『小説朝鮮高校物語ー士官大「天長節」新宿決戦』 第1部朝鮮高校青春グラフティー


第イル章 ロード オブ ザ朝鮮高校


<セッ>バイオレンスの洗礼


(1)
(2)
(3)

流石はネット小説だけのことはある。
オレは、早漏のような速さで、
 ーうっ!
という間に朝中3学年生(サマンニョンセン)に成長した。

3年間通う朝鮮中学校では、伝統的に男は五分刈りだった。
同じ敷地内の同じ建物の中にある朝鮮小学校を卒業すると、
1週間以内にバリカンで坊主頭にされるのだが、
とくに嫌がるトンチャンセン(同級生)はいなかった。

オレ達の頭は、
真っ赤っか〜に燃える北朝鮮の
 ーオボイ!(父の最上級敬称。国父に近いニュアンス) 
  スリョンニム!!(首領様)
から送られてくる
 ー成長不良の小さな虫入りリンゴ
のように、
あお〜く、アオク、青くなるわけだ。

右手で自分を坊主頭をさすりながら、
ークシャン!
と、くしゃみをしながら、
同級生達と目と目が合い
ちょっぴり照れるわけだが、
恥ずかしいとは思わなかった。

ソンベ(先輩)達同様、
坊主頭になることは、
 ー憧れの強い朝高生
に成長するための
通過儀礼のような感じがしたからだ。

ところが、思春期真っ盛りの3学年生になると
色気が出て多少なりとも髪をのばそうとする。

しかし、そうは問屋は38度線。
大田朝鮮中学には、
ヤクザ顔負けの暴力教師、
 梁鉄拳(リャン・チョルゴン)
という悪魔がおり、
オレ達のささやかな夢を粉々に打ち砕くのだった。

梁鉄拳は、
テカテカのオールバックで、
医者でもないのに、
いつも白衣を着ながら校内を巡回し、
少しでも髪が伸びている男子生徒を見つけると、
低音で響き渡るゴリラの雄叫びのように
「イバン!(違反)」
と、怒鳴る。
しかも獲物をみつけた妖怪のように
 フッ! ふっ! FU〜
と不気味な笑みをこぼしながら、
問答無用で、男子生徒の首根っこを鷲づかみにし、
リカシル(理科室)に拉致した。

校長室より4倍は広いリカシルは、
犬や猫、鳥やへびとかの剥製が陳列されている
生物や理科の実験室だった。

梁鉄拳は、
 ー生物や理科の先生
で得意技は、
まな板にのせた
 ーかえるの解剖
だった。

奴は、哀れなかえるを
 ヒッ! ひっ! Hi〜
と楽しそうに切り刻むのだった。
目を輝かせながら、
右手でピンセットをもち、
「トンムドル! これが心臓インミダ」
と、
 ドクどくドクどくドクどくドク
と、
不気味に動くものを取り出しては、
「ほ〜ら、よ〜く動いているだろう〜」
と悪魔が来たりて笛を吹くのだった。

かえるののびきった白い足をつまんでは、
「ここらへんは、唐揚げにするとなかなかうまい」
と言いながら、
生徒の顔を見渡し、
青白い顔している奴を見つけては、
 ヒッ! ひっ! Hi〜
と不気味に笑いながら殺し文句を吐いた。
「どうだ食べてみるか? マシイッタ!(おいしいぞ)」

梁鉄拳による、
このあまりにも残酷な解剖に、
気の弱い奴は、失神してしまうのだった。

オレ達は、
奴のこういう悪魔の所行を知っているため、
 ーこいつは、かなりヤバイ!
と恐れていた。
生徒だけじゃない。
他の教員達はもちろん、
校長やキョムジン(教頭とほぼ同じ)も、
触らぬ神に祟りなし状態だった。

こういうわけで、リカシルは、
いつの間にか、
 ー大田朝鮮中学のフィクサー・梁鉄拳
に私物化され、
奴だけの憩いのオアシスに変貌していた。

教室の隅には、
鏡付きの白い洋服ダンスがあり、
愛用のヤナギ屋ポマードが燦然と輝いていた。
実験用のフラスコの中には、
常にコーヒーがプールされている。
不気味なのは、
血で赤黒くなっている解剖用のまな板で、
その隣には、
解剖用のナイフと普通の包丁とが
仲良く並んでおかれており、
(まっ、まさか? 
 あっ、あのまな板で、料理をしているのか?!)
と誰もが戦慄していたのだった。

