
7歳ぐらいのうぶガキにとって、
六郷の隣の隣町にあたる
 ー空港のある羽田
という町は、
感覚的にはチベットのようなもので、
アボジやオモニが、
 ー羽田に飛行機を見に行こう!
というのは、
 ー旅行に行こう!
と同じくらいの言葉だった。

朝鮮学校に入学して初めての夏休み。
オレは、一面キャベツ畑だった多摩川下流の六郷土手に、
キャベツを
 ーもらいに
出かけた。
土手一面がキャベツ畑で、
キャベツが腐るほど
 ーおいてある
ので、昔から
 ーもらいに行く
のが、ならわしだったのだ。

5分ほど歩くと土手に着く。
(あっ!)
偶然、韓浩子に会ってしまった。
お姉さんも一緒だ。

 ドキッ!
心臓がとまりそうだった。
「・・・・」
「・・・・」
二人はしばらく無言だった。

すると、お姉さんが、
「トンム! ハ・ミョンジョンって言うんでしょ?」
「イェッ?! イェ〜」
「いつもバスで、ホジャのことを見てるんでしょう?」
「えっ!?(やっぱりバレてたか・・・)」
オレは、青森りんごのように、
真っ赤になってしまった。

「ウフッ、いいのよ、隠さなくても」
「・・・」
「トンム、ホジャのことが好きなんでしょう?」
「ちっ、違う!」
オレは、
 ー恥ずかしさ×38度線=ダッシュ逃亡!
した。

数週間後の日曜日。
オレは、自宅の2階の窓から外をぼんやり見ていた。
(あぁ〜あぁ、土手で会ってから、韓浩子とは、話しづらくなっちゃった。
 それもこれも、あの姉ちゃんのせいだ! 
ーホジャのことが好きなんでしょう?
 なんて言うから、恥ずかしくて話せなくなっちゃったし。
 でも、本当のことだしなぁ〜、ふぅ〜)
とため息をついていると、
荷物一杯のリヤカーが、家の前の道に近づいてきた。

(すごい荷物だなぁ)
当時、リヤカーは、めずらしくなっていたので、注意深く見てしまった。
(ひいているのは、子供かぁ。大変だな、あんな重いものを。あっ!)
韓浩子姉妹だった。

オレは、
(やっ、やばい!)
と何も悪いことをしていないのに、隠れてしまった。
 そっ〜と
のぞいてみると、
姉妹がひきづるリヤカーが、
家の前を通り過ぎようとしている。

オレは、
(韓浩子は、どこに住んでいるんだろう?)
と、俄然好奇心が沸いてしまい、
(よしっ! 後をつけよう!)
と少年探偵団の気分で尾行することにした。

「明宗! どこに行くの? もう少しでごはんよ!」
「ちょっと、そこまで! すぐ帰るから!」

リヤカーに乗せているのは、
(ガラクタばかりじゃないか?)
とガキなりに不思議の国のアリスだった。
と同時に、
韓姉妹がはいているみすぼらしいズボンのようなものに気をひかれた。
(あれは、オモニから聞いたことのあるモンペかな?)
韓姉妹は、リヤカーに乗せた荷物が相当重いようで、
オレの尾行には、まったく気付かなかったようだ。

家の隣の宝泉寺を左に、
寺の裏門前のT磁路を左に、
そしてひたすら直進する姉妹。
40m程歩いただろうか。
韓姉妹のリヤカーは、
京Qバスの南六郷3丁目バス停の手前で止まり、
寂れた鉄の扉を、
 ギギギ〜
と開けて中に入っていった。

(こんなに近いところに住んでたの?!)
オレの家から歩いて4〜5分の場所だった。
走れば2分ぐらいで着く距離だ。

(そうかぁ、韓浩子は、羽田車庫始発の六郷橋まわりの蒲田行きバスに、
 南六郷3丁目から乗っていたんだな!)
オレは、ささいなこととはいえ、
好きな子の秘密を知ることができたので、やけに嬉しかった。

しばらくして韓浩子の家の迄行った。
(ひどい家だなぁ)
ガキながら、
韓浩子の家が
 ード貧乏状態
であることが良くわかる程、みすぼらし家だった。

より正確に言うと、
 ー家と言うには、かなりおこがましい今にも崩れそうなバラック
だった。
トタンや羽子板のようなものを重ねただけで、
(雨が降ったら、どうなるんだろう?)
と心配になってしまった。
土地は広く感じたが、
どこかで拾ってきたようなガラクタが、ところ狭しと山積みにされていた。

ガキの頃の恋は、
赤ん坊の頃、
ネンネする時に母親から聞かされたおとぎ話の延長線上にある。
だから、彼女の家は、
お城とか竜宮城であってほしかった。
いや待て! 
百歩退いて、立派な家であってほしかったのだ。
(これが彼女の家なのか・・・。
 お城どころか、カワダのブロックよりもひどい・・・)
と、ガキなりに、かなりショックだったのだ。

 ワン! ワン! ワン!
「わっ!」
どこからともなく、真っ黒な犬が、
憎しみを込めた凶暴な顔つきでオレに飛びかかってきた。

 ガシャ〜ン

 ワン! ワン! グル、グル、グル〜、ウ〜

オレは、尻餅をついてしまった。
(危なかった)
鉄の扉が楯になったので、助かったのだ。

「クロ! どうした! 誰かいるのか!」
家の中から男の声が聞こえてきた。

 ガラ、ガラ、ガラ
形ばかりの扉が、開く音がした。

(やばい! 逃げろ!)
オレは、何も悪いことをしていないのに、
 ー逃げなければ!
と思った。

きっと、韓姉妹を内緒で尾行し、
 ー韓浩子の秘密
を知ってしまったことに、
ガキなりに、後ろめたさがあったに違いない。


(4の2の3)

あの日以来、オレは、
韓浩子とまったく話せなくなってしまった。
より正確に言うと、
話すどころか、
まともに彼女の顔を見れなくなってしまったのだ。

ケンカ一筋の健全な朝高生になった今、
あの頃を省みると、
(うぶなガキだったんだよなぁ)
と感傷的になる。

さほどひどいことをしたわけではないのに、
(何であんなことをしたんだろう・・・)
と、自責の念にかられてしまった。
韓浩子の家の昭和枯れススキのようなド貧乏状態が、
ガキなりに、かなりショックだったのだと思う。

オレは、
「はぁ〜」
と、ポルジ(じじいを意味する朝高ランゲジー)のように、
深いため息をつきながら、
ただただ、
後悔ばかりの日々を過ごすのだった。

オレの隣に座っている彼女との距離は、
50Cmも離れていないのに、
何kmも離れて座っているような
 ー心の38度線
を感じてしまうのだった。

韓浩子も、
オレのよそよそしい態度を感じてか、
オレと話しずらそうだった。

彼女は、もともと無口なおとなしい子だった。
親の世代の「一世」のように、
自分の話に夢中になって、
うるさくはしゃぎ回る他の女の子とは、まったく違っていた。

彼女は、ひたすら聞き手にまわって、
うなずきながら、
えくぼが素敵な花のような笑顔で、
やさしく、
 ニコッ
と微笑むことで、
相手の心を自然につかむ
花のような子だった。

花の美しさは、
心なごやかな鑑賞者の存在で際立つものだ。
だから、
オレのような鑑賞者では、
彼女のすばらしさを
際立たせることはできなかった。

けれどもオレは、
韓浩子が隣に座っているだけで幸福だった。
 ー同じ教室で、同じ空気を吸っている!
と思うだけで、
ドーパミンが溢れるような、
そんな至高の夢心地だったのだ。

オモニからチウゲ(消しゴム)を買う金をもらっているのに、
わざと買わなかった。
「ハン・ホジャ! チウゲ!」
と、えばりながら、
彼女からチウゲを借りるためだった。

彼女は、いつもやさしかった。
きっと消しゴムを買う金にも苦労しているはずなのに
何も言わないで、
 ニコッ
と微笑みながら、
左手でオレにチウゲを渡してくれた。

その時、かすかに、
オレの右手と彼女の左手とが触れることがあった。
ドキ! どき! DOKI!
オレは、自分の骨皮筋衛門のような胸板から
心臓が飛び出してしまいそうな気がした。

彼女は、はにかみながら、
青森リンゴのように、
頬を赤く染めていた。

けれども、オレと彼女の間には、
 ーチウゲのときめき
以外に何の進展もなかった。
16人しかいない小さな教室の中で、
隣に座りながらも、
会話らしい会話もせず、
ひな人形の殿様とお姫様のように、
お互いを見つめることはなく、
ただひたすら、
黒板だけを見つめていたのだった。


(4の2の4)

数週間後のある日の放課後。
担任の趙先生=元祖ニンニク・パンチのお姉さんが、
胸を張って、
目をうるうるさせながら声高々に言った。

「トンムドゥル!(みなさん)
大変、すばらしい報告があります!」
(なんだろう? まさか結婚でもするのかなぁ?)

「驚いてはいけませんよ!」
(あのいきなり、
 もぁもぁ〜
 と攻めてくる、
 ニンニク・パンチより
 驚くわけが無いじゃないか!)

「いいですか! トンムドゥル!」
(だから、なに?!)

「来月、韓浩子トンムが、
 金日成将軍様が導かれていらっしゃる
 ウリ・サフェジュイ・チョグッ(わが社会主義祖国)、
 朝鮮民主主義人民共和国(チョソンミンジュジュウィインミンコンファグッ)の
 暖かい懐にいだかれる(帰国の意)ことになりました!」
「え〜っ!
 キタ、キタ〜、キタ・チョーセン!」
と言えるわけもない。

オレは、
このニンニクパンチよりも衝撃的な口撃にダメージを受けた。
みぞおちにカウンター蹴りをくらったように、
「う、ウ、うっ」
とうめき声をあげながら、
いつも枕として使っている机めがけ
あたかもパッチギをするかのように、
崩れ落ちてしまった。

真っ赤っかに洗脳されつつあった同級生達は、
毎週見させられている北朝鮮プロパガンダ映画の常連、
 ーピョンヤン学生少年宮殿の不自然なガキ共
のように、
ヤァ〜
と北朝鮮的な感嘆詞で感動の溜め息をつき、
韓浩子の帰国を熱烈に祝賀した。

あの不自然なガキ共のように、
みな一斉に起立し、
あの不自然なガキ共のように真っ白い歯ではなく、
虫歯だらけの黄色に近い歯をむき出しては
埴輪(はにわ)のように口をあけて微笑みながら、
オモチャのサルのように、
 パチ、パチ、パチ
と手を叩くのだった。

オレは、
あたかもKO寸前の実践テコンドー選手が、
あと1〜2秒で立たないと、
主審から一本負けの宣告を受けるので、
それを回避すべく、
残りの体力と気力をふりしぼって、
素早く立ち上がるような感じで、
 ビシッ
と起立し、
あの口撃がウソであることを祈りつつ、
「ちょ、チョンマリンミカ(本当ですか)?」
と、同級生のみんなが、
ビックリするような大声で聞いた。

やはりこのお姉さん、
365日の間、
真っ赤っかに燃えているだけのことはある。
「ハー・ミョンジョン!
 そっ、そんなに嬉しいのですか?
 ヤァ〜! 
 トンムも、
 立派なプロレタリアートの革命的少年に成長してくれたのね!
 あ〜あ、チョ(私)は、
 ウリハッキョ(朝鮮学校の意)の教員として、とても嬉しいわ!」
と、
何を言っても、
 ー金日成&北朝鮮マンセー・モード
なのだった。