この戦慄のリカシルは、
別名
 ー特高警察の拷問部屋
と男子生徒から恐れられていた。

なにせ梁鉄拳は、
 ー口よりも頭突きがはやい
といわれるほど、
 ーチョーセン人パンチ、略してチョーパン
の達人なのだ。

さすがに、生徒相手に、
鼻や口めがけてチョーパンをかますことはなかったが、
身長180cmを利用して、
育ち盛りの中学生のおでこめがけてぶちかまし、
軽い脳しんとうを起こさせて、
ボコボコにするというのが、
奴の必勝パターンだった。

梁鉄拳は、
 ー台風シーズンの沖縄
と同じで、
 朝は機嫌が良いのか?
と油断していると運の尽き、
夕方になると、
些細なことからイチャモンをつけられ、
ハリケーンのように怒りまくり
ボコボコにされるのだった。

この時、
近くにバットや箒、
運動会の時は工具用のトンカチ等があると、
ほぼ人生を諦める覚悟が必要だ。
オレ自身、
バットとトンカチで、
頭を殴られた経験がある。
なんとか生き残ったが、
こうして小説を書いていることが
 ー奇跡に近い!
と思っている。

こういう恐竜のよう男が、
 ー生活指導
をしているのだから、
オレ達は、
包帯や絆創膏、赤チン、
そして警察沙汰を起こした後は遺書までも、
肌身離さず携帯しなければならなかった。

特高警察の拷問部屋と化したリカシルには、
男子生徒から、
 ー尋問席
と恐れられているチドシル(指導室)があった。

そこは病院の診察室でよく使われている
布地のパーテーションで遮られており、
外からは絶対に様子を窺うことができない。

ここに拉致されて引っ張られてくると、
どんな奴でもかならずビビる。
 ー梁鉄拳に何をされるかわからない
と恐怖心が沸くからだ。

だから「尋問席」に座らされると
誰もが観念し、
梁鉄拳が何も言わないのに
哀れみを請いながら、
ーミアナンミダ!(すみません)
アプロ チョルテロ アナゲッスンミダ!(これからは絶対しません)
と神妙な態度でわびを入れる。

こうなると梁鉄拳の思うつぼ。
奴は右手にバリカンを持ち、
あの
 ヒッ! ひっ! Hi〜
と悪魔が来たりて笛を吹くのだった。
奴は、肩を大きく揺らして
そう、「一世」が結婚披露宴でよく踊る
 オッケチュム
のような奇妙な動作をしながら、
口を尖らせて聞いたことも無い
へんちくりんな曲を上機嫌で歌い始める。
「ムンニュムニュン、
 ムンニュムニュン、
 ムンニュムニュンニュンニュ〜」

どうやら毎週月曜日の朝、
リカシルでコーヒーを飲みながら
作曲・編曲しているらしい。
週毎に少しづつ変わる悪魔のメロディーが終わる頃、
「尋問席」に座らされた男子生徒の頭は、
真ん中だけ毛を残したモヒカン刈りに変わり果てている。
意図的に残された髪の左右は、
池上本門寺の坊主のようにツルッツルッにされるので、
ウルトラマンの頭の尖った部分だけを
墨で塗りつぶしたような
みっともない状態になる。

冷酷無比な梁鉄拳は、
この恥ずかしい頭で授業に参加することを命じる。
放課後迄、
獄門さらし首のように、見せしめでやるのだった。

ところが、正義はかならず勝つ!
梁鉄拳は年に数回、
持病の痛風で学校を休むことがあった。
 ーラッキー!
オレ達は、
奴が完治する2〜3週間だけ
髪を少しだけ伸ばすことができた。

かといって坊主頭に変わりは無いのだが、
それでもオレは、
家の近くの六郷薬局で
憧れのヤナギヤポマードを買い、
小さい頃から顔見知りの店員によく笑われた。

家に帰ると、
さっそく
朝鮮人銀行で働いているヌナ(姉)の鏡台の前に座った。
先祖代々受け継がれてきた
切れ長でつり上がった目、
盛り上がったほほ骨など
明らかに
 ー朝鮮人丸出し
の顔であるにもかかわらず、
 ウットリ、
しながら、
買ったばかりのヤナギヤポマードを
少しだけのびた前髪に、
 チョビッ、
とつけては喜んでいた。

この頃には、
2年前迄パイパンに近かった「チャシッ(息子)」の周りも
「雑草」を経てようやく「葦」に発展、
そう、たとえていうなら
 ームーミンのムニュムニュ
のようなものが、
立派に生えそろってきた。

こうなると、オモニが束で、
 ドバッ
と買ってくる安い「少年パンツ」だと
ムニュムニュが絡まってしまい不必要に痛い。

だからオレは、
度々、左手で社会の窓あたりを、
 ーボリ、ぼリ、BORI
とやるわけだが、
何かこう銭湯の脱衣所で、
しおれたバナナを遠慮無くボリボリとやる
ポルジ(ジジイの意)みたいでカッコが悪い。

意を決したオレは、
生まれて初めてガラパンを買いに行き、
晴れて「少年パンツ」から卒業した。

女に興味を持つのも、この頃だ。
青筋を立て始めた「チャシッ」が、
なかなかいうことを聞いてくれなくなる。

ふと、下を見ながら
「てめえ! いったい何を怒ってるんだ!!」
と怒るオレ自身が悲しくなる。

夜な夜な襲来する
 ドッびゅう〜、ドク、どく、ドく
という思春期の通過儀礼で、
(ウッ)
と真夜中に起こされては、
両親や歳が離れた兄姉に気づかれないよう
密かに下着を洗ってカルピスを落とし、
洗濯機の水槽の奥深くに沈めるのだった。


(4) (4の1) (4の2) (4の3)

朝鮮中学最後の初春。
オレ達、大田朝鮮中学3学年生は、
梁鉄拳から、
「チャァ〜
 イノムドゥラ〜(貴様達の意)
 1ヶ月後、朝高入学試験ミダ!(だ)
 ヨルシミ(熱心に。一生懸命に近い)ゴンブハラ!!(勉強しろ)」
と問答無用で朝鮮高校の受験を命じられた。

(4の1)

当時の朝鮮高校は、
 ーヤクザ顔負けのワル
そう年柄年中、
警察と家庭裁判所を別荘代わりに使っている
 ー犯罪者予備軍
でない限り、
名前さえ朝鮮語でしっかりと書ければ
 ーパンドゥシ ハプキョッカンダ!(かならず合格する)
と噂されていた。

逆に、朝鮮高校を落ちるのは、
真っ赤か〜に燃えていた熱いソンベ達が
思い焦がれる憧れの
共産主義教育の牙城=モスクワ大学政治経済学部
を合格するよりも
遙かに難しいと言われていた。

ところが、オレは、
この難関を見事成し遂げてしまった
 ー校史に残るソンベ!
を知っている。

オレより2年上で、
あの梁鉄拳も手を焼いた母校開校以来のワル、
石 泰萬(ソク・テマン)先輩だ。

実は、この石ソンベこそが、
オレの
 ーケンカの師匠
でもある。
 ーいったい何を教わったか?
は、いずれ士官大との対決でわかるだろう。

石泰萬先輩は、
蒲田を縄張りにする
 ー著名な朝鮮人ヤクザ親分
を親に持つ、
 ー生まれながらの血統証付きのワル
だった。

朝鮮小学1学年生の頃から、
 ー可愛いランドセル
なんてのは、まったく縁がなかったらしい。
同級生達が、
親から買ってもらった
黒や赤のピカピカのランドセルを背負っている中、
石先輩だけは、
ヤクザの親から譲り受けた
 ー朝鮮人バック(略してチョン・バック)
で通してきたらしい。