「・・・(そんなわけないだろう!)」
オレは、ショックでめまいがした。
対照的に趙先生は、
 キリッ
と姿勢を正しながら、
「金日成将軍様は、次のように教示されました」
と、いつもの低音・金日成バージョンに変身して言った。

「ハナヌン チョンチェルゥル ウィハヨ(一人は、みんなのために)!
チョンチェヌン ハナルゥル ウィハヨ(みんなは、一人のために)!」
「・・・(き、金日成なんて、ど、どうでもいいよ!)」

オレは、意気消沈しながら着席し、
隣に座っている韓浩子を見た。
(?!)
(・・・・)
彼女は、歓喜興奮しているみんなとはうらはらに、
暗い顔をしてうつむいていたのだ。
オレは、何だか無性に悲しくなってしまった。

ところが、
この無慈悲なニンニク・パンチのお姉さんは、
韓浩子の悲しげな表情にまったく気付いていなかった。
それどころか、
 ードーピングをしてるんじゃないか?
と思わざるを得ないほど、
興奮しまくっていたのだ。
真っ赤っかに燃える朝鮮人は、
 ー金日成&北朝鮮マンセー・モード
になると、
ドーパミンが脳内に溢れ、
目に見えるすべてのものが、
 ー地上の楽園
に見えるているようだった。

「トンムドゥル!
 韓浩子トンムは、輝かしい未来を約束されて共和国の暖かい懐に抱かれるのです!
 しかし、これは韓浩子トンムだけの喜びではありません!
 金日成将軍様の教示どおり、
 ここにいる同級生みんなの喜びなのです! 
 わかりますね! トンムドゥル!!」
「イェー!」
「イェー!」
「イェー!」

オレは元気のない韓浩子が、
気になって仕方がなかった。
彼女のために盛り上がっているに、
彼女は、一人、盛り下がっているのだ。

「トンムドゥル!
 韓浩子トンムは、これから帰国のための準備で、大変、忙しくなるでしょう。
 学校に来れなくなるかも知れません。
 そこで、急ですが、今からこの教室で送別会を開きたいと思います。
 お菓子やジュースは、先生が全部準備しておきました!
 もちろん、お金は必要ありません。
 ウリ・チョソンサラムン(私たち朝鮮人)は、
 モドゥタア チンヒョンジェ(すべてが親しい兄弟)なのですから。
 いかがですか? トンムドゥル!」
「イェー!」
「イェー!」
「イェー!」

急な送別会だったが、
ジュースやお菓子がタダで食べれるとあって、
同級生達は皆上機嫌で、盛り上がっていた。
元気がないのは、
あいかわらずオレと韓浩子だけ。
(これじゃ、いったい、
 誰のお祝い何だかわからないじゃないか・・・)

「トンムドゥル!
 暖かい社会主義祖国の懐に抱かれる韓浩子トンムの前途を祝して、
 皆で『セサンヘ プロムオッソラ』を合唱しましょう!
 チョッスンミカ(いいですか)?」
「イェー!」
「イェー!」
「イェー!」

「イロソッ(起立)!」
「イェー!」
「イェー!」
「イェー!」
 ビシッ、ビシッ
この頃になると、
真っ赤っかプロパガンダ教育の成果が出て、
みな抗日パルチザンのような
勇ましい起立ができるようになっていた。

趙先生が、
あの恐ろしい口を開け、
指揮者のよう左右の手を上下左右にふりながらハモった。
「ハヌルン プルゴ〜、
 シ〜ジャッ(始め)!」

 ハヌルン プルゴ(空は青く)
 ネマウン チュルゴプタ(わが心は楽しい)
 ソンプングン ソリ ウルリョラ(アコーデオンの音よ高らかに響け)
 サランドゥル ファモッカゲ サアヌン(人々が幸せに暮らす)
 ネチョグッ ハノップシ チョンネ(わが祖国は、とてもすばらしい)
 ウリヘ アボジ キミルソン ヲンスニム(われらのお父様、金日成元帥様)
 ウリヘ チブン タンヘプン(わが家は、労働党のふところ)
 ウリヌン モドゥタア チンヒョンジェ(われわれは、すべてが親しい兄弟)
 セサンヘ プロン オッソラー(世の中にうらやむものはない)

この歌は、朝鮮学生が、
 ー朝鮮人であることに幸せを観じた時
だけ全員で心を一つにして合唱しなければならない
 ー北朝鮮・地上の楽園プロパガンダ洗脳成功定番ソング
だった。
メロディを聞くだけで、
涙ぐむ奴もいるほど赤い名曲なのだ。

担任や同級生達が、
朝鮮人であることに無上の喜びを感じつつ
目をウルウルさせて
肩を左右に揺らしながら、
一生懸命歌う最中、
オレは、ただ一人、
韓浩子を見つめていた。
彼女は、終始、無言で、うつむいていた。

(韓浩子は、どうしたんだろう?
 身体の具合でも悪いのかな?)
オレは、彼女が心の底から心配になると同時に、
(彼女が、この教室に二度と戻らないなんて。
 それどころか、六郷から、東京から、日本からいなくなるなんて・・・・)

この予想もしなかった衝撃的な事件を
現実として受け入れることは、
まだまだ青いトウガラシだったオレには、
とてもとても、
できなかったのだ。


(4の2の5)

オレは、下を向いて歩いていた。
(韓浩子が、朝鮮に行っちゃう・・・)
東Q電車に乗ったのか、京Qバスに乗ったのか、
あまり覚えていない。
いつの間にか自分の家に着いていたのだ。

「おかえり!」
「・・・・・」
「まっ! この子ったら。挨拶ぐらいちゃんとしなさい!
 何のために朝鮮学校へ行ってるの!」
「・・・・・」
(どうしたのかしら?)