このチョンバックには、
 ー赤いドクロのシール
が所狭しと張ってあり、
(これは何だろう?)
と不思議に思ったので、
一度、石先輩本人に聞いてみたことがあった。

「石ヒョンニム(兄さん)、このドクロは、何インミカ?(ですか)」
「これか?
 これはよ〜、
 アボジが言うにはよ〜、
  ーオレが若い頃、半殺しにしたチョッパリの首!
 なんだとよ〜」
「えっ!? そっ、そうインミカ(ですか)」
「あぁ」
「そっ、それはまた凄いチョン・バックインミダ(ですね)」

「まったくよ〜、
 こんなもんを小1の時から、オレに持たさせるんだからよ〜、
 ろくでもねえ親だろ〜、
 なぁ〜、そう思わないか、ミョンジョンよ〜」
「・・・・(相づちをうつと殴られる)」
「まぁ、オレ様の運命はよ〜、
 生まれたときから決まっていたんだよ〜
 わかるか〜? 
 ミョンジョンよ〜」
「・・・・(相づちをうつと蹴られる)」
と、けっして油断をしてはいけない先輩だった。

石先輩のチョンバックの中身ときたら、
朝小1〜3学年生の頃は、
ヌンチャクだけだったらしい。
髪型は、角刈りだった。

4学年生になると、
髪型がパンチパーマーに変わり、
高級エロ本と高級ちり紙が
チョンバックの中身に加わった。

5学年生になると
髪型はニグロに進化し、
チョンバックの中身に
高級コンドームが加わったらしい。

この
 ー高級にこだわる!
姿勢は、
ー 一流の任侠道を極めるためには、一流のものを使え!
という、
朝鮮人ヤクザ親分の教育方針らしい。

石先輩は、
「寅さん」と同じで、
気が向くと学校に顔を出すが、
授業に出たことはほとんどなく、
同級生や後輩から、
返す気のない金を借りまくっていた。

朝鮮学校の教員達も、
ーこいつに、何を言っても無駄
状態で、
見て見ぬふりだった。

あの悪魔が来たりて笛を吹く
梁鉄拳ですら、
 ー朝鮮人ヤクザ親分の報復
を恐れてか、
たまに遊びに来るニグロ頭の石先輩を
咎めることはなかった。

オレ達は、
この不公平な扱いに不満を持ちながらも、
「まぁ、石先輩なら、しかたがないよなぁ。
 梁鉄拳が注意しても、無駄だろうし。
 聞くどころか、たちまちタイマンはるかもなぁ。
 生徒とタイマンはってもなぁ〜、
 笑われるだけだよなぁ〜」
と、石先輩に関してだけは、
唯一、例外的に
梁鉄拳に同情していたのだ。

だから梁鉄拳は、
かなり無理しながら自分を偽り、
 ー人徳者教師
を偽装しようとしていた。

「なぁ、テマン、
 人にはそれぞれ、
 その人だけにしか歩めない道がある!」
と、教師ぶった丁寧な言葉で
石先輩を諭そうとし、
暗に、
 ー目指せ! 広域指定暴力団の親分!!
をほのめかすのだった。

この梁鉄拳、
さすがは真っ赤か〜に燃えているだけのことはある。
「だけどなテマン、
 ウリ祖国とウリ民族を忘れてはいけないぞ!
成功したらかならず
 ウリ祖国とウリ民族のために尊い寄付をしなさい」

すると、
石先輩は、かなり困惑した顔になった。
昔、アボジの知人の「一世」の青山さんが、
ーインテリ
という言葉を理解できず、
高等数学の公式を目の当たりにしたような
苦悩に満ちた表情で、
 ーペニシリンて〜すか〜?
と言ったように、
石先輩も、
かなりパニック状態の表情をして言った。

「たっとい?」
「・・・(しっ、しまった!)」
「そりゃ、どういう意味だよ〜?」
「・・・(こいつが天然バカだということを忘れていた!!)」
「なぁ〜、先公よ〜、
 たっとい、っていうのは、いったい何なんだよ〜?」

梁鉄拳は、腹式呼吸で深い呼吸をした後、
あまりにも似合わない慈悲深い表情をしながら、
「テマン。
 いいか、そういう難しい話は止めたほうがいい」
と言いながら首を左右に二度振った。

しかし、石先輩は、
「どっ、どうしてだよ〜、
 たっとい、って、いったいどういうことだよ〜」
と納得しなかった。

梁鉄拳は、
無言で
両目を静かにつぶりながら、
二、三度、ゆっくりうなずいた。
(この危機をのりきるには、これしかないだろう・・・)

もう我慢の限界にきた石先輩は、
二つの拳を胸の位置にあげながら強く握りしめ
「せっ、先公よ〜!
 なっ、何とか言えよ〜!!」
と怒気を強めた。

梁鉄拳は、
 カッ!
と、両目を大きくひらいた。

「ウッ!!」
石先輩は、
反射的に、すばやく一歩下がりながら
ボクシングのファイティングポーズで身構えた。

梁鉄拳は、
カエルを解剖する時の悪魔の表情となり、
 ニヤッ
と不気味に笑い、
右の人差し指で自分の頭のコメカミ当たりを指さしながら
静かに言った。
「テマン 頭が痛くなって、病気になるぞ」
「ほっ、ほんとうか?!」
「それに・・・」
「それに?」

梁鉄拳は、
意を決したかのように、
人差し指をおろして中指を立てた。
そして中指だけが立っている右手を、
ゆっくり下ろしながら
やや135度角度に向けて意味深長に低い声で言った。
「大事な「息子」も役に立たなくなるかも、知れないぞ」
「えっ!?
 そっ、そりゃこまる!!」

こうして大田朝鮮中学の校史に残る
 ー二匹の恐竜のタイマン対決
は幻に終わった。

こんな状態だから石先輩は、
朝鮮小学校といえども卒業できないはずだが、
 ー今時、小学校中退じゃ、
  ヤクザの世界でも肩身が狭かろう、
という
真っ赤か〜に燃えた先生達の共産主義的温情で、
大田朝鮮小学校を「キセル卒業」できた。
教員達は、
 ーやっと、あのワルが、いなくなってくれる!
と喜んでいた。

(4の2)

ところが、さすがは
ー血統証付きのワル
だけのことはある。

実は、卒業式の半年前、
悪どいことをしまくって羽振りの良かった
石先輩の親=著名な朝鮮人ヤクザ親分が、
いきなり朝鮮人連合中央本部会館を訪ねたらしい。

この石親分、
10日で1割の利息をぶんどる
 ートイチ
という
『ベニスの商人』のシャイロックも
マッツァオの悪徳高利貸しをやっていた。

なぜだかわからないが、
 ー二束(にそく)三文
を、
ー利息(りそく)三文
と言うのが口癖だ。

朝鮮人連合中央本部も、
思わぬ珍客の訪問に、かなり戸惑ったらしい。

 ー堕落した朝鮮人ヤクザがいったい何の用か?
   ナムジョソン(南朝鮮。韓国の意)のテロリストか?

と、相当警戒したらしく、
朝鮮人連合本部の要人警護を任務とする
 ーアカ空手の達人
の異名を得ていた黄 珍(ファン・チン)に応対させた。

黄珍は、
身長はそれほど高くはないが、
体重は100kg近いデブで、
見た目には、アマチュア相撲取りのように見える。

はったりが大好きで、
砂袋で拳や裏拳を
「1日1万回叩くのが、わしの日課じゃけんの〜!」
と豪語し、
「日課をやらんと、拳がかゆいんじゃ〜!」
と、
 ーSM朝鮮人武道家
を地で行く男だった。

黄珍は、
石親分の入館に際し、
(チャカ(拳銃)やドス(短刀)を懐に忍ばせておらんかの〜?)
とソビエト連邦製の金属探知器で入念にボディチェクをしたが、
何の反応もしなかったので、
やむなく入館を許した。

朝鮮人連合が、
 ー大衆的朝鮮人組織
を標榜している関係で、
無碍に追い返すわけにもいかなかったからだ。

黄珍は、
鋭利のような鋭いヌンチをしながら、
石親分に対し慇懃無礼に接し、
お茶も出ない最低ランクの応接室に案内すると、
拳ダコ等でグローブのようにふくらんでいる右手を動かし、
「どうぞ」
とシミだらけのソファに座るよう無言の圧力を加えた。