オレは、
ほとんど勉強には使っていない机の上にランドセルを置き、
アボジがどこかでもらってきた古びた木製のイスに座った。

(韓浩子が、朝鮮に行っちゃう・・・)
机の横には、まともな本なんて一冊も置いてないさびれた鉄製本棚がある。
セントラル大学法学部出の真っ赤かっか〜に燃えている兄のおふるだ。
マンガ本以外に本棚に置いてあるのは、
両手を勇ましく挙げている鉄人28号の陶製貯金箱だけだった。

オレがウブガキの頃、
キリンビールの空き瓶を池田酒店に持って行くと15円くれたので、
家に置いてあったり、近所に捨てられていた空き瓶を拾っては、
せっせ、せっせ
と酒屋に運んで金をもらい、
そのジャリ銭を鉄人28号の背中に入れて貯めていた。
高くて手が出なかったミヤタのプラモデルを買うためだった。
だから家に帰ってイスに座ると、
(もう、だいぶ貯まったかな〜)
と鉄人28号をウットリ見るのが習慣になっていた。

ところが、
(韓浩子が、朝鮮に行っちゃう・・・)
と思いつつ、
いつもの通り、鉄人28号を見ると、奴の赤い両目が、
オレをバカにして睨んでいるように見えてしまった。

やはりオレも、朝鮮人だけのことはある。
(こいつ! オレにヌンチしてるのか!?)
オレは、カッとなってしまった。
「クソっ!」 
怒りがこみ上げてきたオレは、
衝動的に右手で右側の一番下の引き出しをあけ、
右手でハンマーを取り出し、
「イノムセッキ!(この犬畜生野郎)」
と「一世」の怖いオジさん達の乱闘時の口癖を真似ながら、
鉄人28号に八つ当たりの一撃をくらわせたのだ。

 ギャッ、シャ〜ン
もの凄い音とともに、
 ジャラ、ジャラ、ジャラ
と10円玉や5円玉が部屋中に散乱した。
(はっ?! やっちゃった〜)
「どうしたの?! いったい何の音!」
オモニが慌てて飛んできた。
「あら! 貯金箱、壊しちゃったのね。
 でも何て乱暴なやりかたなの。もう少し考えて壊せばいいのに」
オモニは、ぶつぶつ言いながら、ほうきとちりとりを取りに行った。

オレは、バラバラになってしまった鉄人28号の残骸を眺めながら、
(こんなことしている場合じゃない!)
と、我に返った。
(はやくしないと韓浩子がいなくなっちゃう!)

オレは、オモニを追いかけて叫んだ。
「オモニ! 缶カラ!」
「えっ?! 何につかうの? 缶カラなんて」
「いいから! はやく!」
「まっ! それが親にものを頼む言いぐさなの」
「早くしてくれ!」
「目上の人に対する礼儀を朝鮮学校で習わなかったの?」
「そんなもん知るか! はやくだせ!」
オレの目は興奮して血走っていた。
さすがにオモニもたじろいだようだった。
「生意気な子ね!
 親に似て言い出したら聞かないんだから。
 ほらそこ!
 お茶のがあるわ。それを使ったら」

オレは、数えている時間が惜しかった。
  ジャラジャラジャラ〜
ジャリ銭を鷲つかみにし、
缶カラに溢れる寸前まで流し込んだ。
パコ
ふたを閉めると、
急いで家を飛び出した。

オレは、ダッシュした。
ジャリ銭のつまった缶カラを、
リレーのバトンのように振りながら、
がむしゃらに走ったのだ。

「はぁ、はぁ、はぁ〜」
息が切れて両手を膝の上につくと、
目の前は加藤文具店だった。

「いらっしゃい!」
「この店で一番高いチウ、いや、消しゴム下さい!」
「えっ?! 一番高い消しゴム?」
「うん! おじさん! 急いでるんだ! 一番高いのをこれで売ってくれ!」
オレは、缶カラを突きだして言った。

「う〜む、そう言われてもねぇ〜」
「早くしてくれ!」
「坊ちゃん。事情はわからないけど、
 高い消しゴムなんて、うちにはおいてないんだよ。
 せいぜいマンガの画が描いてあって、その分高いものしかないんだよ」
「じゃぁ、それでいいから。それ下さい!」
「まあまあ、坊ちゃん、慌てなさんな。
 それって言われても、種類が結構あってね。
 いったい何に使うんだい?」
「大事な友達が、行っちゃうんだ」
「どこに?」
「チョウ・・」
「ちょう?」

オレは、この頃になると、
 ー朝鮮人だとわかると態度が変わる日本人の大人
に不信感を持つようになっていた。
だから、とくに誰かに教わったわけではないが、
 ー朝鮮
という単語を日本人との会話では使わないようになっていた。

「ちょっ、ちょっと場所までわからいけど、
 急に遠くに引っ越すことになったらしいんだ」
「なるほど。仲の良い友達が、急に転校してしまうのかい!」
「そっ、そうなんだ!
 だから急いでいるんだ! 明日にはいなくなっちゃうかも知れないんだ!」
「そうかい、そうかい。
 それにしても、偉いね、坊やは、友達想いで」
「おじさん! はやくして!」
「まあまあ。事情はわかったけど、その友達というのは、男なの女なの?」

ドキッ!
オレは心臓が止まるかと思った。
急に恥ずかしくなってしまい、
ペルゲンイでもないのに、顔が真っ赤っか〜になってしまった。

「はは〜ん。なるほどねぇ」
おじさんは、すべてお見通しのように、目を細めながら言った。
「よし! おじさんが、坊ちゃんの大切な人のために、
 とびきりいい消しゴムを選んであげよう! ちょと待ってな!」
と言うや、後ろに振り向き、大声で叫んだ。
「お〜い! かあちゃん! 聞こえるか!」
「はあ〜い!」
おばさんが、エプロンで手を拭いながらやってきた。