ヤクザがヤクザたる所以は、
 ーこいつは、オレ様を見下して嫌がる!
ということを一瞥しただけで瞬時に見抜き、
憤って後先のことを考えず、
目の前の敵めがけて
 ー先制攻撃する!
という野蛮な性質にある。

石親分、顔が紅潮し、
(このブタ野郎!
 オレ様をなめとんのか!!
 こんなうす汚ねえ部屋に通しくさって!!!)
と、かなり憤り、
殺気に満ちた形相に変わったらしい。

アカ空手の達人・黄珍も、
瞬時に石親分の敵意を見抜き
(この堕落したカンペめ!
 なにが不服なんじゃい!!
 なにかしでかしたら、一撃で(命を)とったるわい!!!)
と殺気を発しながら顔面を紅潮させたらしい。

二人は、数分間、
敵意むき出しで
無言でヌンチしながら対峙した。
意を決した黄珍は、
「用件は?」
と慇懃無礼に切り出した。

さすがは著名な朝鮮人親分だけのことはある。
石親分、
 ーケンカは先手必勝!
よろしく、相手=黄珍の気勢を制するかのように、
いきなり起立し、
「偉大な金日成将軍様マンセ!」
と、大声で叫んだ。

「!!」
黄珍は、
サッ
と起立し、
鍛え抜かれた左右の手刀をあげて万歳してしまった。

朝鮮人ヤクザの口から発せられた
 ー偉大な金日成将軍様マンセ!
という言葉に、
パブロフの犬のように、
条件反射してしまったのだ。
石親分は、
真っ赤か〜に燃えているペルゲンイの
弱点をついたわけだ。

黄珍が、
「はっ?!」
と、すぐに我に返り、
左右の手刀を下ろした途端、
石親分は、すかさず第二攻撃をしかけた。

銀座英国屋で新調したという高そうな背広の懐から、
朝鮮人銀行蒲田支店発行の白地手形の束を取り出し、
慣れた手つきで、
ー金参千萬圓也(金3千万円也)
と手書きし、
それを
 ーバーン!
と汚れたテーブルの上に力強く叩きつけ
借金取り立て時のヤクザが得意とする
凄みのある低音の声で言い放った。

「偉大な祖国! 共和国のために全額寄付!!」

アカ空手の達人・黄珍の目は、
武道家の鋭い目から、
物腰の低い商人(あきんど)のような
いやらしい目つきに変わった。
目ん球は、ほぼ50円玉になっている。

「石ソンセンニム(先生様)!
 チャンカンマン(少しだけ)、
 キダリョジュシプシオ!!(お待ち下さいませ)」

黄珍は、
ヤクザを
 ー先生様
と尊称した。
しかも
 ー自分が格下
であることを認める敬語に改めながら、
上半身を90度に曲げて礼をし、
退室したらしい。

数分後、
黄珍は、一目で、
 ーただ者ではない!
と感じる
鋭い眼光をした初老の男と共にあらわれた。

石親分と目が合うと、
再び90度角度で深々と礼をし、
それを終えると、
グローブのような右手の指をそろえてやや丸くし
石親分の方に丁重に向けながら、
「金弁植副議長ソンセンニム!
 イブニ(この方が)、
 ウィデハン(偉大な)愛国者イシン(であられる)
 石ソンセンニムです!」
と朝鮮語の敬語で紹介した。

日本の政財界から、
 ーやり手
と一目置かれている
朝鮮人連合副議長の金弁植は、
「ヤぁ〜、以前からお会いしたかったです!
 石ソンセンニム!!」
と大きな声で感激を偽装しながら
ホモでもなにのに、
石親分を力強く抱き寄せた後、
石親分の右手を両手で力強く握りしめたらしい。

「石ソンセンニム! こちらへお越し下さい!!」
金弁植は、
石親分を最高ランクの応接室へと誘った。

石親分は、
きれいなチマ・チョゴリを着た
若くて美しい朝鮮女性から
薫り高い舶来のブルーマウンテン・コーヒーと
微笑みのもてなしを受けた。

しかし、さすがは猜疑心の強い
 ー朝鮮人ヤクザ親分
だけのことはある。
石親分は、抜け目がなかった。
寄付した手形が、
現金化されるサイトを振出日から6ヶ月後の3月25日とした。
その間、朝鮮人連合が、
在日朝鮮人社会でも嫌われているヤクザの自分に、
(一体何をしてくれるのか?)
を観察しようとしたのだ。