「姪っ子にプレゼントするためにアメリカから取り寄せた舶来の文房具セット。
 ほらっ、何てったっけ、難しい名前の遊園地の、
 デ、デ・・ストロイヤー?!、
 あっ、そりゃ力道山のライバルか。
 えっと、ねずみのお化けで口と目がやたらとでかい奴、何てってたっけ・・・」
「ディズニーのミッキーのこと」
「そっそうそう、それそれ!
 その大ネズミの消しゴムがあったろう」
「ええ、あるけど」
「それをこの坊ちゃんに譲ってあげたいんだ」
「えっ!? 姪っ子の誕生日にあげるからって、
 わざわざ高い運賃を払ってアメリカから取り寄せたやつをかい? この坊やに?!」
「まぁ、いいからいいから。全部とは言わないよ。消しゴム・セットだけでいいんだ」
「でも、あんた」
「いいから黙ってオレ様の言うとおりにしろや。
 この坊やの大切な恋人が、遠くへ引っ越しちまうんだとさ。
 いい話しじゃねえか! 日本の子供もまだまだ捨てたもんじゃないぜ!」
(日本の子供・・・)
「まぁ、そうなの。そういう事情なの。わかったは。坊や、ちょっと待っててね」

おばさんは、大きなネズミが服を着て、口をあけて笑っているマンガが、
プリントしてある色とりどりの消しゴム・セットをくれた。
「これはね。アメリカのディズニー・ランドという遊園地で人気のある
 ミッキーというネズミよ。知ってる? 坊や」
「えっ、ええ、ちょっ、ちょっとだけ、しっ、知ってます」

オレ達、朝鮮学校の生徒は、
校長先生から
 ー狡猾なアメリカ帝国主義者(米帝。ミジェ)の手口
という題名の講演を聴かされていた。
校長先生は、二つの歯ブラシをオレ達に見せながら言った。
「トンム達! この二つの歯ブラシは、まったく同じものです。
 もとの値段は、5円もしませんし、お店で買っても20円もしません。
 しかし、この同じものに、奇妙な絵を描くだけで、100円で売ろうとする。
 これが狡猾なミジェのあくどい手口です。
 奴らは、マーケティングと称していますが、騙されては行けません!
プロレタリアートから金を巻き上げようとする革命の敵=資本家の詐欺的手口です。
 ですからトンム達! 
 賢明な朝鮮学生は、ミジェとその真似をする日帝(イルチェ)に騙されないように!」
とプロパガンダされていたので、大いに戸惑ってしまった。

「坊や! これなら恋人もきっと喜んでくれるよ!」
「そうね! おばさんも嬉しいわ!」
とやさしいおじさんやおばさんに言われれば、
「はっ、ハイ」
と答えるしかなかった。

「それじゃ、この缶カラを代金としてもらうけどいいかな?
「どっ、どうぞ」
オレは右手で差し出した。
おじさんは、受け取ると
パカッ
缶カラのふたをあけ、
 ニヤッ
と微笑みがら、中身をおばさんにみせた。
「あらっ、10円玉と5円玉ばっかり。これじゃぁ、たぶん足りないわね」
「まぁ、いいじゃねえか。この坊やの純情に免じてさぁ」
「そうね。わかったわ」
(いい人達だな・・・)
オレは、ガキなりに感動してしまった。

「さぁ、急いでいるんだろ。はやく行きな」
「ハイっ! おじさん! おばさん! 本当に、ありがとうございます!」
「う〜む、礼儀正しい子だね。
 この頃、学生運動とか称して共産主義にかぶれる若い奴らが多いが、
 こういう昔ながらの子供がいると、日本人も、まだまだだいじょうぶだな。
 なぁ、そう思わないかい。お前!」
「ええ、そのとおりだわ」
(日本人・・・)

「ところで坊や。名前をまだ聞いていなかったね」
 ドキッ
「そうね。坊やは何て名前なの?」
 ドキドキッ
「・・・」
おじさんは、不思議そうな顔をしておばさんの顔を見た。

「・・・(はやく言わないと、まずい)・・・は、ハっ、ミョ、」
「はぁ?!」
「はっ、はじめまして河田明宗(かわだ・あきむね)です」
「ほ〜う、河田君か、良い名前だね」
「さぁ、明宗君、はやくお友達のところへ行ってあげなさい。
 おばさんも応援しているから! がんばってね!」
「ありがとうございます。さようなら」
オレは、90度角度のおじぎをして、その場を逃げるように走り去った。

オレは、加藤文具店を離れることで内心ホッとしたが、
それと同時に、何だか自分が嘘つきのようで、後ろめたい感じがした。
韓浩子の家に向かって走りながら、
(日本人の大人は、日本人の子供にはやさしいけど、
 朝鮮人の子供には冷たいからな・・・)
と自己弁護をしつつ、
(あのおじさんやおばさんも、
 オレが朝鮮人だと知れば、あんなに優しくはしてくれなかったかもな・・・)
と悲しみがこみあげてくるのだった。


(4の2の6)

気づいてみると、オレは、
韓浩子の家の前に立っていた。
ガキながら、
(ひどい家だなぁ)
と彼女の
 ード貧乏状態
に同情してしまった。

(あれ?!)
オレは、異変に気づいた。
興味本位で韓浩子を尾行し、
初めてここに来た時、
ところ狭しと山積みにされていたガラクタが、
きれいさっぱり、
跡形もなく消えていたからだ。
土の色が、
油で黒ずんでいたり、
鉄の錆で、あるところは赤黒く、
あるところは澱んだ茶色になっていた。

広々とした土地の片隅に、
継ぎ接ぎのトタンでできているバラックが、
侘びしそうに建っている、
というよりは、
申し訳なさそうに、ポツンと残っていた。

(きっと、いつでも朝鮮に帰れるように、
 韓浩子のアボジが、ガラクタを捨てたのかも知れない・・・
 やっぱりいなくなってしまうんだ、韓浩子は・・・
 いったい、いつだろう? )
と、別れの日を予想すれば予想するほど、
悲しみがこみ上げてくるのだった。

グル、グル、グル〜、
 ガシャ〜ン
「わっ!」
ワン! ワン! ワン!

変わっていないのは、
この生意気な真っ黒な犬だけだった。
こいつは、オレが、これほど悲しんでいるのに、
相変わらず憎しみを込めた凶暴な顔つきで、
鉄の扉に飛びつき、
オレを襲うのだった。

 ワン! ワン! 
 グル、グル、グル〜、ウ〜

オレは、最初の時と同じように、尻餅をついてしまった。
(イ〜、ケーセッキ!)
やはり、こいつとは、相性が悪い。

「クロ! どうしたの!」
聞き覚えのある声だった。
 ガラ、ガラ、ガラ
形ばかりの扉が、開くと、
中から韓浩子が出てきた。

「あっ! ハ・ミョンジョン!?」
「・・・・・・」
オレは、会釈することもなく、
ただ無言で、ぶっきらぼうに突っ立っていた。

 ワン! ワン! ワン! ワン!
(この野郎! 調子に乗ってやがる)
この黒犬は、飼い主のご機嫌を取るため、
オレに対しては勇ましく、
彼女に対しては、楽しそうに、しっぽをふりながら、
 ワン! ワン! ワン! ワン! ワン! ワン! ワン! ワン!
と、吠えるのだった。

オレには、凶暴な顔つきで、
 グル、グル、グル〜、ウ〜、
韓浩子には、愛くるしい顔つきで、
 シッポふりふり、ク〜ん、ク〜ん、ク〜ん。
レコード針が飛んで、
同じところを繰り返す壊れたレコードのように、
こいつは果てしなく同じことを繰り返している。

「てめえ! さしずめチュチェ無しだな!!」
「えっ?!」
「はっ、いや、違うんだ。え〜と、その〜」
 グル、グル、グル〜、ワン! ワン! ワン! ワン!
「クロ! 静かにして!!」
(こいつは、クロというのか。ほぼそのまんま)
ク〜ん、ク〜ん、ク〜ん

「ハ・ミョンジョン、どうしたの?」
彼女は、怪訝そうな顔をして鉄格子に近づいてきた。
「あっ、いや、その〜」
「・・・・・」
「・・・・・」
二人は、いつものように、無言だった。
多少違うのは、お互いの顔を正面から見ていることだった。
やがて彼女の怪訝そうな顔が、
悲しそうな顔に変わるのがわかった。

オレは、覚悟を決めた。
「ハン・ホジャ!」
「えっ?! なに?」
「こっ、これっ!」

オレは、鉄の扉の隙間から、右手を突き出し、
加藤文具で譲ってもらったチウゲを差し出した。
「これは、なに?」
「いいから!」
「えっ?」
「あげる!!」

オレは、鉄の扉の隙間から、左手を突き出し、
彼女の右の手首を思いっきりつかんで、引っ張った。
「痛い!」
「あっ、ごめん」
オレは、慌てて左手の力を抜き、
彼女の手のひらに、右手を近づけ、
押しつけるようにチウゲを渡した。

オレの両手と彼女の右手とが、重なり合った。
ドキ! どき! DOKI!
オレは、いつもの学校でのやりとりと同じように、
自分の骨皮筋衛門のような胸板から
心臓が飛び出してしまいそうな気がした。

「これは・・・」
「・・・・・・」
オレは、初めて彼女の顔を正面からみた。
「・・・・・」
「・・・・・」
ただただ無言で、彼女の右手を強く握りしめていた。

「ハン・ホジャ、アンニョン(さようならの意)」
「・・・・・」
オレは、彼女の手を離すと、
逃げるようにして走り去ってしまった。

鉄屑屋・河田商店は、
いつものように静かだった。
うるさくなるのは、
青山さんとかの「一世」や
朝鮮人連盟や韓国人連盟の活動家が、
アボジに議論をふっかけに来るときだけだった。

オレは、無言で家の扉を開けた。
「・・・・」
 ガラガラガラ
「おかえり! 明宗!!」
「・・・・」
「どうしたの?」 
「・・・・」
「何かあったの?」
「うっ、うっ、うっ・・・・」
オレは不覚にも、
オモニの胸に飛び込み泣いてしまった。

出すものを全て出し切ったオレは、
気持ちが落ち着いたのか、
あるいは、
誰かに自分の心情を聞いてもらいたかったのかはわからないが、
事情のすべてをオモニに打ち明けた。

「同級生の韓浩子が」
「あぁ、西原さんの家のことね」
オモニは、彼女の家の通名で呼んだ。
「万景峰号で朝鮮に帰ってしまうんだ。だからオレは・・・・」
「・・・・」

オモニは、やさしく微笑んで、オレの話を黙って聞いてくれた。
どうやら、オレが、くに子ちゃん以来の恋心を
彼女に抱いていることも、
うすうす感づいたようだった。
だからかも知れないが、
 ーよ〜くわかるわ、明宗の悲しみが。
とオレの言葉にいちいち相づちを打って、うなずいてくれた。

オレ自身、話しながらも、
(一体、オレは、オモニに何を言いたいんだ?)
とガキなりに、
 ー自分がおかしい
ということは、
十分わかっていたけど、
ベラベラ話さないと落着かない心境だったので、
自分の感情にすなおにしたがうことにした。