さすがは、
 ー真っ赤っか〜のご本尊
の朝鮮人連合中央本部も抜け目がない。
ヤクザが、
悪どい資本主義手法で稼ぎまくった
 ー汚れた金
であれ、何であれ、
 ー愛国的寄付金
という美名の下、
浄化させる手法は、芸術的なものがある。

翌日、この寄付行為は、
 ー近年、稀にみる愛国的美談!
と偽装され、
朝鮮人連合の機関新聞『朝鮮人日報』の一面トップに載った。

石親分の職業は、
 ーヤクザ
とか、
 ー血も涙もない、唾液だけの高利貸し!
とは書かれず、
 ー不動産関連会社社長
と紹介されていた。
この当時から朝鮮人ヤクザは、
職業を「不動産関連業」と偽っていたのだ。

しかも、朝鮮人連合中央本部は、
多額の寄付に対する見返りとして、
 ーヤクザなら、きっと泣いて喜ぶに違いない!
と、石親分をどうでも良いポストといえる
 ー朝鮮人連合大田支部副会長
に推挙した。

しかし、石親分はかなり不服で、
青山さんと同じ、
「チョ〜タんチャないよ〜」
という怪しい日本語で、
これをキッパリと辞退した。

慌てた朝鮮人連合中央本部は、
確実に手形を落としてもらうため
傘下団体の全国組織・朝鮮人経済会の
副会長に推挙した。

石親分は、
「まぁ、これクらいなら受ケて、やるカ〜」
と子分達に自慢げに語り、
「いいカッ、おめ〜えら!」
「ヘいっ!」
「これカら〜のヤクチャは、徳カ必要タソ! トック!!」
「へいっ! 親分!!」
「昔の中国テタ〜
 劉備玄徳が、孔明をくトいタ故事をおめ〜えらは知っテるカッ!」
「いえ、何分、あっしらは、小学校中退なんで、よくわかりません」
「パカヤロ〜!」
「すっ、すみません!」 
「これタカら小学校中退は、タメなんタッ!!
 せめテッ、オレ様のように、
 中学校クらいは中退しなクっチャいけねえソッ!」
「へい! うちのガキどもには、そう言い聞かせます」
「まぁ、せめておめ〜えらは、『三国志』クらいは読んトきナッ!
 これからのヤクチャには教養カ必要タカらな!! 教養カ!!!」
「へい! 親分!!」
と組の事務所で子分達を諭したらしい。

さすがは石親分、朝鮮人だけのことはある。
 ー『三国志』は教養!
だと勘違いしているのだ。
彼は、史上名高い
 ー三顧の礼
を参考にし、
朝鮮人連合中央本部の推挙を
断る気もないのに2回辞退し、
3度目に受諾したのだった。

翌日、石親分の組事務所には、
金日成の肖像写真が飾られた。
こうして、
 ー朝鮮人連合系ヤクザ
が誕生したのだった。

朝鮮人経済会副会長という名誉職への就任は、
北朝鮮から国家的勲章をもらえる
有資格者になったことを意味した。
実際、3千万円の手形の期日が迫った3月初旬頃、
石親分は、
 ー不動産関連の愛国的商工人(エグッチョッサンゴンイン)
として、
金日成から
 ー共和国愛国勲章
を授与された。

一流好きの石親分。
晴れの授賞式のために、
生まれて初めて着る燕尾服を
銀座英國屋であつらえたそうだ。

授賞式当日。
高級燕尾服の胸には燦然と輝く勲章が光っていたが、
石親分の悪辣さを知り尽くしている参列者達は、
 ーあれは、あのヤクザに追い込みをかけられた
  哀れな連中の涙が光っているのさ
と冷めた目つきでささやきあったらしい。

ヤクザがヤクザたる所以は、
 ーオレ様は成功している!
みろ! 
こいつらは、オレ様にペコペコしているじゃないか!!
と目に見えてくる偽装された現実に、
無邪気に陶酔できるという、
幼児的な性質にある。

石親分は、終始、ご満悦だったそうだ。
「おめ〜ら! みろ!! コれを!!!」
「おめでとうございやす! 親分!!」
「タ〜カら〜、言っタろ〜、
 オレ様は、韓国カ北朝鮮にいタら〜、
 最低テも国会議員クらいには〜、なっテいタっテ!」

こうして手形は、
期日通り無事落とされた。
石親分は、悪事の限りを尽くして貯めた3千万円で、
勲章を買ったことになる。

以来、石先輩の親は、
地元の在日朝鮮人社会の中で、
 ー愛国的親分
と格上げされて、呼ばれるようになった。

しかし、さすがは抜け目のない朝鮮人ヤクザだけのことはある。
石親分は、自分の息子の
大田朝鮮中学校の学籍をちゃっかりオマケでもらっていたのだ。

手形の期日3月25日は、
自分の息子が通う朝鮮小学校の卒業式の日付だったのだ。
つまり石泰萬先輩の親は、
朝鮮人社会の「名士」としてのポストと
「愛国者」としての国家的名誉、
そして息子の朝鮮中学生としての学籍を
それぞれ1千万で買収した計算になる。


(4の3)

こうして見事、
 ーキセル入学
を果たした石先輩は、
後顧の憂いになく
 ーケンカ道
に精進することになった。

石先輩は、
ケンカだけは鬼のように強くなり、
先輩達からも一目置かれ、
後輩からも、その点だけは尊敬されていた。

朝中1学年生の冬には、
すでに武勇伝をいくつも持っていた。
近所にある著名なバンカラ高校=バラ高の番長と
タイマンをはっても負けなかった。

あまりにも凄まじかったので、
 ーどちらかが死ぬ!
と慌てたバラ高生が通報したらしい。
緊急出動した池上警察が、
ほんの数分遅れたならば、
石先輩は、殺人犯になっていたかも知れない。

石先輩のケンカの強さは、
毎月バージョンアップした。
その悪さ加減ときたら、
改善の余地はまったくなく、
なお一層エスカレートするだけだった。

このままいけば、
 ーすわっ! 任侠道初のドラフトか!!
と広域暴力団から、
 ー将来の幹部候補
として、
ー朝中卒業後は、ぜひ、うちの組へ!
と、巨額の契約金持参で、
スカウトされるのも夢ではなかったのだ。

石先輩、
相変わらず学校には、
たまに気が向いた時しか来なかった。
送り迎えは、
親の力を借りないで独自の力で舎弟化した
暴走族のシャコタンだった。

たまに、池上警察の「高級乗用車」か
凶悪犯を乗せる網付き護送車だった。
「あっ! 石ヒョンニム!」
朝中1学年生だったオレは、
護送車で運ばれていながらも、
見張りの警察官と親しそうに談笑している
石先輩を目撃したことがある。

何でも、都内でも有数のワルが、
1千人近くもいるバラ高の文化祭に、
単身一人で、
殴り込みをかけようとしたところを
待ちかまえていた警官に捕縛されたらしい。

石先輩は、
少年法の手厚い保護の恩恵を受けていた。
ケンカや恐喝などの被害者が、
 ー著名な朝鮮人ヤクザ親分のお礼参り
を恐れて、
ただの一人も被害届けを出さないので、
奇跡的に少年院や鑑別所には送られなかったのだ。

このワルの権化のような石先輩のように、
 ー将来の網走刑務所行き!
が確実視されていなければ、
朝鮮高校を落ちることはまずない。

なぜなら、朝鮮高校の入学資格は、

 ー朝鮮人に限る!

ただ、それだけだったからだ。

朝鮮高校の試験を受けた翌日、
朝鮮高校から母校の朝鮮中学の校長室に
合格通知が届いたらしい。

(受ける前から合格が決まっているんじゃないか?)
と、オレは素朴な疑問を持ちながらも、
4月から晴れて髪を伸ばして
ヤナギヤポマードを遠慮無く使える
朝鮮高校生になれることを正直喜んだ。