オレの話が終わると、
オモニは、やさしく微笑みながらも、諭すように言った。
「明宗、今からオモニの言うことをよ〜く聞きなさい。
 西原さんの家は、日本人に騙されたのよ」
「えっ?!」
「騙されたから、六郷の家にいずらくなったのよ。
 だから朝鮮に帰ろうとしているの」
「オモニ! どういうことなの?」
「明宗には難しことかも知れないけど、
 お前が大きくなっても、
 朝鮮や韓国に帰らないで日本に住むのなら、
 今からオモニの言う話をよ〜く聞きなさい」
「・・・」

オモニが言うには、
西原さんは、
 ー自分の家の周りの日本人から差別されていた、
らしい。
理由は、 
「チョーセン人だから。
 いつも悔しい思いをしていたのよ。西原さんは」
「・・・」

ところがある日。
西原さんの家の隣の住居付き空き工場に
新しい住人が引っ越してきたらしい。

「それがね。プレス屋さんでね。
 朝から晩までうるさかったのよ。
 借りたばかりで、一生懸命働かないとね、
 つぶれちゃうから、寝る間を惜しんで働いたらしいの」
「・・・」

近所の人は、大迷惑だったそうだ。
「だけどね。ここは工業地帯だから、文句は言えないのよ」
「・・・」

「それにね。
 日本人は、自分が先頭に立って憎まれ役になるのを嫌がるから、
 しばらく様子を見ていたらしいの」
「・・・」

けれども、誰も文句を言わないので、プレス屋は調子に乗ったらしい。
それこそ朝早くから夜遅くまで、
 トンテンカン! トンテンカン!
と騒音をまき散らしたのだ。

「それでね。我慢の限界」
「げんかい、って?」
「ええっとね。
 そうそう我慢ができなくなったのね。周りの日本人は。
 それで、みんなで相談したらしいのよ。近所の人間が集まって。
 ーあのプレス屋をやめさせるには、どうしたらいいかって」

「オモニ。それと韓浩子のアボジとがどういう関係なの?」
「いいから、話は最後まで聞きなさい。お前のためになるから」
「・・・」

オモニの口から出た難しい言葉はわからなかったが、
オレが理解できたのは、
 ー西原さんは、日本人に利用された、
ということだった。

「あの連中はね。
 いつもは差別して見下していた西原さんをおだてたのよ」
「おだてるっ、て何?」
「ええと、そうそう、ほめちぎるのよ」
「ふ〜ん、でもどうしてなの? 
 チョーセン人をバカにしてたんでしょ。
 韓浩子の近所の人達は」

「そうなのよ! 明宗はかしこいわね!」
「かしこい?」
「う〜ん、頭がいいってことよ」
「へぇ〜、かしこいって、言うんだ。頭がいいことを」

朝鮮学校では朝鮮語の他に、
朝鮮の地理や金日成の革命歴史等を学ばなければならなかったので、
外国語扱いだった日本語の授業時間数が極端に少なく、
日本語の語彙が不足していたのだ。

「どういうふうにおだてたかというとね。
  ープレス屋の騒音を解決できるのは、行動力のある西原さんしかいない!
 と、ほめちぎったのよ」
「ふ〜ん、
 でも、ほめられたら良い気持ちになるんじゃないの? 大人でも」
「そうなのよ! 
 明宗の言うとおり、西原さんは、喜んじゃって喜んじゃって。
 普段、バカにされていると思っていたのに、
 みんなから頼りにされている、
 と感激して、その気になってしまったのよ」
「その気って?」
「プレス屋をやっつける気になったということよ」
「ふ〜ん」
「問題はね。朝鮮人は、一本気だから、
 手加減しないで、やりすぎる癖があるのよ」
「・・・」

オモニが言うには、
韓浩子のアボジは、隣のプレス屋とケンカ腰で闘ったそうだ。
そうしながら、大田区役所にも怒鳴り込みにいって、
 ー騒音公害をなんとかしろ!
と役人をけしかけたらしい。
それだけじゃない。
隣のプレス屋の3社しかないお得意さんをみつけて、
 ーお前の会社は、騒音公害を平気でまきちらす
  ろくでもない下請けに仕事をだすのか!
と怒鳴り込みにいったらしい。
これが効いたそうだ。
プレス屋は、お得意さんからの仕事が減ってしまい
開業間もなかったので、他に客もなく、
結局廃業するはめになったそうだ。

「西原さんは、得意絶頂だったわ」
「とくいぜっちょう?」
「ええっとね。勝ったから、えばったってことよ」
「ふ〜ん」
「でもね。明宗、ここからが重要なの」
「・・・」

オモニが言うには、
プレス屋を廃業に追い込んだ韓浩子のアボジは、
近所の日本人に知らせにいったらしい。
一応、その場は、
みんなが、
 ーありがとう! 西原さん!
とか、
 ーさすがは、西原さんだ! 男の中の男だ!!
とホメ殺しをされたらしい。
当然、韓浩子のアボジは、喜んだそうだ。

「だけどね。あの連中は、汚いのよ。
 西原さんから報告を受けたその日に、
 西原さんには内緒で、プレス屋の家に見舞いに行ったの」
「どうしてなの? 嫌っていたんでしょう。うるさいから」
「そうなのよ。だけどね。それが日本人のずるいところなのよ」
「・・・」
「プレス屋に、
  ー隣の西原はチョーセンだから人情がない、
 とか、
  ーチョーセン人は、ひどいことをする
 とか、
ーチョンは、やりすぎる、
 と悪口をいいふらした後、
  ーわたしらは、ぜんぜん知らなかった、
 って、ぬけぬけと言ったらしいわ」

オモニが言うには、
プレス屋も、さすがにバカではないから、
近所の連中の話をすべて信じたわけではない。
けれども、
 ー自分を廃業に追い込んだのは、チョンだ!
と言うことが、
とても自尊心を傷付けたらしく、
近所の連中と手を結んで、
 ーチョーセンをこの街から追い出す!
復讐を誓ったらしい。

近所の連中も、もともと朝鮮人が嫌いだから、
 ーウェルカム!
だったらしい。

こうして韓浩子のアボジは、
 ー村八分状態
になり、六郷にいずらくなった。
「まんまんと、日本人に利用されるだけ利用されて、
 最後はあっけなく捨てられたのよ。西原さんは」
「・・・」

この話を聞きつけた地主が、
 ーしめしめ
と思い不動産屋を通じて、
 ーそういう人情の薄い人間には、土地を貸したくない!
と借地の更新を断ってきたらしい。

「西原さんは、地主と闘えば良かったのよ。
 借地の法律があるんだから、負けるわけがないのに」
「闘わなかったの?」
「ええ。
 近所の連中に裏切られたのが、かなりショックだったらいしわ。
  ーもう、日本人が信じられない、日本には住みたくない、
 って言ってたわ。嫌になったのね。日本が」

韓浩子のアボジは、すぐ朝鮮人連盟大田支部に相談した。
ちょうど、キャンセルが出たので、
すぐ帰国船に乗れることになったらしい。

「朝鮮人連盟も抜け目がないわ。
 西原さんの地主と交渉したらしいのよ。
  ー正当な立ち退き料をはらえ!
 って。
 地主は、相場より安かったので、払ったらしいわ。
 それをね。すべて寄付させたのよ。西原さんに。
 愛国愛族事業だとか言ってね。
 ペルゲンイの手口よ。
 朝鮮に帰国する貧乏な朝鮮人から寄付金を巻き上げるのは」
「・・・」

オレには難しすぎてよくわからなかった。
だけど、最後にオモニがはいた言葉だけは、今でも忘れられない。
「日本人は、朝鮮人を心の底では見下していて差別しているのよ。
 それなのに自分が憎まれたくないから、
 都合の良いときだけ朝鮮人を利用するのよ。
用がすめばお払い箱。
 だからね。明宗。
 大人になったらお世辞やおだてる日本人を信じてはダメよ。
 西原さんと同じひどい目にあうから。
 それに、先頭をきって目立つことをしてはダメよ。
 かならず後で復讐されるから」

オレは、
(それじゃ、韓浩子が可哀想だ)
と思うと同時に、
(彼女が朝鮮に行って会えなくなるのも、
 すべて朝鮮人をバカにする日本人のせいだ!)
と思った。

「ハ〜! ミョンジョン〜!!」
「えっ?!」
聞き慣れた女の子の声だった。
(あの声は!!)

オレは慌てて家の外に出た。
(やっぱり!)
家の前には、韓浩子がいた。
(あれ? クロもいる)
彼女は、オレと相性の悪い犬を連れてきたのだ。
(いつもよりおとなしいなぁ)

「ハ〜・ミョンジョン。
 さっきはありがとう。可愛いチウゲをくれて」
「・・・」
「なにかお礼がしたいけど、
 チョはお金がないのでお返しができないわ」
「いいよ! そんなの!!」
オレは、なぜだかわからないが、興奮して答えた。

「ううん。このままじゃ気が済まないの。
 だからハ〜・ミョンジョン、
 この犬をもらってくれないかしら」
「・・・(え〜! それは嫌だなぁ〜)」
 くう〜ン くう〜ン
クロもうすうす
自分がどういう状況なのかを理解しているようだった。

「この犬はクロというの。シェパードと秋田犬の雑種なの」
「・・・」
「子犬の時からチョが面倒をみてきた大切な犬なの」
「・・・」
「だから、ハ〜・ミョンジョンにもらってほしいの」
「・・・」
「いい?」

オレは断れなかった。
黙ってうなずいてしまった。
「ありがとう!」
彼女は、クロの首輪の縄を鉄の扉の門にしっかりと巻いた。

韓浩子とオレとは、
正面を向いたまましばらく無言で向かい合った。
「・・・」
「・・・」
オレは、何も言えなかった。
オモニから聞いた彼女のアボジの話に、
ガキなりに釈然としないものがあり、
ひっかかっていたのだと思う。

数分後、彼女が静かに言った。
「チョは、本当は帰りたくないの。
 貧乏でもいいの。
 このまま日本で暮らしたいの」
「じゃぁ! 日本に残ればいいじゃないか!!」
それが精一杯の言葉だった。

「そういうわけにはいかないの。
 あの強くて怖かったアボジが、
 泣きながら
  ー日本からはやく出て行きたい!
 と叫ぶのよ・・・
 もう、どうしようもないわ」

彼女の寂しそうな後ろ姿が、徐々に離れて行く。
オレの目から、自然と涙が溢れてきた。
「・・・・・(ハン・ホジャ!)」

オレは、
ガキなりに気の利いた別れの言葉を
一言でも言いたいと思ったが、
なかなかできなかった。
気づいてみると、
ペルゲンイでも無いのに起立して歌い始めた。

「ハヌルン〜 プルゴ〜
 ネマウン チュルゴプタ
 ソンプングン ソリ ウルリョラ〜
 サランドゥル ファモッカゲ サアヌン
 ネチョグッ ハノップシ チョンネ〜」

近所もびっくりするような大声だった。
彼女が歌に気づいて立ち止まり、
振り向くと右手を大きくふって言った。
「ハ・ミョンジョン! タシ、マンナジャ〜!!(また会おうね)」
これが彼女の最後の別れの言葉となった。

「セサンヘ プロン オッソラ〜
 ハン・ホジャ〜!
 アンニョン! タシ、マンナジャ〜!!」
オレも右手を大きくふった。
不覚にも、オレの右目から熱いものがこみあげてきた。

「アッ、ウヲオォ〜オ〜ン!」
飼い主に捨てられることになったクロも、
空を見上げて泣いていた。
オレとクロとは、同じ悲しみを共有する同士になったのだ。
こうしてオレのセカンドラブは、終わった。